好きなものを好きと言いたい
私は自分の好きなものを好きと言うのが苦手です。元から得意ではなかったのですが、最近また苦手になってきました。
そう気づいたのは、ここ数ヶ月での家族と友人との会話です。
例えば自分がおにぎりが好きだとします。私はおにぎりの形は三角が好みだとか、海苔は味付きが良いとか周りに語りたいとします。
それを実際にしてみると、母は「へ〜そうなんだ。でも私はご飯好きじゃないからおにぎり嫌いだわ」と人の好きだという情熱を打ち消すように、自らの嫌いな部分を伝えるように返されます
父はある程度聞いた後「俺もおにぎり大好きな時代あったわ!そうあれは10代の頃…」と自分の過去話に無理矢理方向転換していきます
友人はまだ良い方で相槌を打ったりたまに深掘りして聞いてくれて話が盛り上がるのですが、疲れて少し話のペースが途切れ途切れになった途端、友人ペースの別の話にすり替わってることが多いです(私はもっとおにぎりの話がしたいのに、ペースを取り戻そうとしてる間に話が終わったことになってしまってます)
またその友人の話が長く、マシンガントークが止まらないので、私が話した倍以上向こうが語ってて、それを聞くことになってしまい、結局聞き役が苦痛になります。
そういうことがあって、なんか…自分の好きが軽く消費されること、自分が大切に感じてる物事に許したとはいえ(話すと言う時点である程度はそうなるだろうとわかってはいながらも)土足で踏み荒らされた気持ちになったりする、そう言うふうに感じるようになり、自分の好きを言うのがまた嫌になってしまいました(また、というのは主に親で、ほぼ絶縁状態になってた所から紆余曲折ありまた親子として話せるようになった所へこの仕打ちだったからです)
だから最近は聞き役に徹することが多いです。母が関西圏の人なので、ノリとツッコミを会話の中に入れて欲しいらしく、それのために興味のない話もできる限り聞いて、合間合間にノリツッコミを入れられるよう返事をしています
それでも本当に興味のない話や父のようにめんどくさい自慢話を広げるようなタイプにはあまり相槌を打たないようにしています
長くなりましたが、私は自分の好きなものを語りたいのです。
でもそれに好き嫌いの他人の評価はいらなくて、ただ私が好きなんだと感じてるのを話の腰を折らずに最後まで聞いてほしいんです
この願いはおかしいでしょうか
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相手と自分のは違っていていいのですから
拝読させて頂きました。
私はあなたが自分の好きを語っていかれることがいいと思いますよ。あまり気にしないであなたの好きなことを語っていきましょう。
例えあなたの好きなものを否定されても勝手に話を捻じ曲げられても、相手の別の話にすり替わっていたとしても、あなたの好きが変わることは決して無いのです。
相手には相手の好きがあり、自分には自分の好きがあるのです。そもそもそれぞれが違っているのですし、好き嫌いが違っていて当たり前ですからね。あまり相手の言うことを気にする必要などないですし、自分の好き嫌いを相手によって変えることもありませんからね。
それぞれに語り合い分かち合うこともとても大事ですが、自分の好き嫌いは自分のものですからね。逆に好きなものが共通の方々とお話なさってみることの方が精神的にもいいかと思います。
あなたがこれからもご自分の好きなことを大切になさり毎日を心から豊かに充実なさって生きていかれます様にと心から祈っております。
質問者からのお礼
有難いお返事ありがとうございます
相手がどんな反応でも、自分は好きでいていいんですね…。それだけでかなり安心しました
現人間関係で自分の好きが合う人はほとんどいないので、自分の好きを分かち合える人をリアルでもSNSでもどこかで見つけられたらなと行動していきたいです