人の力となり人に助けられる
健康面が落ち着きを始め気持ちのなかで何処となく前向きに少しずつ進めるようになりました。
先日は自宅のベランダに一匹の蟷螂が来て竃を振りまわして歩む姿も命を授かり生きていること小さな蜘蛛が同居してる光景を目にします。
新しい仕事をさせていただくようになり数日余りの時が流れ、人生40年余り幼い頃から人に接する機会が多かった半生、この先も変わることがないように感じています。
新しい仕事の毎日、不安や緊張感、気が張り詰め失敗も数多くありますが、人に接し充実感もあります。
私が暮らす街、かつて数多くの旅館やお寺があり今ではオフィスが多くなりながらも名前をお互いに知らなくても顔馴染みの方々との些細なお話し、愚痴を言い合うこともありながらも毎日のように顔を会わす程度でも気持ちのなかで小さな小さな安らぎを少しずつ少しずつ持つことが出来ているような毎日。
とは云え一人ひとりの人生には人に伝えられること伝えられないことがあります。
私にも不安や心配な事があります、少しでも何かのきっかけで安らぎを感じ歩めたら素敵なことなのかも知れませんね。
「人の力となり、人に助けられる」
その力は些細なことでも、つい先程もご縁いただいた人生の先輩が声をかけて下さり気持ちを伝えて下さったこと、とても有り難く優しさにふれた時間。
「小さな助けあい」は素敵なものですね。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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小さな。
こんばんは。そちらはもう、雨は止みましたか?こちらは窓の外を風が吹き荒れております。
昨日の日曜日、ご法事に来られた方が、お寺の庭を眺めながら、「ああ、この庭を肴に燗酒でも飲みたいですね」と仰いました。さすがです。今時、仲間とともに居酒屋にいても、目まぐるしく情報に接していないと落ち着かない人もいますけれど、自然を相手に自分の感性を楽しもう、味わおうとの態度に嬉しくなりました。
自然は人間のはからいを外れたもの。いつ蝶がとまり、枝が揺れるのか。そこに人間の操作は及びません。つまり、「どれだけの感性を持っているか」で勝負…否、自らを味わおうというのが先の「庭を肴にして」であろうと思い至った訳です。俳句や和歌も同じ。「語り尽くさない、尽くせない」縛りの中で、自らに目を向け、自らを味わう。
あきらさんの書き込みには、この傾向…あるいは文化を感じます。
「小さな助け合い」、素敵です。小さなありがとうも、小さなごめんなさいも。「大したことないよ」という面倒臭がりには見えて来ない心地よさ。軽く、嫌味もない。
そんな事ができる人は、さり気なく穏やかに、和やかに歳を重ねてゆくものではないでしょうか。
…かくありたし、との願いを持って。
質問者からのお礼
こんばんは。
おかげさまで影響は、それほども無く天候が回復しましたが急な寒さを感じるようになりました。有り難うございます。
「このお庭を肴に熱燗を」素敵ですね。
目まぐるしく情報が流れるいま、その方は人生で色々なご経験をされ思わず呟いた言葉は重たさではない「心の声」を私たちに教えて下さったのかな、と私は感じます。
お庭を目で観て、五感で感じられたこと本来「人が人を思う想ひ」を「愛らしく愛しいお庭をながめ呟いた詩」が「心の声」なのかも知れませんね。
私自身にも言える事ですが「人は人として命を授かり生きて何が残せるのか」その問いに対して直ぐには応えることが出来かねます。
それを目まぐるしく情報、社会が流れるいま「見つける」ことは「課題」であり「見つけた時の楽しさ」は「その人にしか感じることが出来ない喜び」であるように思います。
健康、不安、焦り、孤独さ感じ悩まされることもありますが今の私には素敵で心暖まる嬉しい教えでありました。