「優しさ」とは何ですか?
「なんて優しいお方なんですか、、、だって顔も声もわからないのにこんなに親切にして頂き本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです」
昨日、ある方(以降、A様と記載)から、上記のコメントをいただきました。
A様とは、以前フリマアプリで取引があった方で、私がA様から商品を購入させていただいた、というだけの関係です。
そのA様から、突然、過去の取引画面からコメントが入り、今、フリマアプリ事務局の方から利用制限されていて何も出来ない、どうしようもなく困っているということ、そして、今日購入する約束をしていた方(以降、B様と記載)を探して、A様が今こうこうこういう状況であることや、また、必ず購入するので「専用」のままお待ちいただきたい、という内容のメッセージを、何とかB様を伝えて欲しい、とコメントが入りました。
詳しい状況は分かりませんでしたが、A様は今とても困っているんだなぁと思ったので、悪戦苦闘はしましたけども、何とかB様を探して伝言しました…単にそういうことをA様の代わりにしただけ、単に助けてあげたいと思ったから助けただけ、何ということもないことしただけなのですが…何だかよく分からないですが、感謝されたと言いますか、優しいという言葉を言われて、「ん?!」と思ったんです。
ただ単に、A様とB様との中継点になって、ひたすら互いのコメントをコピペしては伝えて、コピペしては伝えて…を繰り返しただけ、お二方のやり取りを私経由で手助けしただけ、なのですが…
A様はお礼をしたい、お礼をしたい、と何度もおっしゃるし…
私からしたら別に何てことのないことをしただけなので、何度も何度もお礼は必要ないということをお伝えしているのですが…
「なんて優しいお方なんですか、、、だって顔も声もわからないのにこんなに親切にして頂き本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです」
そう言われて、ふと思ったのですが…
一体「優しさ」とは何なのでしょうか?
当然「困った時はお互い様」ではないか?と思って私は今を生きていますし、これまでも生きてきましたし、これからも生きていくつもりでいますが…
「優しさ」とは何ですか?
それが今回の質問になります。
・仕事は資格より素質 ・鬱になろうが5才児ぐらい好奇心旺盛 ・順風満帆な人生より七転び八起きぐらいの人生がちょうどいい
職場で久しぶりに再会した人に「やっぱり~!」と言われることが苦痛
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
『歎異抄』第四章を学んでみましょう
ご相談拝読しました。
>「優しさ」とは何ですか?
とのことですが、それは世間一般レベルで考えるか、仏教レベルで考えるかで大分違いがあるのではないでしょうか。
ここはお坊さんが答えるサイトですからせっかくなので仏教レベルで考えてみたいと思います。
「優しさ」を仏教で言う「慈悲」として捉えると、この問題を考えるのには『歎異抄』第四章に依るのが最適かと思います。まずは原文を読んでみましょう。↓
『歎異抄』原文 四の箇所が第四章です。
http://seiten.icho.gr.jp/html/628.html
ここでの「聖道の慈悲」を「一般的な優しさ=私たちの優しさ」、そして「浄土の慈悲」を「仏の優しさ」と捉えたらよいと思います。
「聖道の慈悲」(私たちの優しさ)とは「ものをあわれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもうがごとくたすけとぐること、きわめてありがたし」と、あります。
私たちの「優しさ」には限界があって思う様に相手を助け遂げることはできないという教えですね。
いかに「可哀想、助けたい」と思ったとしても、本当の意味で私たちは相手を助けることができません。
私たちにでも「一時的な助け(癒し)」はできても、「根本的な助け(救い)」はできず、それはあくまでも仏の仕事なのですね。
たとえ話として、お腹の空いた子どもに取った魚をあげるのが「癒し」、魚の取り方を教えてあげるのが「救い」とします。癒しは一時的、救いは根本的です。
もちろんこのたとえ話も不完全であり、「空腹」以外にもあらゆる面で相手を助ける・救うのが「仏の優しさ=慈悲」です。
つまり結論としては仏教レベルでいう「優しさ」とは「仏のさとり(智慧)」であり、また、「さとらせること(慈悲)」でもあります。あらゆるものごとの道理に目覚めさせることですね。
言うならばここで回答しているお坊さんも救われる側、優しさを受ける側ということになります。
もちろん私たちの回答を通して相談者様が仏や仏の教えに出会い救われることを念じてもいます。
それは私自身が「私の優しさ」に限界を感じているからこその願いです。「私の優しさ」は不徹底で限度・限界がある頼りの無いものですからね。
本当に「私の優しさ」が根本的に・不可変的に相手のためになったのか、そこを考えると見えてくるものがあると思います。
質問者からのお礼
吉武文法様、お久しぶりです。お返事ありがとうございます。
最近の私は、本やネットで「宗教の旅」をしている最中です。
何かの宗教を学んでは仏教に戻る、また何かの宗教を学んでは仏教に戻る…を繰り返しています。
添付されている『歎異抄』を読みました。
うーん…浄土の慈悲かぁ…なるほどなぁ…と思いながら読みました。
そして、吉武文法様がおっしゃる、
「優しさ」とは「仏のさとり(智慧)」であり、また、「さとらせること(慈悲)」でもあります。あらゆるものごとの道理に目覚めさせることですね。
というところに、特に興味と奥深さを感じています。
私は、別に相手の方に対して、特別「優しくしよう!」と思って手助けしたのではないんです、でも、何ということもなく手助けしたことで相手の方から「優しいですね!」と言われました。
そこで、ふと思ったんですね、「優しさ」とは、自分から与えるものではなく、相手から与えられるものではないか?と。
まさに、吉武文法様がおっしゃる、
「優しさ」とは「仏のさとり(智慧)」であり、また、「さとらせること(慈悲)」でもあります。
なんです。
たまたま、なのか、何なのか、吉武文法様がおっしゃる通りのことを、すごくすごく実感したんです。
なので、お坊さまに問うてみたいと思い、今回の『「優しさ」とは何ですか?』を書きました。
仏教的には、どうとらえられているのかを教えていただきたかったんです。
不思議と府に落ちました。
うむむむむむ…
また一つ勉強になりました。
私の「宗教の旅」はまだまだ続くのですが、仏教に立ち返った時に、いろんな仏様の教えが降り注ぐような気がして、「あ~私は仏教のことが好きなのかも知れないなぁ」と思ったり…します。
偶然にも私は古書を読むのが昔から好きなので、仏教関連の書物を選んで読んでみると、案外、面白いと感じるかも知れませんね。
とにかく…うーん…深いですね。
とても深いと思います!
初心者にわかり易く解説して下さり、ありがとうございました!!!