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生きる意味
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日常のふとした時に感じる虚無感。何をやっても楽しくない、自分の存在意義があるのか不安。

仕事も順調で、家族とも仲良し。何不自由ない人生のはずなのに、時々猛烈な虚無感に襲われる。
「なぜ生きているのか」そう考え始めると、答えに行き詰まりどうしようもない気持ちになってしまう人は少なくありません。
お坊さんから生きる知恵(アドバイス)をいただけるhasunohaでは、生きることを問う相談がたくさん寄せられています。今回はその中から、時折おとずれる虚無感に悩む方からの相談をご紹介します。

何をやっていても楽しくない人生、どうすればいい?

漠然と、報われない思いを常に抱えているというあいすさん。

何をやっても楽しくない、というか
快楽だけがなく、苦しみや悲しみだけがあるように感じます。
いつかふらっと電車の中に飛び込んでみたいな、と考えることもあります。
このような人生を脱出する術はありますか?

人生にやりがいを感じないという悩みに対し、お坊さんはどのようなアドバイスをしたのでしょうか。

他者を尊重し共に支えあって生きて

冷静に考えてあなたはとても能力の高い優秀な方なのだと思います。ただそれを家族や友人や周りの人から評価を受けなかったからそうお感じなさってしまうのではないでしょうか。あなたは優秀な方です、そしてこれから成長なさり能力を発揮なさるでしょう、その際にあなたのお力を他者に注いであげて下さいね。また他者を尊重して共に助け合って生きてみて下さい。
(一向寺 Kousyo Kuuyo Azuma)

生きることに虚しさを感じるということは、人生を深く、真摯にとらえているということです。深遠な思考は能力の高さでもあります。お坊さんのおっしゃる通り、その思考力を活かして他者を助け、尊重しあい生きていくことで心が報われるのかもしれません。

引用:虚無からの脱出方法

不意に訪れる虚無感にどう対処すればいいのか

やりたい仕事ができて、健康にも家族にも恵まれ、充実な生活を送っているにも関わらず、不意に猛烈な虚無感に襲われてしまうというゆすらさん。

自分はどうして自分なのだろう。
どうしてここにいるのだろう。
なんのために生きているのだろう。
こういう疑問ばかりが、ぐるぐると頭の中を回ります。
なにもかもを投げ出してしまいたくなります。
終いには、それを考えることも放棄してしまいます。
そして、自分の中が空っぽになってしまったような、そういう恐怖を感じてしまうのです。お坊さまの修行の中や、お釈迦様の教えの中に、そういう心と向き合うためのヒントはないでしょうか。

何のために生きているのか分からない。人生の真意を問う相談に、お坊さんから心に染みるお言葉をいただきました。

虚無感に立ち止まった後、スルーしてしまえばいい

質問者さんと同じく、人生のエアポケットにはまったような「無常感」に襲われる経験があるというお坊さん。

同じ思いの経験者として言えるのは、立ち止まったあと、スルーしてしまえば良いということです。また同じ感覚が再来するけど、それはそれでいいのです。(中略)
大いに迷っても、ちゃんと収まっていく世界が用意されている、それが宗教的救済なのだと思います。(中略)空しさと虚しさ…これは我々が生きている世界をして、“浮き世”と言われる所以なのであります。
(報恩寺 藤波 蓮凰)

虚しさは、「浮き世」と呼ばれるこの世界では切っても切り離せないもの。考えても、迷っても、なかなか明確な答えが出るものではありません。
虚無感に襲われた時は一度受け止めて、考える。ただし、考えすぎてドツボにはまらず、その後はスルーしてあげる。お坊さんのおっしゃる通り、虚無感への対処法としては最適なのかもしれません。
仏教では、この哲学的思考は最終的に「成仏」という救いにつながると言います。迷っても、悩んでも、収まるべき世界が用意されていると考えると、心が救われる気がしますね。

真理の理解を目指して、虚しさを超えていく

あるお坊さんはこう説きました。

なぜ「虚しく」なるのか?
それは、ズバリ、この世における真理を知らない、知り得ていないからでございます。
いわゆる、「無明」(根本的無知)なる闇路を彷徨っている(輪廻している)からでございます。では、その「虚しくなる」原因である「無明」を対治するためにはどうすれば良いのか、その教えこそが、まさに「仏教」であるのでございます。この世における真理なるありようを深く理解できて、しっかりと「無明」を対治していければ、きっとこの「虚しさ」は完全になくなるのではないかと存じております。

(岩瀧山 往生院六萬寺 川口 英俊)

