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仏像オタクニストSALLiAの「仏のトリセツ」vol.6 アイドルグループ「嵐」に学ぶ「利他行」

国民的アイドル「嵐」が活動休止を発表して、早9ヶ月が経ちました。

会見を見ていると、温かい気持ちになり、そして真っ直ぐ生きている彼らの姿に感動してつい、涙してしまったのを今でも鮮明に覚えています。よく推しているアイドルに対し「尊い…」という表現をしているのを目にしてきましたが、そのなんとも言えない「不思議な心地よい温かさ」こそがまさに「尊い」とされるものであるのかもしれない。

その「尊さ」と嵐が体現している「利他行」とは一体何だろうか?ということが今回のコラムのテーマ。

それでは行ってみましょう。

 

国民的アイドル「嵐」の軌跡

1999年に華々しくデビューした時のイメージとは裏腹に、嵐は不遇の時代がありました。CDの売り上げも伸びず、コンサートも空席が目立ち、気遣ったスタッフが空席を暗幕で隠すこともあったそうです。

CDも売れない、ライブもガラガラ、深夜帯で放送していた冠番組の視聴率も良くない。当時、小中学生だった私の嵐のイメージは「ジャニーズなのに、すごい体張ってるお兄ちゃんたち」というものでした。

幽霊の出る井戸に入らされたり、クレーム処理を任されて一般の方に土下座したり、キレたお客さんにお金を投げつけられたり。どんなバラエティ番組だよ。

そんな状況下で、2002年、2003年くらいに、二宮さんがとある提案をします。

「今の状況を打破するには、今の仕事を全部なげうって下克上を起こすしかないと思ってるんだけど、どうかな?」と。

そしてそれに追随するように、松本さんが「一度、全部ゼロにしてみるのもアリなのでは』という意見を述べました。

すると、今まであまり意見を言ってこなかったリーダーの大野さんが「嫌だ」と明確な意思表示をし、さらに「今、目の前にある事を頑張れない奴が何を頑張れるんだ」と言ったといいます。 

その言葉に感銘を受けた二宮さんは、以後全ての仕事に対する向き合い方の基準がその言葉になったといい、その後、2005年に放送されたドラマ「花より男子」(松本潤さん主演)がきっかけとなり、嵐も徐々に注目されるようになりました。

そして、2006年には「NEWS ZERO」のキャスターに櫻井さんが決まり、二宮さんはハリウッド映画「硫黄島からの手紙」が2006~2007年に話題になり、相葉さんもバラエティ番組で活躍、大野さんもジャニーズ初の個展を開催するなど、それぞれがそれぞれのフィールドで活躍しました。

初めてのドーム公演は、デビューから8年後の2007年、そして紅白初出場はデビューから10年後の2009年という、ジャニーズグループとしては遅咲きながらも決して腐ることなく、嵐は「嵐」であり続けたのです。

 

我ではなく「個」を大切にすること

嵐というグループが語られるときに、よく言われているのが「バランスの良さ」。それぞれにちゃんと「個性」があって、でも「我」は強くない。誰か一人が目立とうとしている様子もないし、それぞれがそれぞれを尊重して「嵐」というグループは成り立っているのが、いつも伝わってきます。

彼らがずっと口にしてきた「嵐は5人でひとつ。」という言葉。

5つの「個」が集まって、初めて「嵐」というエンターテイメントは完成する。彼らのそれぞれの活躍は、「嵐」というものに必ず結びついていなければ成立しないし、そのためのものであるということは、彼らの言葉からもよく感じられます。

嵐を通して、私は「個」と「我」の明確な違いを、自然と学ぶことができました。自分らしく生きたり、表現したりすることは決して「自分の我を通す」ことではありません。

仏教の根本的な考え方に「無我」というものがあります。

「我を無くす」と書くので、自分のパーソナルなものを捨てて、まるで別人、廃人のようになってしまうのでは?というイメージを持たれている方もいますが、実際はそういうことではないと思っています。

「こう思われたい」「自分というものは本来こういうものであるはずだ」「こんな風に思われないと嫌だ」という、苦しみなどのマイナスな気持ちに発展しやすくなる部分だけをなくそうということだと私は解釈しています。

