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仏像オタクニストSALLiAの「仏のトリセツ」vol.16「不倫は何故、罪なのか?」

「不倫」の話題が、定期的に世の中を賑わせるようになって一体どれくらい経ったでしょうか?今年の上旬に起こった東出さんの不倫に始まり、先日の渡部さんの不倫の話題は非常にセンセーショナルでもありました。

渡部さんは、お仕事でご一緒させていただいたこともあったので、色々と複雑な気持ちにはなってしまいましたが、なるべくこのコラムは、時事ネタとも絡んでいこうと密かに思っておりますので、今回は「不倫」についてガッツリ触れていきたいと思います。

仏教的に、不倫はアウトか?

hasunohaの質問でも、「仏教的に不倫ってどうなんですか?」という質問が結構ありますよね。現在の日本において不倫は直接的に、法律違反ではありません。あくまで道徳上ではアウトだろうという認識が一般的だと思います。

まず、仏教におけるという部分では、出家者に向けた場合と、在家者(世俗に身をおきながら悟りを目指す者)に向けた場合での違いがあります。

私は一般側の人間なので、今回は在家の場合を用いて話を進めていこうと思います。

「戒律」という言葉が、仏教には存在しますが、これは守るべきルールというよりは、「その現状をどうにかしたい時に有効な手段」というニュアンスの方が強いのではないか、と個人的に感じています。

例えば禁煙しないと色々な弊害が起こってきてヤバいなーと思っている人がいるとします。ですが、自力で禁煙するのは厳しい。だったら禁煙するためのノウハウを知った上で、導いてくれる禁煙外来に行きますよね?

その禁煙外来的、立ち位置なのが仏教における「戒律」だと思っています。(これはあくまで私の解釈です)

お釈迦さまは、在家の人に対して守った方が苦しくないよという5つの前提を作りました。それを「五戒」と言います。その中の一つが「不邪淫(ふじゃいん)」。邪淫とは、自分の結婚相手以外と肉体関係を持つこと。つまりは、不倫ですね。

実際に経典の中にも、不倫に言及した言葉が残っています。

「邪淫は必ず現世及び後世に悪報を受く」(『中阿含経』)

「自分の妻に満足することなく、遊女とつき合い、他人の妻と交わる。 これは破滅への門である」(『スッタニパータ』106)

「力ずくで、あるいはよしみをもって、

 親類たちの、あるいは友人の妻と交わる人、

 かれを賤しい人であると知れ」(『スッタニパータ』123)

などなど。

やっぱり仏教的にも、不倫ダメ、絶対。という姿勢なのです。

 

不倫がもたらす生ける地獄

さらにお釈迦さまは、不倫をすると四つの不幸に陥ると仰いました。

一、不善行為をする。

二、夜安らかに眠れない。

三、非難を受ける。

四、地獄に堕ちる。

いけないとわかっているのに続けてしまう。これがまず、「一、不善行為をする。」に該当します。さらに、配偶者にバレてしまうのではないか。会社にバレたら、どうしよう。慰謝料が発生したら。と心の中には恐れが存在します。これが「二、夜安らかに眠れない。」に該当します。

そして当然、バレたら非難されます。会社によっては左遷もあり得ます。子供ともう二度と会えないという場合も出てくるでしょう。これが「三、非難される。」に該当します。

四以外は、非常に現実的な不幸という印象です。でも実のところ一番奥深く、重要なのが「四、地獄に堕ちる。」かもしれません。一般的に地獄というと、死んだ後に行くところというイメージがあると思いますが、私は実のところ地獄は生きている間に体験できるものかなあと思っているのです。

もちろんこの邪淫を犯すと、死んだ後に「第三の衆合地獄」という、生前に邪な男女関係をなした者。が行く場所も存在すると言われています。

ですがやっぱり、死んだ後のことだからいいじゃんということではないと思うのです。私たちが生きているこの世の中における「地獄」は、まさに私たちの心の中に存在する。心の中にあることは、常に目の前に具現化し続ける。心の中がそのまま、私たちの生きている世界になる。