人生とは何か、なぜ生きているのか。この世の心理を知らない「無明」の状態にあることが、虚しさを呼ぶ。
この世の真理を理解する道のりは、並大抵のことではありません。しかし、無明であることを自覚して、真理を追い求めていけば、いずれ虚しさを超えることができるのかもしれません。
これはもはや修行とも言えます。無明を晴らし、精神を豊かにするためにも、仏教は大切な役割を果たしてくれるのでしょう。

これらの回答に質問者さんは、「ネット越しのはずなのに、お坊さまをこんなに身近に感じて、少し新しい自分になったような、そんな不思議な気がしています」と感謝の気持ちを伝えられていました。

引用:虚しいと感じる気持ち、どう対処すればよいでしょうか?

何のために生きるのか。目の前の生活が手につかなくなるほど、悩んでしまう方もいらっしゃるでしょう。
しかし、そう悩めるあなたは特別です。人生に真摯に向き合うことができる、すばらしい力を持っています。
人と支えあって生きて、真理を追い求め続ける。ドツボにはまりそうな時は、ちゃんとスルーしてあげる。
虚無感に襲われるときは、お坊さんからいただいたこれらのアドバイスを意識してみるとよさそうです。また、仏教を学ぶことで新たな気づきが得られるのかもしれません。

文・hasunoha編集部
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温かい気持ちになるお坊さん説法

「虚無感・空虚・毎日が虚しい」問答一覧

年を重ねて虚しさを感じる。

ここ数年の間、現在もですが 何をしてもすぐに虚無感、虚しさを感じる事が毎回必ずあってしまいます。 元々、漫画やゲームが好きで時には寝食を忘れるほど没頭した事がありましたが今ではすぐに虚しさを感じてしまったり、すぐ飽きるからと手を出さない時も起きてしまいます。 他にもどこか遠くへドライブしたり旅行したり美味しい物や好物を食べても虚しさを感じたり、どうせ疲れるからと思い何もしなかったりします。 後は性欲が強く性風俗へ行った時も今までは満たされていましたが今ではお店のホームページを見てどうでもいいやと思い行かなくなり(こちらは良いと思いますが)。 日常生活や仕事はつまらなくストレスが溜まるし特に仕事に関しては転職してから余計に虚無感を感じます。 寝ても食べても一人でボーッとしても旅行へ行っても性風俗へ行っても仕事へ行っても最早何をしてもすぐに虚無感を感じたり何か新しい事をしたり日用品や食料以外で買い物してもすぐ飽きて時間と金の無駄だからと感じやらずに終わってしまう… 仕事や仕事以外で人と会話してもすぐに愚痴や悪口、陰口のみになるからと思い会話も億劫になりました。 歳を重ねると何かする度に虚無感をすぐに感じたり新しい事を始めようとしてもすぐに飽きるからとやらなくなってしまうのでしょうか? 生きている度に人生がこんなにも虚しくつまらなく感じてしまいます。

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寂しさや虚しさに向き合うこと

こんばんは。 最近、訳もなく寂しさや虚しさを感じることが増え、何故なんだろうと思い質問しました。 例えば誰かと一緒にいる時、楽しいはずなのに「寂しいな」と感じてしまったり、目標に向かって頑張っている時、ふと「虚しいな」と感じてしまったりします。 昔からそういう感覚はありましたが、最近になってそれが顕著になり、どうにも気力が続かない日々が増えたように思います。 私は26歳の独り身で、ある程度社会人生活にも慣れ、周りが結婚や出産といった新たなライフステージを進んでいく年代になっているため、漠然と将来に不安があるのだろうなとは思います。 私は今まで恋人がいたこともなく、結婚に対してあまり良いイメージを抱いていないため、誰かと人生を歩む未来を上手く想像できません。これから仮に一人で生きていくとなっても、自分が納得しているなら別にそれでいいと思っていました。 けれど、あと何十年も、自分が生きるためだけに汗水垂らして必死になって働いて、果たして私はこの寂しさや虚しさに耐えられるのだろうかと不安になります。 よく「自分のためではなくて、他人のために行動しなさい」と言われますよね。 私自身も、誰かの役に立てた時、心から嬉しいし、満たされていると感じられる気がします。 だから、というと押し付けがましいですが、周りの人たちには感謝していますし、優しくしてもらった分私もたくさん返していきたいと思っています。 義務感からではなく、本当に大切にしたいと思える人に、そう接しているつもりです。 それでも「虚しい」と感じるのは無意識に見返りを求めているからでしょうか。 「寂しい」と感じるのは、やっぱり一人に耐えられなくて、誰かを羨んでいるからでしょうか。 私は、結局自分のことばかり考えている利己的な人間なのでしょう。そんな自分に辟易とします。 いつか自分を好きになりたいと思いながら日々を生きています。自分の良心に従って、自分の気持ちに素直に生きようと考えて日々を生きています。 そしていつか、誰かを愛することができたら、私は満たされるのかもしれないとも思います。相手がいるからどう、という訳でもないかと思いますが。 こういう「寂しさ」や「虚しさ」はきっと死ぬまで付き纏ってくると思うのですが、お坊さんたちはどのような心構えで向き合ってらっしゃるのか、ご意見をいただきたいなと思います。

