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諦めきれない気持ち

回答数回答 1
有り難し有り難し 8

いつもご相談にご回答いただき、感謝しております。

想いを伝えてお断りされた人への気持ちを断ち切れずに悩んでいます。
もう終わったことだし、お断りされた後も何度かお会いしていたのですが、連絡してもお相手から返事もなかなかこなくなってもうこんなことは終わりにしようと思っていました。
でもしばらくたって返事がくると、また想いが再燃してしまいます。もう私からも返事をせずに、ここで終わらせてしまえばいいと思うのですが、返さずにいられなくなってしまいます。
もう期待はしていない、会えたとしてももう仕方ないと考えはします。もう終わりにすると言うほどの関係でもないし、お相手からしても気が向いたときに返信してきるだけなんだろうなとも思います。
連絡ない間は、もういいかなとか、このまま連絡つかなくなれば諦められるかなと思うのですが、返信がくると途端に諦めきれなくなってしまいます。

もうこんな気持ち終わりにしたい。前に進みたいと思うのですが、胸が締め付けられるようです。
出会いの場に行って他の人に目を向けようと思ったのですが、マッチングした人がいても良さそうな人だなと連絡を続けても、どうしても気になってしまいます。
お断りされた人とは、もうご縁のない人なんだ、このまま会わなくてもそれで済んでしまうんだとは思うのです。そう思っても、どうしたらいいのか分からなくなります。忘れるのが一番いいのだなと思います。
もう連絡しません、と言えればいいのかなとも思います。でも踏ん切りがつかなくて、このまま徐々に消えていけばいいのかとも思いますが、フェードアウトなんて悲しいしいつまでこうしているのかと苦しくなります。

年齢的に結婚に対する焦りや一人では寂しい気持ちもあり、ちゃんと彼氏が欲しいなとも思います。今まで何かが間違っていたのか何故お相手を見つけることが出来なかったのかなと悲しくなります。
誰かを愛して愛される関係になりたい、一方的に想うのはもう疲れました。
もっと回りに目を向けて出会いの場にも積極的に出向けば、またチャンスもあるのかなと思いますが、臆病になってしまう自分もいます。
寂しい気持ちで眠りについて寂しい気持ちで目覚める、そんな生活をもう終わりにしたい。お断りされた人を忘れて楽になりたい、もう卑屈になるのは嫌だと思います。こんな気持ちのまま他の誰かを見つけることが出来るのでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

疑城胎宮

前回はもうお相手から連絡が来なくなったということでしたがまた連絡があったのでしょうか。苦しくとも気持ちの整理・区切りをつけようとしている中で揺さぶられるようでもどかしいですね。
あなたはもうどうしたらよいか、どうすべきかは全部おわかりだと思います、ただ気持ちがすぐにはついてこないだけ。あとは少しずつ少しずつ現実と気持ちの折り合いをつけていくということなのでしょう。

人間というものは基本的には現状に留まりたがるものなのかもしれません。それはまだ見ぬ未来という「分からない」ことへの恐怖がたとえ苦しくとも今に留まることの楽さを上回るからなのでしょう。
辛くとも苦しくともある意味で現状が楽なのです。

浄土真宗ではそれを疑城胎宮(ぎじょうたいぐう)と言います。真実に疑いをもったものが留まるお城です。そこは母の胎内のように居心地がよいのです。外敵からは攻撃されず自分に都合が良いのです。だから出たくない。

でも、お分かりのとおりその楽さ、居心地のよさは本物ではない。真実ではない。そこから出ることは恐怖も不安も苦しみも悲しみも伴うかもしれないが、そこで得られるものこそが本物であり真実であるのでしょう。(そこに達してもそれさえも握りしめて再び疑城胎宮に入っていくのが人間でもありますが…)

さて、「誰かを愛して愛される関係になりたい」。そう願うのは人として当然の気持ちであると思います。
あなたが今までそうしたご縁に恵まれなかったのは「何かが間違っていた」のかどうかそれは分かりません。
ただ、人を好きになる気持ちには間違いなどないのだと思います。相手がどうであれ、関係がどうであれ、気持ちは本当に好きだったのではないでしょうか。だからこそ、その気持ちが浮かばれるように相手や関係が不健全なものであるならば、悲しいですがその気持ちには区切りをつけねばならないのかもしれませんね。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
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質問者からのお礼

吉武様

早速のご回答ありがとうございます。

自分でも答えは出ているのだなと気付かされました。
区切りをつけて楽になりたいと思います。

中途半端な関係には終わりなど、どうであろうと関係ない。もういいんだなと思います。
ここまでで、もう充分でした。

これからのご縁に備えて自分の時を大事にして前に進みたいと思います。

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