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仏像オタクニストSALLiAの「仏のトリセツ」vol.9 自分の中の「特別」を作らないことで生まれたもの

新曲のリリースを先月無事に終え、絶賛プロモーション中でございます。現在熊本のカプセルホテルでこの原稿を書いております!隣の人のいびきがいい感じで聞こえて来てます!

そして先日の11月28日にはワンマンライブも無事に終了いたしまして、リリース→プロモーション→ライブというのは、アーティストとして活動していく中で、ある意味ルーティンとなっている部分もありつつ…

しかし、概ね毎年同じ流れだからこそ、違いというものがわかりやすく見えてくるものです。今年、ワンマンライブを終えたときの自分の心境や、それに追随するその他の現象に違いが生じ、それが自分的に興味深かったので、今回はそれについて書いてみようと思います。

それでは仏のトリセツ、スターティン!

恐れも不安も一切ないステージ

今回のワンマンライブはおよそ2年ぶりに、バックダンサーさんと共にパフォーマンスをするという内容で、かつ和太鼓とのコラボもあったりで、覚えなければならないこともたくさんありました。さらにはリリースに向けての稼働だったり、2冊目の本の校正だったりで、今まで生きて来た中で一番忙しかったのが11月でした。

にもかかわらず、緊張も、興奮も、恐れも不安もなく、ただ静かな心だけを持って、私はステージに立つことができたのです。

そして歌ったり踊ったりしながらも、私は冷静にとあるシーンを連想していました。

なんの揺らめきもなく、ただ静かに穏やかに存在する水面。

今、私の心はまるでそんな状態だといえる。真剣に歌い踊る自分と、そう冷静に考えている自分が内在している状態で、ライブをしていたのです。

私には長い間、ステージに立つことに対し、拭えない「不安」と「恐怖」がありました。お客さんが自分の歌を聞いて、踊りを見て、私を見て、どう思っているのだろう。それを考えると怖くて、思う通りに声が出ない、ということが多々ありました。だったら考えなければいいのにと思いながらも、どうしても考えてしまう。

それはどんなに練習をしても埋められない不安と恐怖でした。

自分の心の中に、「ある」と認識してしまったものは、どんなに目を背けようとしても、自然とそこにフォーカスしてしまうものです。

畏れはどこからやってくるのか

ではその「不安と恐怖」は一体、どこからやって来ていたのでしょうか。不安と恐怖という結果があるのであれば、それを生み出すに至った原因も必ず存在するこということになります。

「つまらないライブと思われたらどうしよう」という不安や畏れ

↓↑

「つまらないライブと思われたくない自尊心」

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「自分はつまらない人間なんじゃないかという自己否定」

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「だから自分のことが嫌いと思う心」

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「自分の思う自分になれない自分に対する怒り」

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「自分の理想とする自分を求める心」

自分の不安と恐れを生み出しているプロセスを改めて考えてみると、こんな感じになりました。

原因から結果に派生していく流れは、まさに苦しみを自ら生み出しているプロセスです。しかし、これを逆に辿り、手放していけば、自ずと苦しみから開放されるプロセスにもなり得ます。

そしてこの中で特に不安や恐れの核となっているのが、まさに「自尊心」の部分。これを仏教では悪名畏あくみょうい)、誰かに悪口を言われていないか、自己の名誉(プライド)が損なわれるのではないかという不安の畏れと言います。

一見、「自尊心」は自分を大切にしているものだと思いがちですが実のところ、逆ではないかと最近実感しています。あくまでこれは私の場合ですが、自分のことを嫌いと思えば思うほど、自尊心は比例していたように思います。

自分で自分のことを嫌いだ、つまらないと思っているからこそ、他人もそう思うのだろう。だから自分のことを守らなきゃいけないという前提で私はモノを考えていました。

ですが、今の私には固執すべき自分など存在していません。常に今ある「自分」をどのように使っていくのか。そこに好きや嫌い、素晴らしい、つまらないの物差しは必要ありません。自分という与えられたモノを、どう使っていきたいか。その尺度だけで生きています。

そしてそれが私にとっての「いただいた自分を大切にする」という考え方であり、生き方です。

そうすることで、「こうあらねばならない」と自分に対し思い通りにしようとすることもなくなり、そのことで「自分に対する怒り」も消え、「こうあって欲しい」という欲も連鎖的になくなりました。

