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仏像オタクニストSALLiAの「仏のトリセツ」vol.2 人生はいつだって無課金ガチャ。

 先月、4月11日に開催されたhasunohaさんとwithnewsさんのコラボイベント「配属でハズレくじ……経験者カツセマサヒコとお坊さんは何を語る」に参加して参りました。

 そこで「配属ガチャ(会社に入ってどこに配属されるか分からないこと)」という言葉を初めて知ったのですが、登壇者である井上広法さん、カツセさんのお言葉を借りたら会社における配属に限らず、人生はいつだって「無課金ガチャ」だよなぁ。としみじみ思ったので、今月はこのテーマで書いてみたいと思います。

生まれた時から、ガチャは始まっている

配属。よくよく考えれば、人生はまさに「配属」の連続と言えるでしょう。◯◯家の長女、とか◯◯家の次男、とか生まれながらにして私たちはそういう配属をされます。

 そして親という上司的存在から、何を求められるかで、私たちの役割や生き方は大いに変わってきます。よく親は選べない、と言ったりもしますが、それはまさに人生の「無課金ガチャ」をそのまま意味する言葉でもあると、私は思いました。

 そうして◯◯家の誰々という手持ちのカードを持った状態で、学校生活を経て、対人関係を通して、自分がどういう人間なのかを知ることで、手持ちのカードは自ずと増え、そのカードをどう使っていくのか…という連続こそが、まさに人生といえるのかもしれません。

 私たちは、常に「今あるもの」で生きていかねばなりません。そして時に今あるものを変えたくて、努力することもあります。でもその結果が、自分の思っていたものと違った時。人はどうしても絶望してしまいます。

 そうする過程で、もがいて疲れて、どうしたらいいか分からない、なんてことが私にもありました。

人生はこの世に配属された意味を見つける旅

 私はずっと子供の時から、母に厳しく育てられました。そろばん、習字、プール、ピアノ、塾、と週7日のうち週5日は全て習い事に充てられ、子供の頃、放課後に友達と遊んだことはありません。箸やお茶碗の持ち方から、作文の書き方、絵の描き方など全てにおいて完璧を求められる。

 それが母の一人娘として配属された私の役割でした。

 そうして必然的に学校でも、先生に求められるような「いい子」でいるために神経をすり減らしていました。ある日、「将来の夢を書いて提出しなさい」という授業の時、担任の先生が「学校の先生になったらいいよ」と言ったので、言われるがまま「学校の先生」と書いて提出しました。

 誰かの求める自分でいることが私の役割だと、子供の頃の私は本当に思っていたのです。そして中学生になったある日のこと。

「誰かに求められたことに応えているだけの私は、本当の私と言えるのか?」

 そんなことが頭によぎりました。求められたことのみをやるのは「支配」であって「役割を果たす」ことにはならないこと。学校へ行くことを体が拒むようになって、やっと理解出来ました。

  でもその瞬間こそが、私という人生の本当のスタートであり、そしてそれは同時に、「自分」という人間が、この世に配属された意味を見つける旅の始まりでもありました。

この世はいつも、「ままならない」

 私たちは生まれた時から、ずっと「ままならない」。持って生まれた能力、足りない能力、基礎体力、生まれる家、育つ環境、顔、姿形など、生まれた時点から定められたものは基本的にはずっと付きまといます。

 たとえ顔が気に入らなくて整形するにしても、生まれ持った顔を変えていくしかありません。だからこそ、こうなりたい。こうだったら良かったのにというものがあればある程、苦しくなります。

 紆余曲折を経て、本当の自分と出会っていく過程で大人になり、夢を見つけて、叶えた夢もあるのに、私はいつも苦しかった。いつも自分が今、持っているものに不満を抱えていました。まるで、自分が今持っているものを肯定したら負け、という勢いで。

 それは何故か。

 「今あるもの」に縛られなければならないと、ずっと思っていたからです。でも足の事故にあって、「今までずっとあったもの」が自分の体からすり抜けていった時、私は初めて「今あるもの」は「与えられていたものであった」ということを実感しました。

 そして自分を縛るのは、いつだって自分自身だということに私は初めて、自分の意思で動かせなくなった足を通して気づいたのです。

 「今あるもの」を受け入れたくなかった私は、それらを「自分を縛り付けているもの」と思ってきました。でも本当は違ったのです。

 「今あるもの」を自分にとって豊かなものにしていけるかどうか。そしてまた、それを有効に使っていけるかどうか。は自分だけに委ねられた誰にも邪魔できない、私という人生に配属されたからこそ与えられた特権なのです。