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虚無感に苛まれています。

3年前に母が乳がんであることが分かりました。 でも母は告知されたのにも関わらず一人息子の私に何も告げず職場にもずっと隠していました。 看護師という職業柄なのか父が癌で亡くなっていて壮絶な闘病生活をみてるからなのか分かりませんが自分一人で抱え込み誰にも癌のことは言いませんでした。 そして2年前から出血が酷くなり大きな病院での診察をきっかけに僕に乳がんであることを打ち明けてその時点で私は知りました。 僕は必死で母の通院や入院の際の送り迎えや書類関係の手続きを、一人で行ってきました。何とか母に生きてほしいという一心で仕事も出来ず辛かったですが必死で頑張ってきました。 ただ、母からは黙っていたことへの申し訳ない気持ちや送迎や書類関係の手続き等に対して「ありがとう」や「ごめんなさい」、「悪いね」ということを言われたことが無く、「親の介護をするのは当たり前だ」と常々言ってきたので不遜な態度でいつも我儘をずっと言ってきて、何とかそれに答える気持ちで対応していました。 でも母は昨年の2月にお隣に住む方から借金をしていることを知りました。生活費や治療費が足りないと泣きついたそうです。 それをお隣さんから聞いた時、今まで母の為に一生懸命看病してきて自分なりに頑張ってきたのに猛烈に裏切られた気持ちになり、家を飛び出してその当時お付き合いしていた女性宅に転がり込みました。 母と大好きで10年連れ添った愛犬を実家に残して。 その4か月後母は入院先の病院でたった一人で亡くなりました。葬儀もせず無縁仏の状態で役所に遺骨は保管されています。 愛犬もすごく大事にしていたのに、母が最後に入院する際どなたか分かりませんが譲渡したと病院職員から聞いています。 今、スマホのカメラロールを見ると愛犬が出てくるたびに悲しく虚しい気持ちになって胸が張り裂けそうです。 愛犬はどこで何をしているのか。また今生きていれば14歳になるので元気なのだろうか。もしかして亡くなっているのではないだろうか。 母と愛犬を見捨てる形で家を出てきて、もう1年半ほど経ちますがずっと心の片隅にモヤモヤしたものが残っています。 12月からは地元を完全に離れて東京に行きます。地元にいると上記のことを含めて嫌な思い出が蘇るのです。 本当に虚しく寂しい気持ちが心を蝕んでいきます。

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学会で虚しさ、疲れ。全てが嫌に。

いつもお世話になっております。 私は今、とある学会に出るために、はるばる関東から、北国の地に来ております。今日はその学会で発表したり、色んな先生たちとお会いしました。ただそれだけのことですが、どっと疲れており、悲しい気分になっているので、お助けを求めて、ここにまいりました。 私も皆んなも、好きで始めた研究なのに、そこは純粋に学問をする場というより、人脈を広げたり、根回しする場になっていると感じました。表面的な会話に絶望していますし、なんか自分はこういう感じに人と関わるのは無理だと思いました。他の人たちが研究者同士、ワイワイやっている中、私はひとりぼっちで疎外感を感じました。発表を聞いてくれた方々には感謝、学会の準備をしてくれた方々にも感謝ですが、なぜか変な満たされなさと疲れがあります。 なぜ学会のことだけで、と思うかもしれませんが、学会が終わった後、なんかもう色々な社会的なことが嫌になってしまい、誰とも会いたくないし、これ以上何かを目指して生きるのは無理だ、という気分になっています。本当は、自分のキャリアや家族の問題でやらなきゃいけないこと、考えなきゃいけないことがたくさんあるのに、もう無理だ、と人生に降参したくなっております。 明日は学会2日目なのですが、もう帰りたくなってしまいました。もう誰にも会いたくない、もうこの感じ無理だわ、と思います。カフェで1人で本でも読んでた方が、よっぽど豊かな時間になりそうです。なんで突然こんな気分になるのか、戸惑っています。こんな私に、お言葉いただけたら嬉しいです。

