自分のことしか考えてない。
きのう、主人に言われた言葉です。
別に喧嘩をしていたわけでもなく、さらりと言われました。
私自身、たしかに人並みにずるかったり、意地悪な気持ちが出てくることはありますが、あまり自覚がありません。
母親が自分のことよりもとにかく人を大切にしている人だったので、その優しさを引き継ごうと心がけています。
職業も看護師をしており、病む人の少しでも力になりたいと思ってつとめてます。また、職場の人たちから「患者さんに優しい」とわりかし言われます。
そして、私は家族は特に大切にしたいと思っており、家族である主人の協力がことは完璧ではないかもしれないけれど、自分のことより優先して生活しているつもりです。
でも、そばにいる主人が言うのだから、私は人よりも自分のことしか考えてないような人間なのかなぁと気になります。
どう考えたらよいですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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色んな自分がいてよいのです
看護師をされているのですね。大変なお仕事だと思います、まことにお疲れ様でございます。それこそ「自分のため」だけでできるお仕事ではないでしょう。
さて、ではご家庭ではどうでしょうか。どーなつ様がご自身でおっしゃるのならばご主人を優先するよう生活の中で心がけているということは事実なのでしょう。
しかし、それがご主人にもそう伝わっているかどうかは別です。
また、伝わっていたとしてもご主人の「自分のことしか考えてない。」という言葉には何かどーなつ様に訴えたいメッセージがあるのかもしれません。
その真意はご主人でなければ分かりません。是非夫婦で向き合って話してみてくださいね。
人は関係を生きる存在です。職員の中での自分、患者さんの中での自分、家庭の中での自分、どれも自分です。それぞれの自分が違ったとしてもどれが本物、どれが偽物ということはありません。全部まるごとそのままどーなつ様です。
ですから「自分のことしか考えられていない時」もあるかもしれませんし、「他人を優先せきている時」もあることでしょう。
私はこういう人間のはずだという一面にとらわれる必要はありません。こういう面もあるかもしれない、いやきっとあるのだろうなあという心持ちでご主人と話してみてください。
「他のため」と「自分のため」のバランス
どーなつ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
昔に、人のため、福祉のため、社会のためと、自分のことをあまり顧みずに、ボランティア・奉仕活動に精力的に取り組んでいた頃がございます。
で、どうだったのかと言いますと、あまり長続きしませんでした・・
お金も無くなり、仕事にも支障をきたし、もちろん、プライベートもなく・・どんどん余裕を失い、追い込まれていっている感さえも・・
そして、いったん、全て辞めました。
それからできるだけ、まずは「自分のため」、「自分のこと」を考えて、自分の充実へ向けて再出発することにしました。
そして、余裕ができれば、「他のため」にできることをするようにしていきました。
結果、自分もある程度安定すると共に、安定して「他のため」にできることも増えていきました。hasunohaもそうです。
で、何が言いたいのかと申しますと、「バランス」です。仏教的には、「自利利他」の円満となります。
「自分のため」と「他のため」のバランスをうまくとることです。
もしか致しますと、分かりにくい言い方になりますが、看護師という職業柄、「他のため」にという思いの強さが、逆に、『他のためにという「自分のため」』として、ご主人様に、実は言動の何かが映ってしまっていることがあるのかもしれません。
もう少し分かりやすくすると、「他のためにという自己犠牲による家族・夫婦生活への負担等」への不満になるでしょうかね・・
とにかく、「他のため」と「自分のため」のバランスの悪い点について、もう一度心当たりを考えられてみられると、どこかに改善のポイントがあるかもしれません。
善処を祈念申し上げます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
人は関係を生きる、いろんな自分がある、どれも自分、ということが分かりました。ありがとうございます。
無駄に落ち込まず、主人の気持ちも知りたいと思います。
また、今後も周りの人を私なりに大切にしていきます。
川口様
他のためと自分のためのバランス考えてみたいと思います。
そこに主人との思い違いのヒントがあるかもしれません。
他の人は大切ですが、家族等に大切にされて今の私がいるので、そういった想いを大切にする意味でも、自分を大切にすることも充実させることは大切と考えてます。