改善の道はあるでしょうか?
はじめまして。
自分の悩みは、簡単に言えば自分以外の人間に対してどうしても邪魔、不快・不信・嫌悪感を感じてしまう事です。
なので、家から出れば憂鬱に感じますし、駅やお店など人間が集まる場所に行かなくてはならない時は憂鬱を越えて不快感・嫌悪感を感じざるおえない状態です。
毎日が気疲れで、とても辛いです。
この状態に対して、どうすれば改善、または決着をつける事ができるでしょうか?
よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
気づいても放っておく
こんにちは。私も一時…でもないか、デパートとかテーマパークの人混みが苦手で行くのが苦痛でした。元々は多分「待たされる」とか「自分の行きたい方へ行けない」とか具体的な理由があったはずなのですが、いつの間にか「そういった所全般」を嫌と感じていました。だから、(私なりに解釈した上ですが)貴方の言いたいことが分かる気がします。
けれど妻は違いました。両方大好き。同じ場所・同じ時に同じ関係の相手といるのに、どうしてこんなに感情が異なるのか…多分、「注目しているところ」が違うのでした。
つまり、彼女は列の向こうにあるアトラクションを見ているのに、僕は列をずっと見ていたのです。彼女は棚に並ぶ商品を見ていたのに、私は人混みを見ていたのです。
目に映る景色は同じでも、注目しているところは違う。昔の人は言いました。
「やまと歌は、人の心を種として、萬のことの葉となれりける。」覚えていますか?古今和歌集仮名序です。言葉というのの種は人の心だ、というのです。だから同じ景色(情報)が眼から入ってきたとしても、心が選別して「楽しそう」「混んでる」という評価をしているのです。
「じゃあ、心を何とかすればいいのか。心を入れ替えるとか、洗浄するとか」と思われるでしょうけれど、これは傾向とか癖(に過ぎない)割に「本人にとっては常態化」しているので、なかなか扱いにくいのです。それよりも扱いやすいのは…
言葉の方ですね。
質問の文中に「どうしても」とか「…をえない」と書く人は、たいてい何もしていないのです。ただ癖で言っているだけ。否定的な言葉が浮かんだらやり過ごし、いいな、楽しいなということが見えたら言葉に出す。何も苦手な所で練習する必要はありません。貴方が楽しいこと、好きなことをしている時に、言葉に「ああ、楽しいな」と出すのが練習です。
やってみて。