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大勢に流されるだけの無力な塵

「何をしたところで、自分の命など他人次第でしかない」「結局は圧倒的な力で簡単に殺される」という事実に無力感を抱いています。 官僚もメディアも利益重視なので日本はもう沈むだけですし、今は救命ボートに誰を乗せるか、誰を蹴落とすかの時代です。だから、生き物が元々持っている「価値の無いものへの差別的感情」が抑えきれません。労働が「ただの苦役」でしかないから誰もが最低限の仕事しかできず、終わりゆくこの国を救う革新的な方法を誰も編み出せません。私を含め、誰もが、「自分が被害者だから救って欲しい」としか言えないからです。 現実を見れば見るほど「ものすごいスピードで進む、いつ先がなくなるかわからない、けれど先がなくなることだけは確定しているトロッコに乗せられているだけ」という感覚が強くなるため、自分の生活に集中したくなります。しかし、それでは逃げるタイミングが見極められずに沈んでしまいそうで恐ろしくもあります。 私よりもずっと賢くて優秀なはずのたくさんの人が「もう日本は終わりだ」「戦争は避けられない」と言っていて、誰も解決策を見出せていないのだからきっとそうなのでしょう。私は、他者を害しなければ生存を保つことができない「生き物」そのものに強い不信感を抱いているため、どれほど恵まれようと、一生働かなくてもいい程の富を持っていようと、漠然とした絶望感を抱き続けるのだと思います。そして、現代はその絶望感を煽る事実ばかりが蔓延する時代です。 頑張らなければ生きられないのに、頑張ったところで生きられるとも限らない。結局、他人に対して「自分を生かす価値」を証明できるかどうか。そして、それさえ押し流す国家間戦争や自然の強大な力だってある。「殺される」という気持ちばかりが強くなっています。 「生きない」ことが最善で、全生命が同時に安楽に死滅するのが最も賢く幸せだという思いは10年近く変わってはいませんし、きっと一生変わりはしません。私自身がまともに働いて生きるという当然のことができない人間なので、子供を持つつもりは一切ありません。自分に安楽な老後があるとは一切思っていません。ただ、希望のないこの世界が続いていくのがどうしても腹立たしくて許せなくて仕方ありません。死んでもどうせまた生存競争の中に放り込まれる。やがては太陽と共に死滅する。そこらの塵でしかない自分を惜しんでしまうのが嫌なのかも。

有り難し有り難し 2
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毎日が虚しい、悲しい、もうやだ

長文になりますが読んでいただけると嬉しいです。 のこと申します。今年21になった女です。 去年結婚し、現在は失業保険を貰いながら規定内でパートをしています。実質専業主婦みたいなものですが、夏頃までにはと、正社員での就職を目指しています。 最近無性に孤独でたまりません。 旦那と結婚式の話をした時、自分だけ呼べる人が誰もいないことに気づきゾッとしました。 10代半ばから今まで、苦しいことだらけでした。いじめ、不登校、大量のアームカット、援交、風俗、中絶、家庭内不和、と人には絶対言えないようなことをたくさん経験してきました。 逃げるように結婚し、今はだいぶ落ち着きましたがやはり頻繁に苦しくなります。過去の後悔、今後の不安、周囲への申し訳なさ、相談相手のいない孤独から押しつぶされそうです。 だけど、今まで起きた苦しいこと全て、自己責任です。 もともと友達もたくさんいて、家庭も裕福で、幸せだったはずなのに、何が気に食わなかったのか、自分でそれを壊してしまいました。 学歴も高卒で、職歴も大したものではなく、友達とも全員縁が切れている、こんな状況にしたのは全部自分です。 誰にされたでもなく、全て自分でやりました。 癖がついてしまったのか、今でもわたしは自分を不幸にする選択をしてしまう時があります。頭ではわかっているのですが、無意識に、そうしてしまうのです。 苦しいです。 やりたいことも頻繁に変化し、自分が何をしたいのか全くわかりません。 自分がどこへ向かっていくのか不安でたまりません。死んだ後地獄に落ちても構いませんが、せめて生きている間は幸せでいたいです。 わたしは一体どう生きたらよいのでしょうか?このまま生きていくと廃人になる気がしてなりません。 私なんかと結婚してくれた旦那には申し訳ないです。 消えてしまいたいです。 支離滅裂な文章でごめんなさい。

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