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仏像オタクニストSALLiAの「仏のトリセツ」vol.1仏像オタクニストという生き方

皆様、初めまして。SALLiA(サリア)と申します。

「仏像オタクニスト」として活動しています。この度、hasunohaさんでコラム連載をさせて頂くことになりました。

……と、とりあえず自己紹介してみたものの、ツッコミどころが多すぎて、どこから突っ込んでいいのか分からない。という画面の前の皆様の戸惑いが、ビシバシ伝わってくるかのようです(笑)

しかし、ご安心ください。

今回は、なぜ私が「仏像オタクニスト」になる必要があったのか。

誠意を込めて、hasunoha読者の皆様、そしてお坊さんの皆様に向けて、しっかりお話していくとともに、この「仏のトリセツ」で何をしたいのか、それをお伝えできればと思います。

私は、元々歌手、作詞、作曲、編曲家、音楽プロデューサーとして長年活動してきました。歌って作って踊るというスタイルで、USEN1位をいただいたり、楽曲提供や、ラジオのパーソナリティなど、アーティストを基軸とした様々な活動をしてまいりました。

ですが、USEN1位を獲得した翌年、足の事故に遭ってしまったのです。

足の事故、といっても交通事故ではなくエステの事故。副作用がないと謳っていた1時間にも満たない施術の翌日、私は歩くことは愚か、立つことすら、足の力を入れることすら、全く出来なくなりました。

前例がないということもあり、病院をいくら廻っても「治るかどうか分からない。治療のしようがない。」と言われ続ける日々。寝ても覚めても付きまとう、逃れられない足の痛み。そして自分の意思ではピクリとも動かせない足。

痛くて怖くて、悔しくて悲しくて、「どうして!なんで!こんな足いらない!」なんて、来る日も来る日も泣き喚いていました。

生まれたからには、生きていかなきゃいけない

でもどんなに辛くても。どんなに苦しくても。どんなに消えたくても。

人生は続くのです。

事故から1ヶ月後、泣き喚く日々に疲れ、死にに行く足も、気力も、体力も私にはもう、これっぽっちも残っていませんでした。

だから、「今」がどんなに苦しくても、生きるしかない。

そして起こっている苦しみを、無かったことにはできない。

だってどんなに否定したって、こんなに確かな痛みと苦しみはある。否定したって、「ある」のです。

ならば「ある」を前提に始めなければ、私は「痛みや苦しみを受け入れられない苦しみ」をずっと味合わなければならない。

体に起こっている苦しみは、どうにもできない。だからこそ、心に起こっている苦しみだけは、自分次第でどうにでも出来る。

もう私に残された生きる希望は、それしかありませんでした。

私はこのまま、足が治らなくても、どんなに痛くても辛くても、苦しくても、必ず「幸せ」に到達してみせる。

肉体的な苦痛の果てに私はやっと、そう思い至りました。

大切なことを教えてくれた「仏像」という存在

私は幼少期から、ずっと自分が嫌いでした。

「自分なんて、消えてしまえ!」

事あるごとに私は、自分にそんな呪いの言葉をかけていました。

いじめ、毒親の存在、不登校、進学校での挫折、レイプ未遂を経て、どこかで私がこうなったのは皆のせいだ!と思いながら、生きていたのです。

大人になって夢を叶えた後も、失声症や誹謗中傷、現場でのいじめなど、常に「生きづらさ」からは逃れることは出来ませんでした。

そんな私が、「仏像」という存在と出会ったのは20歳の頃。

初めて仏像の姿を見た時、「こんなに美しいものがこの世にあるのか。」と私はオイオイと泣いたのでした。

醜い、汚いと思っていた世界に差し込んだ一筋の光。

それが「仏像」。

私はずっと、その存在に「憧れ」を抱いていました。

どうしたらそんなに、穏やかな姿でいれるのか。

どうしたらそんなに、誰かの苦しみに寄り添える慈悲を持てるのか。

どうしたらそんなに、誰かのために頑張れるのか。

気づけば、私もそんな「生き方」がしたいと思うようになりました。そして足の事故という、初めての肉体的な苦痛を経て、私は今まで感じた苦しみの全てに答えを出したいと強く思うのです。

