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仏像オタクニストSALLiAの「仏のトリセツ」vol.10 生きづらさ万歳!と言える世の中になってもいいじゃん?

皆様、明けましておめでとうございます。

例年、地味な年越しばかりをしていたものですから、今年は生まれて初めてカウントダウンライブなるものに行ってきまして、最高に楽しい年越しをさせていただきました。

いくつになっても、生まれて初めてのことをするのはいいなあ。今年はたくさんの「生まれて初めて」を体験したいなあ、なんて思いながら2020年を迎えたわけですが…

昨年末の12月21日に、私の2冊目の著書となる「アラサー女子、悟りのススメ。」という本が無事、出版となりました。

タイトルの通り、ズバリ「アラサー女子」の生きづらさをテーマに書いた1冊でございます。実在する22箇所の仏像さんを紹介しながら、仏教の考え方を通して、婚活疲れやマウンティング、仕事や結婚、出産、アンチエイジングなどのアラサー女子が直面している「生きづらさ」を乗り越えていこうという内容になっております。

今回のコラムは、その「生きづらさ」に少しフォーカスして書いてみたいと思います。

生きづらさの元になるのは「違和感」

特に今回、「アラサー女子、悟りのススメ。」を書く中で、具体的な項目を挙げる際、自分が今まで感じてきた「違和感」から探し始めました。

私が生まれて初めて、違和感を感じたのは小学生3、4年生の時でした。

小学3、4年生ぐらいになると、学校で調理実習や裁縫などが授業のラインナップに入ってくる時期です。

私は祖母と一緒に暮らしていたのですが、祖母はいわゆる「女は家庭に入るのが一番幸せ」とか「女なんだから料理とか裁縫とかはできた方がいい!」という昔気質の女性でした。

もちろんそういった考え方を否定する必要はありませんが、当時の私は「料理と裁縫、そりゃできた方がいいけど、女だからっていうのが理由にならなくない?だったらなんで、男も一緒に調理実習とか裁縫の授業受けるの?」なんて素朴な疑問を祖母にぶつけました。

すると祖母は「だってそういうもんだから。」というだけで、結局欲しい答えは得られないまま、私の違和感はますます膨れ上がりました。一方私の母は、バリバリ働くのが好きで、料理も嫌いで、祖母の言うことには毎回「女だからってそういう考え方するの無理!」って言っているほど、両極端な二人でした。

だけどそのどちらにも共通するのが「女であるから」という言葉でした。

祖母は「女であるからこうあるべき」といい、母は「女であるからに縛られたくない」と言っています。

どちらも両極端な意見のように感じますが、「女であるから」という考え方に縛られている部分では同じだと私は感じていました。

だからこそ、私が感じていた違和感はまさにそこにあったのです。「バリバリ働きたい」ことも、「家庭に入りたい」も、「料理が好き」も「料理が嫌い」も別に「女であること」を必要以上に関連づける必要はないのではないか?そう思っていました。

しかし、そう思う私の方がマイノリティーであって、女に生まれてきた以上、そこに「縛られなければならない」と思っている人の方が、圧倒的に多数であることも分かっていました。

そうして、時を経てその「違和感」が27歳ぐらいになって、現実的に周りが結婚、出産していき、自分がいよいよ「マイノリティー」なんだと実感していくときに「生きづらさ」に変わったのです。

生きづらくって当たり前じゃない?

女性としての生き方における「生きづらさ」だけでなく、私は様々な「生きづらさ」を実感し、体感して生きてきました。だからこそ、「生きづらさ」を感じている自分が恥ずかしくて、情けなくて、なんかもうめちゃくちゃダサいな。消えちゃいたいな、と思うことが、しばしばありました。

だけど、紆余曲折あって、仏教と出会ってあのお釈迦さんも「生きづらかったんだ」ということを知ったとき、なんというか、ものすごく肩の荷が下りたのです。

私にとってお釈迦さんがおっしゃってくださった「一切皆苦」は、まるで「生きづらくって当たり前だよね!だって人間だもん!」と言っているかのようでした。

そして同時に、「でもその生きづらさが何よりもの、ヒントであり、答えにたどり着くための鍵じゃないの?」と言われているようでもありました。

国語や数学の文章問題を解くときに、家庭教師の先生に「必ず問題の文章の中に、答えにたどり着くためのヒントが隠されてる」と言われたことも思い出しました。

世の中には「鈍感でいた方が幸せになれる」とありますし、確かにそれも一理あるとも思います。しかし、「何も感じない人は、幸せすらも感じられないんじゃないか?」とも思うのです。

鈍感であるが故に、人に嫌われ続けたり、迷惑をかけ続けていたら、それは常に何かを失いながら生きているのと同じではないでしょうか?

