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仏像オタクニストSALLiAの「仏のトリセツ」vol.11 満たされてるのが、満たされない。

突然ですが、私、来月誕生日を迎えます。そこで母から「何か欲しいものあるー?」なんて聞かれたのですが、どんなに考えても「欲しいもの」が見つからない。

そうです。私、最近めっきり「物欲」が無くなってしまいました。

さらに年始に断捨離もして、スッキリ。

その過程も含めて、色々な気づきがあったので、今回はそのことをコラムに書いてみたいと思います。

必要最低限で生きると、それだけで日常が楽しい

ミニマリストという言葉や、「フランス人は服を10着しか持たない」という本が流行ったりと、最近は「ものを持つ負担」から解放されようとする流れが顕著です。

流行りに便乗するみたいで気が引けますが、かくいう私も「ものを持つ負担」と「欲する疲労」から解放されたくなった一人。

年始に断捨離をしたのも、今の私に本当に必要で大切だと思えるものだけに囲まれて生活したいな~と思ったからです。

それまでの私は、欠けたコップをそのまま使っていたり、高校時代の穴が開いたジャージを部屋着にしてそのまま寝たりと、かなり「適当」に暮らしていました。

身に付ける物というのは、「その人そのもの」を自ずと表してしまうものだと思います。

何故なら自分がいいなと思ったからこそ、手に入れているわけであり、そして縁があるから、与えられているとも考えられるからです。

そしてその物を大切にするということは、自分を大切にするということにも繋がります。

断捨離の目的はまさに、そこにあるのではないでしょうか?

断捨離を「とにかく捨てること」と勘違いして、捨ててしまったことを後悔している人がいるというのをよく耳にしますが、断捨離のゴールは「何が自分にとって本当に必要な物なのかを整理する」ということだと思います。

置いておくことを負担に思うものだけ、捨てるべきであり、その過程で「今の自分」の輪郭が見えてもくるでしょう。

そうして選りすぐられた最低限の「物」と暮らしているうちに、自ずと丁寧に暮らすことを心がけるようになりました。さらにはそうやって丁寧に暮らすのが楽しい、とさえ感じるようにもなりました。

満たされない心は、どう表れるか

そんな私も一時期、買っても買っても、全く満たされないと思っていた時期がありました。卵が先か鶏が先かと言わんばかりに、買うから満たされないのか、満たされないから買うのか、よく分からないという様相を呈していたのです。

求める心、執着、満たされない心のことを「貪」と言いますが、まさに私の心は「貪」一色だったと言えます。

しかし今の私は一転して、物欲が消え失せてしまいました。何故なら心が満たされていて、もうこれ以上何も求める必要もないと感じているからです。

生活の状況や環境などが変わったわけではありません。ただ、私の心が「満たされている」と思えるようになったからというだけです。

世界でいちばん貧しい大統領と呼ばれたウルグアイのホセ・ムヒカ前大統領が、とある国際会議のスピーチでこんな言葉を残しています。

「貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

つまり、本当の貧しさとは「満たされていないと『思う心』」。

そして逆説的に言えば、「満たされていない」と思うからこそ「目の前に与えられたものを大切にできない」ということになります。

過去の私は、本当の「満たされる」が何かもわかっていなかった上に、自分で自分の心の満たし方がわからないからこそ、安易にものを買って、表面的に満たそうとしていただけに過ぎませんでした。

例えどんなに満たされていても、心が満たされていると認定しなければ、その人にどれだけ物を与えても、永遠に「満たされる」ことはありません。

満たされたいと思うならば、「自分は満ち足りている(満足)」と思うしかないのです。

ものを大切にすることは執着とは違う

仏教ではよく「執着」は悪しきものだと言われます。求める心があるからこそ、得られない時それは苦しみに変わる、というのはシンプルながらも皆さんも良く理解できるでしょう。

では、「ものを大切にする」ことは「執着」になるのか?

という問いに対しては、答えは「ノー」だと思います。

十分に与えられているのに、それでも足らずに求めてしまうことは「執着」であり、「煩悩」であると言えるでしょう。しかし「ものを大切にする」ということは、今与えられているものに感謝し、敬意を払っているからこそ、これ以上を求める必要がない、という境地だと思います。

「当たり前のように求めたら手に入る。」という慢心や、「物が溢れ、満たされている環境」こそが、苦しみを生み出す「煩悩」でもあり、「執着」の進化系でもあるのではないでしょうか?

とはいえ、欲しいものはないけれど一応、誕生日プレゼントのお金だけは母からもらおうとは思っています。(台無し

漫画家「wako」先生とのトークイベント開催決定

■開催日時

2020.2.16(日)14時00分~15時30分 (開場13時30分)

■場所

TSUTAYA桜新町店

■参加方法
下記①②のいずれかの条件を満たし、ページ下にある「予約はこちら」ボタンからWEB申し込みされた方、先着40名
①TSUTAYA桜新町店にて「サチコと神ねこ様3巻」または「アラサー女子、悟りのススメ」をイベント前までにご購入いただける方
②参加費1,000円(税込)を当日店舗にてお支払いいただける方

・WEB申し込みは2/1(土)0時より開始します
・会員以外の方でもお申込いただけます
・イベント開始までに1階書籍売場にて書籍をご購入または参加費をお支払いの上、2階にお越しください。
・イベント開始時に①②どちらかのレシートを提示いただきます。

ご予約はこちらから

https://tc.tsite.jp/2228/event/2020/01/event-0216sachikami.html

トークショーで聞きたい質問や、メッセージも下記から募集中です

https://forms.gle/7VvpHzmb34Q1jiGY9

 

SALLiAが講師を務める「仏と寺子屋会」のお知らせ

今月のテーマ「正しさを何のために使うのか?」

日時:2020年3月23日(日)13:30〜15:00

場所:豊川稲荷東京別院

参加費:¥1,000

お申し込みはこちらから

文・hasunoha編集部
Profile sallia
SALLiA(サリア)

歌手、音楽家(作詞・作曲・編曲家・音楽プロデューサー)、仏像オタクニスト 。

「歌って作って踊る」というスタイルで話題を呼び、2016年11月USEN1位を獲得。さらに4週連続トップ10入りを果たした。さらに音楽家(作詞・作曲・編曲家)として楽曲提供を行ったり、県域ラジオ局のラジオパーソナリティ、全国のフリースクールでのボランティア活動等、その活動は多岐に渡る。

幼少期よりいじめ、不登校、家庭内の不和など、様々な生きる苦しみを感じながら成長し、20歳で「仏像」と出会う。そこからずっと感じていた「どんなに過酷な状況でも穏やかに、幸せに生きる方法」を本格的に模索し始める。

そしてUSEN1位獲得の翌年、足の事故に遭うという人生最大の危機が訪れる。しかしその人生最大の苦しみがきっかけとなり、仏像だけでなく本格的に「仏教」の勉強をし、「自分で自分を救っていく方法」を発信する「仏像オタクニスト」としての活動を始めることを決意。2018年4月、本名の畑田紗李から「SALLiA」に改名。

2018年12月3日、「生きるのが苦しいなら~仏像と 生きた3285日~」を出版。紀伊国屋週間総合ランキング3位やダ・ヴィンチニュース1位など、話題を呼んでいる。

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