そしてそのために、しなければならないことは「仏」を知ることでした。

「仏像」は「仏の教え」を体現している存在。

ならば、その答えにこそ「ヒント」があるのではないか。

そう思い、私は本格的に「仏教」の勉強も始めました。

自分が様々な生きる苦しみを経て、ぼんやりと実感しつつあった「答え」の「答え合わせ」をしたい。

そのニーズにも「仏教」はしっかりと答えてくれました。

そして足の事故に遭って、一番強く思ったことがあります。

それは、「誰かの役に立ちたい」ということ。

今まで当たり前のように譲れていた電車の席。

今度は私が譲られる側になりました。

そこで初めて、席を譲られることがどんなに有難いか、苦しい時に見知らぬ人に優しくされることが、どんなに救われるかを思い知りました。

その尊さの実感こそが、「誰かの役に立つ」ことの本質だったのです。

「人の役に立つ」ってある種「自己犠牲」とか「奉仕」と思っていた私が、初めて「人の喜びを作ることは自らの喜びになり得る」ということを思い知ってしまったのです。

それは頭じゃなく、心で理解できた瞬間。

おこがましいですが、仏教的に言うと「自利利他」の精神であると私は思っています。

「自利」とか「利他」とか分けられない。

コインの表と裏のように、切り離したらそれはもう別の何かになってしまう。

人の役に立つことが、私の生きる喜び。

私の憧れた、「仏」の姿。

仏像オタクニストという「生き方」

足の事故で私という人生は、一度死にました。だからこそ、そこから先の人生は、本当に「人の役に立つ」ことを優先してやろうと思ったのです。自分のために。

足の事故に遭う前、アーティストの活動の一環として、全国のフリースクールでの講話とライブというボランティア活動をしていました。

その活動を通して、お子さんだけでなく、大人になってから「生きる苦しみ」を抱えている方からのメッセージをたくさんいただくようになりました。

でも、アーティストとしての自分が提示できるのは「音楽」だけ。

もっと直接的な何かはないか。丁度、悩んでいた時に起こった足の事故。

足が治らなくて、もう自分の足で立って歌えなくても、踊れなくても、私にしか出来ない形で、「人の役に立つ方法」。

そうして見つけたのが、「仏像オタクニスト」という仕事です。

何をする仕事なの?と言われた時、私は「自分で自分を救っていく方法を発信していく仕事です。」という言っています。そして、そのためのツールとして「仏像」や「仏教」を使います、と。

使う、というと何だかぞんざいで、罰当たりな印象を持たれるかもしれませんが、そうではありません。

「頼る」でもなく「依存」するでもなく、ただ「自分自身を拠り所」にする。お釈迦さんの言葉を借りれば「自灯明」という言葉になります。

そうして自分自身に明かりを灯すことで、見知らぬ誰かの道しるべになれるかもしれない。

「仏像オタクニスト」という職業を通して、そんな生き方を伝えてゆけたらと思いました。

そしてもう一つ。私が「仏像オタクニスト」としてやりたいことがあります。

それは、「一般の方とお坊さんを繋ぐ架け橋になりたい」ということ。

日本の仏教を支えているのは、日本のお坊さんです。苦しい修行をされ、たくさん勉強し、仏道に人生を捧げていらっしゃるお坊さんを、私は尊敬しています。

だからこそ、私はもっと仏教や仏像とともに、お坊さんという存在も身近に感じてもらえるようになってほしい。

そう思い、私はあえて娑婆側(一般人側)で仏教、および仏像を発信する存在として尽力しようと心に決めたのです。

私はみなさんにとっての「仏の入口」になりたい。

「仏教」はあくまで、「ヒント」であると私は思っています。

でもその偉大なヒントを「答え」にするのは、私たち一人一人次第です。私たち一人一人に委ねられている「そこ」が、私が仏教を好きな理由です。

リハビリの末、奇跡的に足は治り、今まで通り歌ったり踊ったりすることは出来るようになったので、アーティストも続けていますが、その根底にあるのはやはり「自利利他」の精神です。同じことをしていても、向き合い方が180度変わりました。

苦しみがあったからこそ、私はこの「生き方」に出会うことができました。

そして昨年、仏像オタクニストとして「生きるのが苦しいなら~仏像と生きた3285日~」という本も出版させていただきました。ちらっと書いた、私の人生や、仏像との出会い、そして仏像オタクニストになるまでの話が詰まっている一冊なので、ご興味がある方は是非お読みいただけると幸いです。

「仏像オタクニスト」「歌手、音楽家」としてのモットーは「みなさんの『生きる』に寄り添う」。

この「仏のトリセツ」を通して、みなさんの様々な「生きる」に寄り添えるよう、頑張っていきたいと思います。

文・hasunoha編集部
SALLiA(サリア)

歌手、音楽家(作詞・作曲・編曲家・音楽プロデューサー)、仏像オタクニスト 。

「歌って作って踊る」というスタイルで話題を呼び、2016年11月USEN1位を獲得。さらに4週連続トップ10入りを果たした。さらに音楽家(作詞・作曲・編曲家)として楽曲提供を行ったり、県域ラジオ局のラジオパーソナリティ、全国のフリースクールでのボランティア活動等、その活動は多岐に渡る。

幼少期よりいじめ、不登校、家庭内の不和など、様々な生きる苦しみを感じながら成長し、20歳で「仏像」と出会う。そこからずっと感じていた「どんなに過酷な状況でも穏やかに、幸せに生きる方法」を本格的に模索し始める。

そしてUSEN1位獲得の翌年、足の事故に遭うという人生最大の危機が訪れる。しかしその人生最大の苦しみがきっかけとなり、仏像だけでなく本格的に「仏教」の勉強をし、「自分で自分を救っていく方法」を発信する「仏像オタクニスト」としての活動を始めることを決意。2018年4月、本名の畑田紗李から「SALLiA」に改名。

2018年12月3日、「生きるのが苦しいなら~仏像と 生きた3285日~」を出版。紀伊国屋週間総合ランキング3位やダ・ヴィンチニュース1位など、話題を呼んでいる。

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