問題を問題と認識して初めて、答えにたどり着くために道が作られていく。

「違和感」は確かに「生きづらさ」に変化します。だけど、「生きづらさ」は「生きやすさ」にたどり着くためのヒントにもなり得るし、「生きやすさ」に進化する可能性も秘めていると言うことになると私は思うのです。

生きづらさ万歳!生きづらさを誇れる時代に

私が子供の頃に感じた違和感は、大人になって確かに生きづらさに変わったけれど、でもだからこそ、違和感を感じる度に、今自分はどこに立っていて、何者でありたいのか、そして何がしたいのかを確認するきっかけになりました。

私は元不登校児として、フリースクールやサポート校などで講話とライブというボランティア活動を不定期でさせていただいているのですが、そこで出会う子供たちは皆、「社会や家庭に対する違和感」や「生きづらさ」を抱えています。

そうしてその「違和感」と「生きづらさ」の結果、「不登校」というアクションを起こし、そしてそれを恥じるべきこと、と大人や周りに言われて苦しんでもいます。

しかし私は、それは本当に「恥じるべきこと」なのか?と思います。ただ怠けたくて学校に行かないだけなら、もちろん恥じるべきですが、不登校児の大半は「本当ならちゃんとみんなと同じように学校に行きたい」と思っています。

であれば、「違和感」を感じられるほど、心をちゃんと動かし、その「生きづらさ」を無視せず、「不登校」という選択を選んだことを誇りに思っていいと私は思いますし、実際にそう伝えています。

そしてあなたの感じたその「違和感」や「生きづらさ」は、未来の可能性に転じる「可能性」がある、という風にもお伝えしています。

生きづらさや、社会とのズレや違和感を恥じたり、自分の内に攻撃を向けなくてもいい。人間だからこそ、生きづらくて当たり前という大前提もある。

でもだからこそ、その「違和感」や「生きづらさ」こそが、私にとってのクリエイティブのモチベーションにもなっていますし、新たな時代のニーズを生み出す可能性だって秘めているのです。

少なくとも、小学生の時感じたあの「違和感」が、私に「アラサー女子、悟りのススメ。」を描かせてくれたんだと思うと、それだけでめっちゃ「未来の可能性」じゃないですか!?

生きづらさを恥だと思う時代は、もう古い。生きづらさを感じられた自分は、人間として必要な過程を踏んでいる、と気づくところから、「生きやすさ」への道は始まるのではないでしょうか?

ポケモンと同じように、必要な経験値を稼ぎ、一定のレベルになれば進化できるように、違和感→生きづらさ→生きやすさに必ず進化させられるはずです。

知らぬ間に、心のBボタンで進化キャンセルしないように、私もメガシンカ目指していきたいと思っております。

あ、手前味噌でございますが、アラフォー、アラフィフ、アラカンの皆様にもご好評いただいている「アラサー女子、悟りのススメ。」是非お手にとって頂けますと幸いです。(土下座

SALLiA2冊目の著書「アラサー女子、悟りのススメ。」絶賛発売中!

アラサー女子、悟りのススメ。

『恋愛に』『仕事に』『人の噂に』・・・様々な事で思い悩むのが人の常。
そんな悩みに仏像を通して生きるヒントを提案する一冊です。

古来より人々を救い、癒やしてきた「仏像」や「仏教」で日々抱える悩みや苦しみから解脱(煩悩の束縛から解放され、自由で安らかな悟りの境地に達すること)しましょう。

悩んだら、会いに行け‼
いざ、仏像パワースポットめぐりへ‼

仏像のある寺社マップもあるので、仏女の皆様にもオススメです。

~楊貴妃は、誰よりも「愛されていた」。
でも、誰よりも愛する人を「愛していた」。(本文より)~

SALLiAが講師を務める「仏と寺子屋会」のお知らせ

今月のテーマ「畏れは何から生まれるか?」

日時:2020年1月26日(日)13:30〜15:00

場所:豊川稲荷東京別院

参加費:¥1,000

お申し込みはこちらから

文・hasunoha編集部
SALLiA(サリア)

歌手、音楽家(作詞・作曲・編曲家・音楽プロデューサー)、仏像オタクニスト 。

「歌って作って踊る」というスタイルで話題を呼び、2016年11月USEN1位を獲得。さらに4週連続トップ10入りを果たした。さらに音楽家(作詞・作曲・編曲家)として楽曲提供を行ったり、県域ラジオ局のラジオパーソナリティ、全国のフリースクールでのボランティア活動等、その活動は多岐に渡る。

幼少期よりいじめ、不登校、家庭内の不和など、様々な生きる苦しみを感じながら成長し、20歳で「仏像」と出会う。そこからずっと感じていた「どんなに過酷な状況でも穏やかに、幸せに生きる方法」を本格的に模索し始める。

そしてUSEN1位獲得の翌年、足の事故に遭うという人生最大の危機が訪れる。しかしその人生最大の苦しみがきっかけとなり、仏像だけでなく本格的に「仏教」の勉強をし、「自分で自分を救っていく方法」を発信する「仏像オタクニスト」としての活動を始めることを決意。2018年4月、本名の畑田紗李から「SALLiA」に改名。

2018年12月3日、「生きるのが苦しいなら~仏像と 生きた3285日~」を出版。紀伊国屋週間総合ランキング3位やダ・ヴィンチニュース1位など、話題を呼んでいる。

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