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仏像オタクニストSALLiAの「仏のトリセツ」vol.5 ゆとりのさとり

「令和」という新しい元号に変わってから、早3ヶ月。令和には慣れたでしょうか?初めて令和という字を自分の生活の中で認識したのは、歯医者から出た領収書を見た時でした。

そんな今回のテーマ。

ズバリ「ゆとりのさとり」でございます。

まだまだ続くと思っていた平成の世が終わる。これは私にとって、青天の霹靂でした。何を隠そう、私は平成元年生まれ。お腹の中に入った時は「昭和」、生まれた時は「平成」という、「平成と昭和のあいだ」に生まれたのです。そして予期せず、平成と共に20代も終えることにもなりました。何だか寂しくもあり、希望を感じる部分もあり、元号が変わると聞いてからはとにかくどこか複雑な想いを感じていました。

平成という時代は、皆さんにとってどんな時代だったでしょうか?

様々なメディアで平成を振り返っていましたが、平成という時代しか生きたことのない私にとっては、「平成」がいい時代であったのか、それとも他の時代と比べると良くない時代だったのかが、分かりませんでした。

時代には時代の苦しみがある

そんな平成生まれの私が、言われてきた言葉があります。

「昭和の時代はよかった。平成生まれは可哀想」

「今の子は物がたくさんあって、戦争もなくて幸せだね」

平成という時代にただ生まれただけで、可哀想と言われたり、幸せだと言われたり。そう言われてしまうと、一体どの時代に生まれるのが「本当に幸せ」だったのか、と10代の頃、そこそこ悩んでしまったこともあります。

私の初著を読んでくださった方はご存知かと思いますが、私は幼少期から、いじめや家庭内の不和、不登校、レイプ未遂などを通して様々な「生きる苦しみ」を感じてきました。だからこそ、「戦争もない、生きる苦しみを感じるはずのない時代に生まれたのだから、幸せだろう。」と大人たちから言われる度、どこかいつもモヤモヤしていたのです。

もちろん、戦争という生きることが困難な壮絶な経験をしたからこその、命や日常の尊さが語れるというのもよく分かります。その壮絶さは、体験した者にしか分からないでしょう。でも、平成に生まれた私たちも、物には恵まれ、便利にもなったけれど、そのことで生まれる「苦しみ」もありました。

核家族という言葉が生まれ、孤独な子供が増え、バブルが崩壊し、失業率は上がり、生活への不安は常になる。さらにネットというものが発達したからこそ、ネットを通して「心の戦争」が行われるようになった。知らない人と簡単に繋がれる分、深く繋がることが怖くなった。

生死に関わるものだけが、本当の「生きる苦しみ」なのか?

戦争が、「昭和」という時代の苦しみとするなら、心の虚無感を感じてしまう時代の流れこそが、「平成」という時代の苦しみと言えるのではないか?

生きること全てが苦しみ

お釈迦さんの軸となっている教えの一つに「一切皆苦」というものがあります。「生きることの全てが苦しみである」ということにお釈迦さんは気づき、そこから様々な答えを導き出してゆきました。きっとその答えを求めていたということは、誰よりもお釈迦さんが「生きることへの憂い」を抱えていたのでしょう。

そしてこの言葉の肝って、「生きることの全てが苦しみである」という「全て」というところ。

つまり「時代」にも「環境」によって、差異があるわけはなく、「一切皆苦」は時間と同じように「平等」であるということ。

生きることが苦しみである、ということを知って私たちは初めて「生きる」スタートラインに立てるし、そう感じることがある意味での「人間らしさ」とも言えるかもしれないのです。

もし、生きる苦しみが「時代」や「環境」「身分」によって左右されるものならば、お釈迦さんはそういう「言い方」をしていたでしょう。だからこそお釈迦さんは、仏教を男でも女でも、奴隷でも、王様でも等しく平等のものであるとしたのでしょう。

「一切皆苦」という言葉に出会った時、かなりホッとしました。平成という時代に生まれた罪悪感から、まるで解放されたような気持ちになりました。。     

ゆとり世代の悟り

「苦しみ」があれば、生まれるのが「悟り」。苦しみからの解放こそが「悟り」ですが、苦しみがあるからこそ、悟りがある。苦しみはいわば、「悟りへのチケット」だと私は思っています。

そして、平成に生まれた私たちを称する、不名誉な言葉があります。

「ゆとり世代」という言葉。

その言葉に、私たちを揶揄するような意味合いが込められるようになったのは一体いつからだったでしょうか?

