地獄に行くことが怖いです。
中学一年です。私は今まで悪いことをたくさんしてしまいました。虫を殺したり、盗みをしたり、人の悪口を言ったり、嘘をついたり、地獄に落とされるようなことをしてきました。盗みや人の悪口は、地獄に落ちる落ちないではなく、人としてやってはいけないことだと自覚したので、もう絶対やらないと決めました。でも嘘をついたり、虫を殺すのはやめられないんです。嘘は見栄をはってし言ってしまうときがあるし、友達を笑わせたいから作り話をしたり、蚊が飛んできたら刺されたくないから殺してしまうし、足元にアリがたくさんいたら気づかず踏んでしまうこともある。
そもそも私はあの世とか、地獄とか、そう言うものを信じていませんでした。目に見えるものしか信じないし、信じられない。でもそれは自分に地獄へ落とされるようなやましいことがあったからなのかもしれません。今まで頑なに信じなかったあの世や死後も亡くなった人に聞いてみないと分からない。でもそんなことできない。今は、あるかもしれないと思っています。
私は死ぬのが怖いです。地獄に行きたくないです。でも嘘をつかないで生きていくなんて無理、虫を殺さないなんてできない。
私は人を笑わせるのが大好きです。面白いことを言ったり、面白い絵を描いたり、友達を笑わせています。決して誰かを馬鹿にして笑わせたりはしません。自分の好感度を上げたい、という気持ちと、この人を喜ばせたいと言う気持ち、両方あります。こんなことでも過去の償いになりますか。
極楽、地獄はどうして存在するのでしょう。悪いことをさせないため?でも地獄に行かないために悪いことをしない、極楽に行くためにいいことをする。それって死後の世界のためにこの世で生きているようなものじゃないですか。 どうか教えてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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地獄行きを極楽往きに
こんにちは、初めまして。
自らの行いを省みる。
あなたのその心は、とても素晴らしいです。
殺生も、嘘も人によっては気にしないで生きていこうと思えば、いくらでも出来るかもしれません。しかし、それを良しとせず、自省と粘り強い思考を試みることはあなたが持つ美徳だと思います。
あなたは、こう書いています。
「極楽、地獄はどうして存在するのでしょう」「極楽に行くためにいいことをする」「それって死後の世界のためにこの世で生きているようなものじゃないですか」と。
地獄行きを恐れ、極楽行きのためだけに生きる。
しかし、その極楽行きは自分には縁遠そうに思える。
むしろ、地獄行きは避けられそうにない。
では、その不可能そうな極楽行きを何故説くのだ、ということがあなたの問の概略だと思いました。
あなたの視点は鋭いです。
実は親鸞聖人も、地獄は私の定まったすみかである、という意味のことを言われています。そう、嘘を付いたり、必要以上に欲したり、自己中心に怒ったり、悲しんだり、苦しんだりする。その人間には仏様に近づく(極楽へ行く)方向性の善を行うことは一ミリも出来ない、と教えてくださいます。
しかし、この哀れな姿を見かねてある仏様が立ち上がられた。
その名を阿弥陀如来様(南無阿彌陀佛)という。
その仏様は、地獄が必然である私達を、極楽が必然であると転換をしてくださったのだ。だから、その仏様の仰ることを聞き信じて、お念仏しながら極楽への毎日を味わい深く生きていきましょうと、とおすすめ下さいました。
嘘等の様々な悪(極楽往きと反対方向の行い)を克服するのは、極楽往きときちんと合致した仏教的な善が必要です。「人を笑わせる」「喜ばせたいと言う気持ち」は大切なことですが、日々山積していく悪を補うほどの善にはなりえないとも教えられます。
あなたが阿弥陀如来様のお心を拠り所にされるのなら、あなたは極楽往きの今を安心して往きて下さい。もし、安心できないのなら、きちんとこの仏様のお心を聞きましょう。そして手を合わせてお念仏して下さい。
ご縁があれば、参考にして下さい。
質問者からのお礼
早速回答をくださりありがとうございます。
私にはまだ理解できない部分もありましたが、いろいろ調べてみました。
なるべく善行をしようと思ったので、善行とは具体的にどんなことなのかを調べて、実践していこうと思います。