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仏像オタクニストSALLiAの「仏のトリセツ」vol.13 「自分よりも大切な存在はありますか?」

私が今回、皆さんに問いたいこと。

それは

「自分よりも大切だと思える存在が、あなたにはありますか?」

です。

決して、そういう存在がいないから悪いということではありません。ただ、「自分よりも大切だと思える存在」が何を与えてくれるのか。

その実感こそが、今この瞬間を生き切るヒントになるかもしれない。

そう思い、今回はこのテーマでコラムを書いてみたいと思います

大切な人のために生きること=自分のために生きること

私はずっと「いつ死んでもいい」と思って生きてきた人間でした。元々、生に対する執着がなかった方なのかもしれませんが、今思えば、過去にそう思っていたのは「別にいつ死んだって一緒」というどこか投げやりな気持ちがあったのかもしれません。

その時の私に、「自分の命よりも大切だと思える存在」などいませんでした。

私を大切に思ってくれる母や、友達、一緒にお仕事をしている方々がいるにも関わらずです。

言葉ではいつ死んでもいい、と言いつつ、その言葉の裏に隠された本当の想いは「自分しか大切だと思えないこんな自分なら、生きてる価値がない」ということだったと思います。

その証拠に、自分よりも大切だと思える存在を実感できなかった時が、一番生きてても仕方がない、生きているのが苦しいと思っていました。

そんな時を経て、今私はこう思っています。執着という意味ではない「失いたくない人」が私を唯一「人間たらしめてくれる」存在である、と。

何より、その存在こそが私に想像力を与え、慎重さを与え、恐れを与え、慈しみを与えてくれました。

自分の命よりも大切だと思える存在を知った時、私は初めて「自分」が生きている実感を感じ、そして今まで生きてきたことの喜びを感じることができたのです。

さようならを言えることって尊かったんだ

今回このテーマでコラムを書こうと思ったきっかけは、「志村けんさんの死」です。

志村けんさんが亡くなったことだけでも十二分にショックですが、それ以上にショックだったのは、ご遺族が志村けんさんの死に顔も見れずに、ご遺体とも会えずにお別れせねばならなかったという事実です。

愛する人や親、友達、仕事関係の方々…今まで当たり前だと思っていた人たちに急に会えなくなるかもしれない。お別れも言えずに、死に顔も見れずに、永遠のさようならをしなければならないかもしれない。

私たちは今、そんな世界に生きているのです。

大切な人に「ありがとう」と「さようなら」を当たり前のように言えていた、あの世界。

大好きな祖母が亡くなった時、一生この感触を覚えていられるようにと、冷たくなった頬を何度も触ることができたことが、本当にとても尊くて、幸せなことだったのだと今、初めて心の底から思っています。

思い残すことのない祖母との別れは、今も私を強く奮い立たせてくれます。しかし、もしちゃんとした「ありがとう」も「さようなら」も言えない別れだったなら…?

もし、自分がお別れもちゃんとできない形で死んでしまったら、私のことを大切に思っている人に、一生残る傷を負わせてしまう。

もし、私が自分よりも大切だと思う人と、そんな別れ方をしなくてはならなくなったら…。

私には死ぬことよりも、そっちの方がよっぽど怖いことだと感じたのです。

共に生きるということ

私にその「恐怖心」を与えてくれたのは、「想像力」であり、その想像力を与えてくれたのは、自分より大切だと思える人との「絆」です。

いつ死んだって別に構わない、という気持ち自体は変わらないですが、大本の部分は180度ガラリと変わりました。その気持ちは変わらないけれど、自分の命よりも大切だと思える人が、私と共に生きることを望んでいるのなら、生きたいし、生きなきゃいけないと思えるようになったのです。

そしてそれが私にとっての「共に生きる実感」の一つとなりました。

仏教には「共業(ぐうごう)」という考え方があります。何かというと、人間が共通して背負う業(行為による結果)、つまり災害やウィルスによる被害、世界や社会の発展や衰退によって負わなければいけないものなどが該当すると言われています。

今回のコロナウィルスは、まさに「共業」と言っても良いでしょう。共業を別の言葉に言い換えるなら、私は「共に生きる責任」だと解釈しています。

私たちは地球に生かされている運命共同体です。

共業は決して「災難」を指す言葉ではないと思います。

共に生きる責任感は、共に生きる実感が与えてくれます。そしてその共に生きる実感を与えてくれるのは、守りたいと思える人との先にある絆ではないでしょうか?

もしあなたに「大切だと思う存在」がいないなら、「あなたを生かしてくれている存在」を少しでも想ってみませんか?

それは愛する人、家族、友達じゃなくてもいいと思います。ペットでもいいし、あなたの食べるものや住む環境を整えてくれる数多の人々でもいい。コンビニの店員さんでもいい。何も思いつかなかったら、あなたの生きている地球でもいいと私は思います。

私を生かしてくれている全ての存在が、私との絆です。

もちろん、これを読んでくれているあなたも私を生かしてくれている大切な存在。

共に生きる責任(絆)を実感しながら、共に生きていきたいと思う今日この頃です。

文・hasunoha編集部
Profile sallia
SALLiA(サリア)

歌手、音楽家(作詞・作曲・編曲家・音楽プロデューサー)、仏像オタクニスト 。

「歌って作って踊る」というスタイルで話題を呼び、2016年11月USEN1位を獲得。さらに4週連続トップ10入りを果たした。さらに音楽家(作詞・作曲・編曲家)として楽曲提供を行ったり、県域ラジオ局のラジオパーソナリティ、全国のフリースクールでのボランティア活動等、その活動は多岐に渡る。

幼少期よりいじめ、不登校、家庭内の不和など、様々な生きる苦しみを感じながら成長し、20歳で「仏像」と出会う。そこからずっと感じていた「どんなに過酷な状況でも穏やかに、幸せに生きる方法」を本格的に模索し始める。

そしてUSEN1位獲得の翌年、足の事故に遭うという人生最大の危機が訪れる。しかしその人生最大の苦しみがきっかけとなり、仏像だけでなく本格的に「仏教」の勉強をし、「自分で自分を救っていく方法」を発信する「仏像オタクニスト」としての活動を始めることを決意。2018年4月、本名の畑田紗李から「SALLiA」に改名。

2018年12月3日、「生きるのが苦しいなら~仏像と 生きた3285日~」を出版。紀伊国屋週間総合ランキング3位やダ・ヴィンチニュース1位など、話題を呼んでいる。

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