「ゆとり世代」は、1987年から2003年までに生まれた世代を、そう呼びます。いわゆる円周率が3.14から3になったり、週休2日制になったりしたのが、ゆとり教育と呼ばれるものに該当します。

円周率をどうするか騒いでいた時が、小学5年生の時。そして土曜日の授業が無くなったのが、中学1年生の時でした。

子供達のために、もっとゆとりのある教育を!なんて、お偉い方々は言ってくれていたけれど、当の本人たちは、「円周率、3.14でも全然いいよね。3で計算とかぬるすぎて、つまらんよね。」なんて言っていたものです。

ゆとりの代わりに求められたのは「個性」で、まだ自分が何者かも分からない、何者になりたいかも分からない私たちにとっては、非常に酷なものだったな、と大人になった今になってしみじみ思ってしまうのです。

そんな当人たちの心中など露知らず、ゆとり教育は施行され、年齢をいう度に「出た!ゆとり世代!」なんて言われるようになってしまったのです。誰かが決めたことで、勝手に一纏めにして揶揄される。この「ままならない」感じ。

この「ままならなさ」は「苦しみの本質=煩悩」。一時期は私も、「別に私たちのせいじゃなくない!?」なんてムッとしていたけれど、最近はゆとり世代であることを楽しめるようになっていきました。

だって、ちゃんと仕事して、真面目にやっているだけで評価が勝手に上がるのです。マイナスイメージから始まっている分、頑張ればその分評価が跳ね上がります。やらしい言い方をするならば、ゆとり世代のマイナスイメージを利用する方法です。

あれ、これ逆にラッキーじゃない?

ゆとり世代であることを受け入れることで、メリットにも気づくことができる。だからそれを、最大限利用することもできる。これはきっと、ゆとり世代にしか得られない「気づき」であり、ゆとり世代として生きる「覚悟」であるとも思います。

平成という時代が良い時代であったのかは分かりませんが、平成に生まれたからこその苦しみがあり、同時に得たものもあるので、やはり私は平成に生まれて良かったと思います。

可哀想か、幸せか、それを本当に決められるのは「自分」しかいません。

だからこそ、令和に生まれ来る新たな命が、その時代に生まれてきたことを良かったと言えるような時代に出来るのも、私たちに与えられた特権なのかもしれないと今、強く感じています。

仏の彼方へ ~ミスチルに学ぶ菩薩の生き方~

SALLiA(サリア)と浄土真宗僧侶 釈順正の対談イベントのお知らせ

音楽を通して仏教の心に触れる入門講座。「仏像オタクニスト」として活動も行なう、歌手・音楽家 SALLiA(サリア)が登壇。クラプトンなら「Tears in 浄土」、オアシスなら「So I start a revolution from my 穢土」…? 今回はなんと、ミスチルを大乗菩薩道として解釈していきます。さぁ、あなたも一緒に掌を合わせましょう。縁起の世界、奇跡の地球。

日時:8月29日(木)19:00〜20:30
場所:築地本願寺 銀座サロン(東京都中央区銀座2-6)
受講料:1,000円

お電話かフォームより予約ください

電話:0120-792-048(予約コンタクトセンター 9:00〜17:00)
築地本願寺サイトフォームから申し込む

文・hasunoha編集部
SALLiA(サリア)

歌手、音楽家(作詞・作曲・編曲家・音楽プロデューサー)、仏像オタクニスト 。

「歌って作って踊る」というスタイルで話題を呼び、2016年11月USEN1位を獲得。さらに4週連続トップ10入りを果たした。さらに音楽家(作詞・作曲・編曲家)として楽曲提供を行ったり、県域ラジオ局のラジオパーソナリティ、全国のフリースクールでのボランティア活動等、その活動は多岐に渡る。

幼少期よりいじめ、不登校、家庭内の不和など、様々な生きる苦しみを感じながら成長し、20歳で「仏像」と出会う。そこからずっと感じていた「どんなに過酷な状況でも穏やかに、幸せに生きる方法」を本格的に模索し始める。

そしてUSEN1位獲得の翌年、足の事故に遭うという人生最大の危機が訪れる。しかしその人生最大の苦しみがきっかけとなり、仏像だけでなく本格的に「仏教」の勉強をし、「自分で自分を救っていく方法」を発信する「仏像オタクニスト」としての活動を始めることを決意。2018年4月、本名の畑田紗李から「SALLiA」に改名。

2018年12月3日、「生きるのが苦しいなら~仏像と 生きた3285日~」を出版。紀伊国屋週間総合ランキング3位やダ・ヴィンチニュース1位など、話題を呼んでいる。

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