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仏像オタクニストSALLiAの「仏のトリセツ」vol.12 私たちは今、「人」と言えるか?

世界は今、コロナウィルスの話題で持ちきりです。それに伴い、日本ではデマに踊らされ、トイレットペーパーが無くなったり、マスクが高額転売されたり、政府の対応に批判が出たり、コロハラという言葉が生まれるほど、恐れや不安、行き場のない苛立ちや鬱憤が蔓延しています。

デマに踊らされている日本人て本当、しょうもない。と一蹴するのは簡単です。だけれど、自分はそんなアホな人とは違うと思うことが何よりも危険なことだと私は思います。何故、そんな風に踊らされてしまうのか、不安に飲み込まれてしまうのか。

それを考えなければ、本当の不安を脱する状態には辿りつけないと思います。

そんな今だからこそ、考えなければならないことがあるのではないでしょうか?

本当の恐れなければならないこと

人を死に追いやるものは、なんでも怖いです。災害、病気、怪我、未知のウィルス…。防げるものならどれも防ぎたいと思うのは、人間ならば当たり前のことだと思います。

しかし、それ以外に「人としてのあり方」という意味での「人の死」というものがあると私は思っています。

それは「自分さえ良ければいい」という独りよがりな生き方をしている時。

何故なら、そんな心こそが「人災」という新たな災いを生むからです。

コロナウィルスの検査を拒否する人、デマに踊らされて無益にトイレットペーパーを買い占める人、マスクを転売する人、コロナウィルスをばら撒くぞと外に出た人…

それだけでなく、くしゃみや咳をしている人に対し、謝罪を要求したり、電車で絡まれ怖い想いをしたり…。

これを人災と言わずして、何と言うでしょう。

だけれど、情けない、私はそんなことなどしない。私はこんなことをする人間とは違う。と思うことが、冒頭でも書いた通り、とても危険なことだと私は思っています。

最近、電車に乗った際、隣の人が咳をした時、やっぱり頭によぎりました。

「この人がコロナウィルスにかかっていたらどうしよう。」と。

その瞬間、私は自分のことが世界で一番可愛いと思っていたのでしょう。だから、そんなことを思うのです。もちろん、自分を守ることは家族を守り、またその先にいる人を守ることにもなります。

ですが、そんな高尚な理由ではなく、その瞬間は「自分はかかりたくない」という自分可愛さ、エゴが私にそう思わせたのです。私だって、コロナウィルスの検査を拒否する人、デマに踊らされて無益にトイレットペーパーや買い占める人、マスクを転売する人、コロナウィルスをばら撒くぞと外に出た人と、もしかしたら何ら変わらないのかもしれない。

なぜ、私は隣にいる人を真っ先に心配できなかったのだろう。

とても自分が恥ずかしくなりました。

撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ

六道という、輪廻転生を繰り返す6つの世界があると仏教では言われています。その中には「畜生道」という世界があり、これは一見、動物がいる世界と思われている方も多いようですが、実のところ、畜生道は「人間として許しがたい行為や生き方」をした人間が行ってしまう世界とも言われています。

畜生道がどんな世界か。

「強弱たがいに危害を加え、相手を飲み込んだり、食い殺したりして、しばらくでも安らかであったためしがない。昼も夜も常に恐怖心を抱いている」(往生要集)源信より

これはつまり、自分のことだけ考えて、自分以外の誰かを傷つけることも厭わない。だけれど、人にそれをするということは、自分もそれをされてしまうのではないか、という恐怖心とも戦わなくてはならないということになる。

安らかでいられない状態を自分で作り出してしまう状態こそが、「畜生道」の生き方という解釈になるのでは、と私は感じました。

アニメ「コードギアス反撃のルルーシュ」の中で、「撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ」というセリフがありますが、

撃たれる覚悟がないのに撃ってしまった人間は、撃たれる恐怖に怯えながら暮らさなくてはならないと同義ではないでしょうか?

安らかでいたいと思うために、本来の安らかさとは反対方向のアクションを起こしてしまう。それがまさに、デマに踊らされて無益にトイレットペーパーや買い占める人、マスクを転売する人、コロハラする人に該当する気がしてなりません。

恐怖が愚痴を生み、無慚愧を生み、人間らしさを損なわせる

源信はさらに、「一切の恐畏は、みな我見より生ず」と言いました。「我見」は「我執」とも言い換えられ、自分中心の狭い考えや、偏った見方のことを指します。

つまり、自己中心的な、自分さえ良ければいいという生き方が「愚痴」を生み、さらにそれが「無斬鬼」の状態を生むと言われています。

慚愧とは、自分の言動や行いを常に省み、恥ずかしく思いながら生きること。

自分さえ良ければいい、自分が一番可愛い、または可哀想。だから当然愚痴ってもいい。

そんな傲慢さに侵された状態を「無慚愧」といいます。

先ほど書いたように、「私はそんなことなどしない。私はこんなことをする人間とは違う。」という考えもまた、「無慚愧」に該当すると私は解釈しています。

さらに涅槃経では、そんな無慚愧状態を、「そんなのは人じゃなくて、畜生だ」とまで言っています。

本当の安心は、環境や状況によって生まれるものではありません。

環境や状況に左右されない「状態」は「心」によって決まります。

世の中がどんなに混乱極まろうと、それが「人としての尊厳」を失わせる理由にはなりません。

ましてや、お互いがお互いを傷つけあっていい理由にもなりません。自分を守ることと、誰かを傷つけることは同義ではないからです。

もちろん、現実的に今の状況と向き合い、必要以上にパニックになる必要もなければ、楽観する必要もないと思っています。

ですが、こんな時だからこそ、自分以外に矛先を向け、これ以上「人災」を増やすことに何の意味があるでしょうか?

「不安」や「恐怖」を生み出すのは、いつでも「人の心」です。

そして誰かを「安心」させられるのも「人の心」です。

私たちはもしかしたら、人としてのあり方を問われているのかもしれません。

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文・hasunoha編集部
Profile sallia
SALLiA(サリア)

歌手、音楽家(作詞・作曲・編曲家・音楽プロデューサー)、仏像オタクニスト 。

「歌って作って踊る」というスタイルで話題を呼び、2016年11月USEN1位を獲得。さらに4週連続トップ10入りを果たした。さらに音楽家(作詞・作曲・編曲家)として楽曲提供を行ったり、県域ラジオ局のラジオパーソナリティ、全国のフリースクールでのボランティア活動等、その活動は多岐に渡る。

幼少期よりいじめ、不登校、家庭内の不和など、様々な生きる苦しみを感じながら成長し、20歳で「仏像」と出会う。そこからずっと感じていた「どんなに過酷な状況でも穏やかに、幸せに生きる方法」を本格的に模索し始める。

そしてUSEN1位獲得の翌年、足の事故に遭うという人生最大の危機が訪れる。しかしその人生最大の苦しみがきっかけとなり、仏像だけでなく本格的に「仏教」の勉強をし、「自分で自分を救っていく方法」を発信する「仏像オタクニスト」としての活動を始めることを決意。2018年4月、本名の畑田紗李から「SALLiA」に改名。

2018年12月3日、「生きるのが苦しいなら~仏像と 生きた3285日~」を出版。紀伊国屋週間総合ランキング3位やダ・ヴィンチニュース1位など、話題を呼んでいる。

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