hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
24485views

仏像オタクニストSALLiAの「仏のトリセツ」vol.22「誹謗中傷されたら逆に生きやすくなった話」

突然ですが、みなさんは「誹謗中傷」されたことはありますか?

実は私、昨年ネットでの炎上を初体験いたしました。

今、某媒体でライターをしており、昨年Gotoキャンペーンでお越しになるお客さまの迷惑行為でホテルに働く方々が疲弊しているという記事を書いたところ、一部の方々に「反日記事だ」「日本のネガティヴキャンペーンだ」「これを書いたやつの国籍はどこだ」など、予想外の方向からさまざまなお声をいただきました。

もちろんちゃんと取材もし、書いた記事に嘘もなく、恥じるようなことも一切していません。

叩かれる原因となったネットニュースの見出しも、ライターがつけたのではなく媒体元がつけたものでしたが、それを説明しても火に油。

ついには私のWikipediaやホームページだけでなく、事務所のマンションの部屋番号なども晒される事態に。私が~出身だから、~教信者だなど驚くような虚偽の事実を広めようとしている方もいらっしゃいました。

とはいえ叩いていた方はほんの一部で、実際は「なぜこの記事が炎上し、燃やされているのかわからない」という声が大半でしたが、それでも精神的にはかなり追い込まれ「生きててごめんなさい」という気持ちにまでなったほどです。

ですが、あれから半年経って私は逆に「生きやすく」なりました。

それはなぜか?気持ちの変遷も含めて、辿って見たいと思います。

言い返したい気持ちが、苦しさを生んでいた

「誹謗中傷」という言葉を調べると、”事実ではないことを根拠にした悪口を言いふらして、他人を傷つける行為”と出てきます。

”事実ではないことが事実として出回る”ことが、こんなに辛いことなのか。身を持って体感しました。そしてそれを言い返しても、言葉が通じないどころか、それすらも火種とされてしまう。

怒りと悔しさと絶望で、どう対処したらよいか最初は全くわかりませんでした。

ただ間違いを正してやりたいという気持ちが強くありましたが、ネット上の無数の顔が見えない人に対してそれをすることは不可能です。

起こったことは消せない。起こったことを対処しなくては次に進めず、ずっと辛いまま。

起こったことに対する苦しみに囚われていても、どうしようもありません。

ならば、起こったことを対処できない苦しみの原因を対処するしかありません。

私は自分に問いかけました。今、何が一番自分を苦しめているのか?と。

そして出た答えは、

「違うことを違うと認めさせたいけれど、それができないことが苦しい」ということでした。

つまり自分の中の「間違いを正したい」「言い返したい」「相手に非を認めさせたい」という気持ちが、自分の中の「苦」を生んでいたのです。

間違いを正そうとするから苦しい

仏教の中で「七慢(しちまん)」というものがあります。

1.慢 自分より劣っている人に対しては自分が勝っている、とうぬぼれ、同等の人には、自分と等しいと心を高ぶらせる。

2.過慢 自分と同等の人に対して自分が勝っているとし、自分以上の人は自分と同等とする。

3.慢過慢 勝っている人を見て、自分はさらに勝っている、とうぬぼれる。

4.我慢 自負心が強く、自分本位。

5.増長慢 悟っていないのに悟ったと思い、得ていないのに得たと思い、おごり高ぶる。

6.卑慢 非常に勝れている人を見て、自分は少し劣っている、と思う。

7.邪慢  間違った行いをしても、正しいことをしたと言い張り、徳が無いのに有ると思う。

たとえ事実と反していても、自分の中の正しさと、相手の中の正しさをすり合わせる必要はない。正否に一番こだわっていたのは、私ただひとりでした。

違うことを違う!というべきだと思っていた私がそもそも「傲慢」だったし、「我慢」していると思っている時点でそれも「煩悩」なのでしょう。

たとえどんなに言われなきことでも、事実と違うことならどっしり構えておけばいい。

真実を自分が知っているなら、それでいい。

一部の人と自分の認識が違うところで、世界は何も変わらないし、自分が何も起こってないと思えば、実際”何も起こっていない”。

間違いを正そうとするから、苦しいんだ。

実際に、媒体元に「見出しはライターがつけたものではない」という声明を出してもらいましたが、そこに反応は一切ありませんでした。

叩いている方達は、物事の正否はどうでもよく、叩けるか叩けないかの価値基準で動いているのだ、と腑に落ちたら正否に固執していた自分がとても馬鹿だったなと思えました。

お前の弱点はそこだから、そこに対する執着を捨てなさいと仏さまが荒療治で起こしてくれた一件だったのかもと、ひたすら感謝の日々です。

正しいか間違っているのか?そんなことをいちいち考えて人と向き合わなくても良くなり、正さなきゃと余計なエネルギーを使わなくなったので、憑き物が取れたかのように、さらに楽に生きれるようになりました。

同時にどう思われるか、とビクビクしながら生きていた自分もどこかへ行きました。

いまは、自分が自分に対して「どう思えるか?」という基準のみで生きています。

叩いてくれた人たちに、心の底から本当に感謝しています。とんでもない布施を頂いた気持ちです。

でもなるべくなら、叩かずに叩かれずにいたいものですね…笑

文・hasunoha編集部
SALLiA(サリア)

歌手、音楽家(作詞・作曲・編曲家・音楽プロデューサー)、仏像オタクニスト 。

「歌って作って踊る」というスタイルで話題を呼び、2016年11月USEN1位を獲得。さらに4週連続トップ10入りを果たした。さらに音楽家(作詞・作曲・編曲家)として楽曲提供を行ったり、県域ラジオ局のラジオパーソナリティ、全国のフリースクールでのボランティア活動等、その活動は多岐に渡る。

幼少期よりいじめ、不登校、家庭内の不和など、様々な生きる苦しみを感じながら成長し、20歳で「仏像」と出会う。そこからずっと感じていた「どんなに過酷な状況でも穏やかに、幸せに生きる方法」を本格的に模索し始める。

そしてUSEN1位獲得の翌年、足の事故に遭うという人生最大の危機が訪れる。しかしその人生最大の苦しみがきっかけとなり、仏像だけでなく本格的に「仏教」の勉強をし、「自分で自分を救っていく方法」を発信する「仏像オタクニスト」としての活動を始めることを決意。2018年4月、本名の畑田紗李から「SALLiA」に改名。

2018年12月3日、「生きるのが苦しいなら~仏像と 生きた3285日~」を出版。紀伊国屋週間総合ランキング3位やダ・ヴィンチニュース1位など、話題を呼んでいる。

この記事を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine