自身の加害性が怖い
叱られる時は必ず手が出る(殴る叩く)父親を見て育った姉妹間の喧嘩では高校位までよく取っ組み合いになっていました。
最近私自身に普通の人より暴力的な面がある事を自覚し怖くなるようになりました。スキンシップで肩や背中を叩いてしまったり、戯れている時に彼氏に冗談半分で肩にグーパン(許可をとってますがそもそもやる事がおかしい)したりと必要以上に手が出る自分が怖いです。しかもお笑いのツッコミ感覚で悪気はなかったのが余計嫌になります。
それから記憶によく残っているのでもしかしたら街中でもいい歳まで蟻を見つけると踏んだりしていたのかもしれません。していないとしても容易に想像がついてしまう。
加害性があり本当の意味で命を大切に出来ていない自分がいるような気がして恐ろしいです。他人がやっていたら怖いし可哀想だしやめなよ!と止めるでしょう。でも自身になればやってしまう、客観性の無さをこの先どうしていけばいいのでしょうか。
もし子を持った時、イライラしたら制御できず父のように手が出てしまうかもしれない。怖いです。
もう私は変われないのでしょうか?
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もう既に客観性があります
こんにちは、初めまして。
ご自身のことがコントロールできない、というお悩みですね。
歯がゆい思いでしょう。
あなたは、自分の行為について「客観性の無さ」と言われていますが、そうでしょうか。本当に客観性のない人は、客観性自体を意識しないと思います。
心理学を学んでいた時に、ある先生に教えてもらいましたが、「トラウマ、トラウマって世間で最近よく使うけど、本当のトラウマはトラウマって自分でわからないんだよ」と。自分で意識化できるほどの精神的ショックは、PTSDなどの無意識の領域にまで刷り込まれたトラウマという名に相当しないということなのでしょう。
つまり、自分で意識できるということは、自分でコントロール可能だということだと思います。
自分の行動様式を日常的に少しづつ意識化できているようなので、これからじっくりとゆっくりと留意していけばいいのではないでしょうか。
もしどうしても気になるようでしたら、行動療法、認知行動療法などのプログラムを受けられると、より効果的かもしれません。
ただ、恋人さんもおられて問題なくお暮しのようなので、ぼつぼつで宜しい気もします。
ご参考になれば幸いです。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
意識できると言う事はコントロールが可能、このお言葉でもう一度頑張っていこうと決心しました。
この度はありがとうございました。