人を裁くということ。
去年、人気のない夜道で見知らぬ男に襲われ、わいせつ事件の被害者になりました。
すぐさま警察に駆け込み、2~3ヶ月後にめでたく逮捕されたのですが、そのことでずっと悩んでいます。
実況見分や微物の採取などもありましたが、逮捕の決め手が警察で面通しを行ったわたし自身の証言だったため、新聞報道でもそのように記載されました。
顔を見たときにはぜったいに間違いないと感じたものの、わたしの記憶が頼りの逮捕だったのだと思うたび、少しずつ自信が薄れていくのを感じるのです。
相手は罪を認めており、謝罪の手紙もいただきましたが、痴漢冤罪で泣く泣く自白してしまった話などをニュースで聞くたび、もしかして……などと考えてしまうのです。
しかしこんな気持ちのままでは、警察や検察の方にも失礼だとも思います。
気持ちに区切りをつけるべく、こちらで相談させていただいた次第です。
喝をお願いします。
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被害届を出すには、勇気が必要だったと思います
つらい被害に遭われたこと、心よりお見舞い申し上げげます。あなたと同じような被害を受ける方を出さないためには、犯罪による被害を届け出ていただき、加害者を逮捕処罰することは必要だと思います。
日本における犯罪件数は減少傾向にあります。実際に刑務所の服役者の数は15年前10年前に比べるとかなり減ってます。日本の警察・司法・刑務所少年院等の行刑教育・保護観察制度は決して完ぺきとは言えませんが、これらの組織機関が取り組みがある程度功を奏しているのかもしれません。そして、何よりも我々市民が犯罪を憎み、犯罪を容認しない社会を作っていくことが大事だと思います。
いちさんにとってとてもつらいことだったと思いますが、他の人々のためにも被害を届けられたことは大事なことだと思います。
人を裁くというのは難しいことだと思います。しかし、社会秩序を保つためには公的な制度を設け、より公正な手続きと手段で、犯罪者を逮捕拘束し罪を裁き処罰することは必要です。裁判官だって決して全智全能ではありません。しかし、警察検察が捜査審理した情報に基づいて、時には自ら調査を行い、犯罪の真実に迫るよう努めていると思います。
一般論で言えば
1、被害者の証言、被害者による加害者の面通し。
2、加害者の犯行時刻とその前後行動を聴取したり、アリバイ証言をえる。
3、本人の当日の行動を聴取して、犯行の有無を尋問。
1~3の全部が揃って逮捕起訴となると思います。いちさんの証言だけですべてが決まる訳ではありません。1のほかに2と3も揃ったから、犯人も犯行を認めたのだと思います。いちさんが心配されるように、冤罪事件もまったく無いと言えません。でも、いちさんは虚偽の証言や曖昧な証言をしたわけでは無いと思います。自分が受けた被害を正確に伝えるよう、努めただけだと思います。気にすることは無いと思います。
犯罪を増やさない、犯罪被害者を増やさない。少しでも、平和で安全な世の中にする。そのためには、犯罪を許さず、被害を届ける方々の勇気ある行動によって成り立っていると思います。いちさんの被害届が、他の方を犯罪から守ってあげたのです。御自分の行動に自信を持っていいと思いますよ。
拝読させて頂きました。あなたはそのような事件に巻き込まれて被害に遭われて大変辛い思いをなさってこられたことでしょう。
そしてまた証言の為にそのような辛い思いやご自身を責めていらっしゃるのではないかと思います。
あなたはそのような二重の苦しみをお受けなさっていらっしゃることかとお察し申し上げます。
事件についてはその後の流れがどのようになるのかはわかりませんけれども、その容疑者にはあなたの証言以外に物理的な証拠があったのではないでしょうか?
その点も踏まえてできれば心を落ち着けて冷静に調査した警察の方や検察の方にご確認なさってみてはいかがでしょうか。
あなたのお心持ちについても大事を取って頂きたいと思います。そしてあなた自身やはり疑念な点があるならば素直にそのことを警察の方や検察の方や弁護士さんや裁判官にご相談なさってみてはいかがでしょうか?
その後がどのようになるかはわからないですけれども、あなたの中での疑問や不安は少しでも払拭なさって頂きたいと思います。
とはいえあなた自身被害に遭われたのですから先ずはあなたの心身が少しでもおちつかれて回復なさって頂きますことが大切かと思います。
本当の意味で人が人を裁くことはできません。人は本当のことを全てをわかることはできませんからね。裁くことができるのは神仏や天でしょうからね。
冤罪だったら、真犯人がどこかにいる
記憶は時間がたつと薄れますから、あなたの不安はよくわかる気がします。
あなたは、とても真面目で、しかも冷静な方なのだと思います。
仮に、本当に冤罪だったら、真犯人が別にいて、のうのうと暮らしていることになりますね。
不安があるなら、勇気をふりしぼって、警察の方に相談してみては?
この先何か月・何年も「やっぱり記憶ちがいだったのでは」と心配し続けるくらいなら、
聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥とも言いますし、
警察の方に、他に証拠があったのかとか、もう一度容疑者の写真を見せてもらえないかとか、思いつくかぎりの相談をしてみてはどうでしょうか。
被害にあったのはあなたです。
遠慮する必要はありません。
質問者からのお礼
お礼が遅くなってしまい、申しわけありません。
もちろんそれだけが決め手で逮捕したわけではない、とは警察の方にもいわれましたが、そう言ってもらってなお不安が消えなかったのは、わたし自身があの日のできごとを正面から受け止めていない証拠だったのかもしれません。
それは事件そのものはもちろん、相手を罪に問うことの重さからも、わたしは逃げたかったのだと思います。
つらさ、苦しさを肯定していただけたことで、それを受け止める準備ができた気がします。
鉛を呑むようなきもちで、自分の出した結論を受け止めていきたいです。
ありがとうございました。