夢も希望もない。でも心臓は無関係に鼓動しています。そこからヒントを
夢や希望を持つことは大切です。しかし現実には、やりたいことが見つからず、将来に希望が持てないと感じたり、夢がなければ生きる資格がないと考えたりする人も少なくありません。生きる目的が見つからず気力を失ってしまったとき、わたしたちはどのように考えれば救われるのでしょうか。さっそくお坊さんに聞いてみましょう。
生きる動機のない人間はどうすべきですか?
私には将来やりたいことや夢がありません。
趣味はありますが、死の魅力には到底及ばず生きる動機にもなり得ません。
生きるのが面倒だし、さっさと死んじゃいたい。
正直死んだ後の遺品整理などを事前に自分で済ませておけば死んでいいと思っています。
田中さん(22歳・男性)は、就職活動中にふと、自分にはやりたいことや夢がないのだと気づいてしまいました。そして、仮にもし結婚をしても、父親がそうであったように不倫をしたり子どもに暴力をふるったりしてしまうかもしれない、と将来に希望を持つこともできません。生きる動機がわからなくなってしまったとき、人はどうすればよいのでしょうか。
今の時代だからこそできることを!
今の社会は、自由です。
終身雇用制度が信用を失いはじめ、生き方にも“ノマド”という選択肢も現れて何が正しいか分からない時代。(中略)
世間的に家庭をもつ??そんなの今考えなくて大丈夫!
まずは田中さんの好きなこと、気づいたら自然にやってしまっていることを(絶対にありますから!)見つけて、それを楽しむ!
少しでも、好きなことや、やっていて気がついたら時間が経っていること、それがあればそれを仕事にできてしまう。そんな時代です。
同じく22歳のとき、「将来の不安と60歳の定年までの人生を簡単に決断してしまうことが怖くなり、就職活動はせずアルバイトをしながら専門学校へ通いました」というこちらのお坊さん。今、田中さんが人生に迷い不安になるのは自然なことだとおっしゃっています。
しかし、今は自分の好きなことを仕事にできる時代。世間のモノサシで人生を考えるのではなく、自分の気持ちに正直になって、焦らずいろいろなことを試してみてくださいと、エールを送ってくださいました。
生きる動機がなくても、生かされている
生きる動機がないといっても、あなたは現に呼吸をして生きています。
あなたの意思とは無関係に、あなたの心臓は鼓動し、肺は呼吸をしているのですから、それは「生きている」というよりも、「生かされている」というべき状態なのです。
そして、すべての人は生かされているわけですから、生きる価値のない人間は存在しないのです。
仏教では四苦八苦といって、人生は苦であるとされているため、生きるのはたしかに面倒なことだと、こちらのお坊さんはおっしゃっています。
しかし、どんなに面倒だと感じても、無意識に心臓は動き、息をして、わたしたちは生きている。つまり生かされている。なぜ、わたしたちはこの世で生かされているのでしょう。答えは人によって異なります。
こちらのお坊さんは「仏様の教えを聞くために、面倒な人生において、私たちは生かされているのだ」とおっしゃっていました。
わたしたちも「なぜ、生かされているのか」自分自身に問いかけてみれば、それぞれの生きる動機が見えてくるのかもしれません。
整理作業はいいと思います
多分死ぬ気になったら何でもできますよ。何もしたくないんだったら何もせず、心静かに、何が楽しいのか、何が価値あるのかを観察しながら生きていくといいでしょう。
死ぬなんて考えたら、ほんま、あかんよ。
遺品整理をしている田中さんに対し、こちらのお坊さんは「整理作業は、身軽になり気持ちも楽になるためいいこと。しかし、死ぬには早すぎる、心を楽にして行きましょうと」とメッセージをくださいました。
また、生きいくためには世間体ではなく、自分にとって何が楽しくて、価値があるのかを知ることが大切だとおっしゃっています。
元の問答:生きる動機のない人間はどうすべきですか?
世間やまわりに流されるように生きていると、わたしたちは生きる動機や目的を見失いやすくなります。そんなときは、世間体にとらわれず、自分は何が好きか、何に価値を感じるのかじっくり観察することが大切だとお坊さん方は教えてくださいました。
また、「なぜ、自分は生かされているのだろうか」という問いを心に留めておくことも、生きる動機を見つけるうえで、大事なことなのかもしれませんね。
今回もお坊さん方から、生きるための知恵をいただきました。ありがとうございました。