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舞い上がった自分が馬鹿みたいな片想い

回答数回答 2
有り難し有り難し 67

こんにちは。
いま物凄く落ち込んでいて、いまにも泣き出しそうなのでご相談させて下さい。

実は、ずっと片思いしていた彼がおりました。かれこれ3年くらい。3回ほど2人でご飯へ行きました。で、好きになってから1年くらいで告白しましたが、振られました。同じ職場環境(会社は違います)だったのですが、振られてからお互い気まずくなり、挨拶もしなくなり、疎遠になりました。

しかし今年の8月、急に彼の会社が買収され倒産し、彼は買収先の会社に残らずに仕事を辞めることになりました。
私は最後に挨拶が出来なかったので、メールで「いままでありがとうございました。ずっと気まずい思いをさせてすいませんでした。新しい場所でも頑張ってくださいね。応援しています。」と送りました。
すると彼から「本当は最後挨拶をしに行きたかったんだけど、タイミングなくて行けなくてごめんね。
あの時のことに別に気まずいとかは無くって、あの時は仕事にも余裕が無くて応えられなくて申し訳なくて思ってました。いまはどう思ってるはわからないけど、好意をもってくれていたことが嬉しかったし有難かった。9月暇だから良かったら、、」ときました。
流れで会うことになり、昨日彼と会いました。お互い気まずい雰囲気よりも今までのような感じで話し、結果的には楽しかったです。
最後に彼からは「じゃあ、がんばってね。またね」と言われバイバイしました。
私はまた彼と会いたかったので、その日のお礼と、また会いましょうと送ると、9月なら暇だから大丈夫だよと返信が来たので、じゃあもし大丈夫でしたら会いたいですと送ってから返信が来ません。
昨日も手を触ってきたり、電車の中でエスコートする際に腰に手を回してきたり、ただの思わせ振りな態度だったのかと思うと悲しくなってきました。
もう一回ちゃんと告白がしたかった。彼が好きだった。それだけです。
生きている希望が薄れそうなほど、傷心しています。

諦められたらどんなに良いかって思います。彼に会えないことが苦しいです。これからどう希望を持って生きていけば良いのでしょうか。
彼に会えて舞い上がっていた自分が馬鹿馬鹿しいです。

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

『お詫び』

投稿した文章は仏典・論書・祖録等を引用して予め法理を明示しなかった為に、回答内容が仏教とは異なった通俗的な価値観に比重を置いたアドバイスになっておりました。
この回答が仏教を学ばれる方々の妨げとなる可能性がありましたので、まことに勝手ながら回答を全て削除させていただきました。

代わりにここでは、仏教の概要を少し紹介させて頂きたいと思います。

『仏道』
仏教の門戸とその修行法は多種多様でありますが、その道のりの先にあるのは解脱です。

大乗仏教では、菩提心がその人に現れる時から仏道は始まり、数多の転生を繰り返し、数多の大師や仏菩薩と出逢いながら、久遠の修行の時を経て、その人の全てが捧げ尽くされ、そこで菩提心が開示されます。
道の始まりから人は、菩提心に導かれ解脱へ辿り着きますが、そこで悟るものも菩提心です。

道の初め、自らの苦しみからの解放を求める切なる純粋欲求であった個人的な菩提心はやがて、すべての存在を救いたいという祈りに裏打ちされた不屈の意志と信心をその人に刻み付け、非個人的な菩提心が解放されます。
そのような菩提心と與に道を歩む人を菩薩と呼びますが、菩薩の意志や信心、原動力の源が解脱の時に悟ることになる菩提心です。
菩薩が歩む大道の上には、見道や解脱、その先に続く仏としての完全な成就の因となる多種多様な修行が立ち現れます。
日本仏教という道もこの大道を源としているので、全ての道はそこへ還りつくようになっています。

その人の道はその人にとっての真性の師である覚者との邂逅や、久遠の時を與にしながら道を歩んだ法友との再会によって開かれ導かれていく歩みであると伝わっております。
どうかご質問者様の出逢いとその歩みの上に障碍がありませんように。

願以此功徳
普及於一切
我等與衆生
皆共成仏道

合掌

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有り難し
おきもち

感情は「起こすこと」も「起こさないこと」もできません

片思いなのか、それとも、可能性があるのか、わからない状況。
本当にお辛いですね。
私も、似たような経験がありますから、すごく辛いだろうなあと想像しております。

事実として、感情は、怒りでもなんでもそうですが、起こそうとして起こせるものではありません。
誰だって怒りたくもないし、悲しみたくもないでしょう。
違いますか?

でも、怒りたくなくても怒ってしまう。
許したくても許せない。
悲しみたくないのに悲しんでしまう。

好きでなくなれば楽なのに、好きな気持ちがなくならない、も、同じなのです。

できることは、自分の心をみつめることだけです。

自分は、今なにに苦しんでいるのか?
それを問い続けることしかできないと思います。

浄土真宗の宗祖、親鸞は、「聞思」という言葉を使っています。
聞は、「聞法」
お寺等で、仏法のお話しを聞くことです。
(参考:http://shinshuhouwa.info/
思は、思索です。
いろいろ考えてみることです。

私が浄土真宗なので真宗の例を出しました。
他宗派でももちろんよいのです。

また、浄土真宗の中興の祖、蓮如上人は、「聴聞したり、考えた、感じたことを、他の人と語り合いなさい」とたびたび言っておられます。

自分の気持ちを見つめる、考える。考えたり、感じたことを他者に話してみる。

その作業しかできないと思います。

片思いや失恋の辛さを消す魔法のような力は、仏教にもありません。

しかし「聞思」と「語り合い」ならできます。

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有り難し
おきもち

浄土真宗、真宗大谷派です。

質問者からのお礼

お返事ありがとうございます。
まだ気持ちに整理がつきません。そんな自分が馬鹿みたいです。気持ちがぐらぐらしていて、突然大泣きしたり、かなり情緒不安定だなって思います。苦しすぎて誰かに相談しても、気持ちが楽になりません。いまはただ本当に本当に苦しいです。

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