「これは自分のものだ!」と思うと、途端に失うのが怖くなってしまう。これも「我」による、苦しみと言えます。

生まれ持った確かな「個」を何のために使うのか。自分のためだけに「個」を使えば、それは「我=エゴ」になってしまうのです。

嵐はそれぞれの「個」を、嵐という「和」のため、そして嵐が生み出すエンターテイメントを受け取る多くの人たちのために、最大級の形で磨き、努力し、発信し続けてきました。

我の強さが無かった、または無くしてきたからこそ、彼らは卑屈にもならずに、ずっと同じ気持ちで足並みをそろえて、目の前にあることを地道に続けてくることが出来たのだと思います。肩の力を抜いて、でも手は抜かない。だからこそ、嵐を見ていると、なんだか癒されてしまうのでしょう。

 

新たな利他行「自己利他」

5人それぞれの個を生かした活動はもちろんですが、嵐としての活動はまさに人々を幸せにする「利他行」と呼ぶにふさわしいと、自然と思うようになってきました。

「利他行」を辞典で調べてみると、「自己のうちに仏となりうる可能性(仏性)を認め,それを体現することを目指すこと。」とあります。仏性とは、「自分の中の誰かを幸せにできるかもしれないという可能性」のことであると私は考えていますが、

ということは、自分の中に、誰かを幸せにできる可能性を感じ、そうあろうと最善を尽くしてきた嵐って最早「菩薩」じゃん!

利他行は、私たち「人間」しかできないことであると言われています。動物とは違い、互いの命を奪い合わなくても、私たち人間は生きていくことが出来ます。だからこそ、手を差し伸べることも出来るはずだし、それを目指したいよねということが利他行の目的であると思います。

その「個(自己)」であることそのものが、みんなの生きる歓びになっている、嵐の5人のやっている利他行にもし名前をつけるなら「自己利他」なんていかがでしょうか?

仏教にはすでに「自利利他」というものがあり、「自己利他」なんて言葉はないけれど、「自己」というパーソナルを使うことで、誰かの喜びや幸せを生み出していく。もうそれって立派な「利他行」と言えるのではないでしょうか。

そしてそんな嵐を支えてきたファンの方々の応援も「尊い」と呼ぶにふさわしいものであると思います。もちろん、マナーなどを守った上というのは大前提ですが…。人を応援し続けるというのは、とてもエネルギーを要するものです。

人前に出る大変さや苦しみとは違う内容だけれど、重さ的には変わらないものがあると思います。彼らを支え、彼らを応援することで喜びを見出していく。正しいファンのあり方には「自利利他」が伴っているといえるでしょう。

それぞれの立場で様々な利他行を、実践していきたいものです。そして私も生まれ変わったら、ジャニーズに入りたいっ!

文・hasunoha編集部
SALLiA(サリア)

歌手、音楽家(作詞・作曲・編曲家・音楽プロデューサー)、仏像オタクニスト 。

「歌って作って踊る」というスタイルで話題を呼び、2016年11月USEN1位を獲得。さらに4週連続トップ10入りを果たした。さらに音楽家(作詞・作曲・編曲家)として楽曲提供を行ったり、県域ラジオ局のラジオパーソナリティ、全国のフリースクールでのボランティア活動等、その活動は多岐に渡る。

幼少期よりいじめ、不登校、家庭内の不和など、様々な生きる苦しみを感じながら成長し、20歳で「仏像」と出会う。そこからずっと感じていた「どんなに過酷な状況でも穏やかに、幸せに生きる方法」を本格的に模索し始める。

そしてUSEN1位獲得の翌年、足の事故に遭うという人生最大の危機が訪れる。しかしその人生最大の苦しみがきっかけとなり、仏像だけでなく本格的に「仏教」の勉強をし、「自分で自分を救っていく方法」を発信する「仏像オタクニスト」としての活動を始めることを決意。2018年4月、本名の畑田紗李から「SALLiA」に改名。

2018年12月3日、「生きるのが苦しいなら~仏像と 生きた3285日~」を出版。紀伊国屋週間総合ランキング3位やダ・ヴィンチニュース1位など、話題を呼んでいる。

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