一連の不安と恐れは、全て「自分に対する執着」から生まれていたのです。

この世に当たり前のことはないけど、特別だと思うべきこともない

そしてもう一つ、不安や恐れを生まない原因となった考え方が自分の中にあったことにライブ後、気づきました。

それはライブを自分の中で「特別なもの」にしないこと、でした。今までワンマンライブ!というと、それはもう仰々しく、やると決まった日からそこに向けてヒーヒー言いながら「よし!やるぞ!やってやるぞ!」とワンマンライブを特別扱いしてきました。

ですが、それはつまり自分の中でこれはめちゃくちゃ大事だけど、これはそんなに大事じゃないという「振り幅」を作っていた、ということになります。

ワンマンライブは一例で、他にもこれは絶対失敗してはいけない仕事!みたいなものも、特別扱いといえますね。ご飯を食べて寝ることと、ワンマンライブや失敗してはいけない仕事をすること。どちらも私の人生の中で行われている「行為」に過ぎません。

この世で最初から定められている「大事な行為」や「大事な出来事」はありません。全て各々が、自分の心で「これは大事」「これは別に普通」、「これはやるの好き」、「これはやるの嫌い」などを決めているだけなのです。

そしてそれこそが、必要以上の期待や畏れ、不安、そしてモチベーションを下げる原因にもなります。それは全てパフォーマンスを下げる可能性のあるものばかりで、デメリットの方が遥かに多いといえます。

今回私は、ワンマンライブを特別扱いしませんでした。日常の中の一部と思って取り組んだのです。もちろんその前提には、ご飯を食べること、寝ること、どんな小さな仕事でも、当たり前ではなく、尊いと思い大切に向き合う心が必要です。

この世に当たり前のことがなければ、特別扱いすべき、好き嫌いを決めるべき物事や出来事もないのです。そうして振り幅を作らないことで、ただ目の前にあることに大切に、精一杯向き合うことができる状態を作り出す。

多分、その色んな条件や心の状態がはまって、今までに経験したことのない穏やかで静かな心のままステージに立つことができたのだと思います。

そして、そんな心でやったライブはミスもなく、自分至上最高のライブができたという充足感にも繋がりました。実際、過去のライブをずっとみてくださっているファンの方も「今回のライブ凄かったね!この1年で何かあったの!?」と興奮気味に言ってくださる方が本当に多かったです。

我がことながら、心の状態が変わっただけで生み出す結果が変わったことが、非常に興味深いです。

とはいえ、やはり応援してくださる皆様あってのライブであり、アーティストとしての活動、ないしは仏像オタクニストとしての活動だなあと改めて思った次第であります。

hasunohaで連載させていただいているこのコラムも、たくさんの方にご覧いただけているようで、とても励みになっています。来年も、何も特別扱いせず、どれも有難しと思い、精一杯がんばっていきたいと思います。

それでは少し早いですが、良いお年を!

文・hasunoha編集部
SALLiA(サリア)

歌手、音楽家(作詞・作曲・編曲家・音楽プロデューサー)、仏像オタクニスト 。

「歌って作って踊る」というスタイルで話題を呼び、2016年11月USEN1位を獲得。さらに4週連続トップ10入りを果たした。さらに音楽家(作詞・作曲・編曲家)として楽曲提供を行ったり、県域ラジオ局のラジオパーソナリティ、全国のフリースクールでのボランティア活動等、その活動は多岐に渡る。

幼少期よりいじめ、不登校、家庭内の不和など、様々な生きる苦しみを感じながら成長し、20歳で「仏像」と出会う。そこからずっと感じていた「どんなに過酷な状況でも穏やかに、幸せに生きる方法」を本格的に模索し始める。

そしてUSEN1位獲得の翌年、足の事故に遭うという人生最大の危機が訪れる。しかしその人生最大の苦しみがきっかけとなり、仏像だけでなく本格的に「仏教」の勉強をし、「自分で自分を救っていく方法」を発信する「仏像オタクニスト」としての活動を始めることを決意。2018年4月、本名の畑田紗李から「SALLiA」に改名。

2018年12月3日、「生きるのが苦しいなら~仏像と 生きた3285日~」を出版。紀伊国屋週間総合ランキング3位やダ・ヴィンチニュース1位など、話題を呼んでいる。

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