これが基本的な仏教的姿勢だと、私は自分が仏教を学ぶ中で実感してきました。であれば、不倫している時の心の中はまさに「地獄」と呼ぶにふさわしいと思うのです。

配偶者から奪おうとする不倫相手も、奪えたあと、束の間の幸せは存在しても、自分と同じように相手を奪う人が出てくるのでは?という恐怖と戦い続けなければなりません。そういう相手を選んでしまったリスクを背負わされるのです。

不倫という行為自体は、決して誰も幸せにするものではなく、必ず「誰もが」不幸になります。その時点で十二分に地獄です。

そもそも、結婚というのは「契約」でも「条件」でもなく、逆にその交わりこそが「神聖な誓約」というニュアンスだったように思います。

持つべき性欲、捨てるべき性欲

基本的にお釈迦さまは、他者にいい影響を及ぼせるものであれば禁じたりしないという姿勢だったように私は感じています。

誰も傷つけない、むしろ誰かを幸せにするためのエネルギー源としての男女の交わりこそが、本来の男女の交わりであり、それ以外はただの性欲処理以下のものであると。

体の欲と、心の欲は密接に結びついているけれど、そこはまず分けて考えなければなりません。

体の欲の処理として、女性を使ったことが誰がどう見てもわかってしまったからこそ、渡部さんは炎上したのでしょう。

自分を幸せにするためだけの性欲ならば、必ず身を滅ぼします。

相手を幸せにするための欲が本来、持たなければならない欲であり、その純粋に相手を思いやり、見返りを求めない、ただ純粋に相手を愛する姿勢があれば、それは「煩悩」にも「邪淫」にもならない。そういう解釈もできるのではないか、と考えています。

愛しているからこそ、相手を幸せにしたい、満足させたいという思いの手段が「交わり」であり、愛し合う人との交わりを通し、お互いを満たし合うことで、社会に対してもより良い影響をもたらすことさえもできる、ということが、本来の求められるべき「交わり」であるのではないでしょうか?

その交わりを通して、私として生まれてきてよかった、そしてあなたが生まれてきてくれてよかったと心から思えるような、そういう魂が震えるほどの喜びを伴うものであり、そしてそれが「覚悟(相手を守る、責任を持つ、どんなときも側にいる、支えるetc…)」をも伴った交わりをも生むのだと思うのです。

性欲というのは、本来「相手を愛しているからこそ」生まれる欲求であり、肉欲とはまた別のものです。

ある種、相手を慈しむ(=愛しむ)想いを伝えるための手段が、本来あるべき「交わり」なのです。

と、つい熱弁していまいましたが、奇しくもアンジャッシュさんの番組のエンディングテーマになっていた私の曲がまさに、そういう神聖な交わりをテーマに書いた曲で、何の因果かと思った次第です

いつまで経っても、純粋なまま人を愛する心を持ち続けられるように、私も頑張っていきたいものです。

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文・hasunoha編集部
SALLiA(サリア)

歌手、音楽家(作詞・作曲・編曲家・音楽プロデューサー)、仏像オタクニスト 。

「歌って作って踊る」というスタイルで話題を呼び、2016年11月USEN1位を獲得。さらに4週連続トップ10入りを果たした。さらに音楽家(作詞・作曲・編曲家)として楽曲提供を行ったり、県域ラジオ局のラジオパーソナリティ、全国のフリースクールでのボランティア活動等、その活動は多岐に渡る。

幼少期よりいじめ、不登校、家庭内の不和など、様々な生きる苦しみを感じながら成長し、20歳で「仏像」と出会う。そこからずっと感じていた「どんなに過酷な状況でも穏やかに、幸せに生きる方法」を本格的に模索し始める。

そしてUSEN1位獲得の翌年、足の事故に遭うという人生最大の危機が訪れる。しかしその人生最大の苦しみがきっかけとなり、仏像だけでなく本格的に「仏教」の勉強をし、「自分で自分を救っていく方法」を発信する「仏像オタクニスト」としての活動を始めることを決意。2018年4月、本名の畑田紗李から「SALLiA」に改名。

2018年12月3日、「生きるのが苦しいなら~仏像と 生きた3285日~」を出版。紀伊国屋週間総合ランキング3位やダ・ヴィンチニュース1位など、話題を呼んでいる。

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