ままならないからこそ、自分に委ねられている部分

 人生は確かにままならない。でも本当に、全てがままならないのか。

 それらを探すことは自分にしかできません。自分次第で「ままなる」部分こそが、認識を生み出す「心」であります。人生に起こる全て意味がある、はかなりポジティブ過ぎるかなとは思いますが、少なくとも、自分の人生や置かれた環境を意味あるものにしてゆけるか、そしてその意味を見出すことは必ず出来ます。

 そして他ならぬ私の今を生きる喜びこそが、「自分の今あるものは、自分にとって一体どんな意味があるのか」を探すことになっています。

 与えられたもの、置かれた環境が苦しいのであれば、それがどう自分にとって苦しいのかを模索する過程で、本当に「ままならない」部分と、「ままなる」部分が分かってきます。

 そこから本当に、変えて行ける部分も見えてくるはずです。

 ままならないからこそ、今ある確かなものから、喜びを生み出していくしかありません。この世に配属された意味も、自分で見つけるしかありません。

 誰も教えてくれない、ということはあなたが見つけていいよということなのだと私は解釈しています。

 与えられた場所で受動的に生き、何もかもを諦めていた幼少期の私。そして確固たる自分を構築したことで「自我=エゴ」が生まれ、与えられた場所に満足出来なかった大人の私。今はその丁度「間」にいるような気がしています。

 そしてそんな今の自分が、今まで生きてきた自分の中で一番好きです。

仏像に見る配属の受け入れ方

仏像さんの世界にも配属も役割分担もあります。よく例えられるのが仏像のこのヒエラルキーの図。上から如来、菩薩、明王、天。よく、会社や学校に例えられるのですが、

「如来」=「社長」

「菩薩」=「部長」

「明王」=「課長」

「天部」=「係長」

 という捉え方をします。それぞれが持てる能力をフルに発揮できるところに配属されているのです。

中でも特に今回注目したいのが、「菩薩」。菩薩は如来になるため修行中の存在で、これもまた「与えられたものを有効に使うための努力」をした後、如来に転職していくというところでしょうか。

 「明王」に属する不動明王も、大日如来の部下という見方も出来ますが、私はそういった仏像さんたちの姿を見ていると、「配属された場所でしっかり輝いているな」といつも考えさせられます。

 ちなみに私はアプリゲームもよくするのですが、やはり狙いにいくと欲しいキャラはなかなか出ません。でも別に何が出てもいい、何が出ても有効に使ってみせると思うようになってからは、引きがどんどん良くなり一時期は「ガチャ女神様!」と呼ばれ、色んな人のガチャを回してきました(笑)

 実際に人生で起こる引きも良くなっていった気がします。これぞ人生の妙といいますか、本当に不思議です。

 たとえ出たものが不発でも、ガチャを回した自分のことを誇りに思えるかどうかもまた自分次第。何が出るかわからない。何が起こるかわからない。だから人生は楽しいなんて全然思えないけど、苦しいとも思う必要もないと私は思うのです。

 今あるものは、明日突然失くなるないかもしれない。でも、明日急に増えるものもあるかもしれない。今あるものを実感して、その確かさを楽しんで、有難がっているうちに、今日という日がいつしか終わるようになりました。

 だから明日も、そんな「無課金ガチャ」を楽しめる自分でいたい!そう強く思う5月の私なのでした。

hasunohaとwithnewsのコラボイベント
就活に成功、でも配属で「ハズレくじ」人気ライターと僧侶が語り合う

文・hasunoha編集部
SALLiA(サリア)

歌手、音楽家(作詞・作曲・編曲家・音楽プロデューサー)、仏像オタクニスト 。

「歌って作って踊る」というスタイルで話題を呼び、2016年11月USEN1位を獲得。さらに4週連続トップ10入りを果たした。さらに音楽家(作詞・作曲・編曲家)として楽曲提供を行ったり、県域ラジオ局のラジオパーソナリティ、全国のフリースクールでのボランティア活動等、その活動は多岐に渡る。

幼少期よりいじめ、不登校、家庭内の不和など、様々な生きる苦しみを感じながら成長し、20歳で「仏像」と出会う。そこからずっと感じていた「どんなに過酷な状況でも穏やかに、幸せに生きる方法」を本格的に模索し始める。

そしてUSEN1位獲得の翌年、足の事故に遭うという人生最大の危機が訪れる。しかしその人生最大の苦しみがきっかけとなり、仏像だけでなく本格的に「仏教」の勉強をし、「自分で自分を救っていく方法」を発信する「仏像オタクニスト」としての活動を始めることを決意。2018年4月、本名の畑田紗李から「SALLiA」に改名。

2018年12月3日、「生きるのが苦しいなら~仏像と 生きた3285日~」を出版。紀伊国屋週間総合ランキング3位やダ・ヴィンチニュース1位など、話題を呼んでいる。

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