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「いのち」に失敗作などありません

私の「いのち」の尊さは、誰から生まれたかによって決まるものではありません。

人との出会いや別れにおいて、離婚することは人生の間違いなのでしょうか。

人は様々な縁によって出会い、そして分かれていきます。そのような「因縁生起」の世界において、人との出会いに正解も不正解(間違い)もありません。縁があれば出会い、そして分かれるだけなのです。

ですから、「いのち」に失敗作などありません。

数々の偶然の重なり合いの中から、私たちは「いのち」を頂いたのです。この世に生まれたこと自体が尊いことなのです。「人身(にんじん)受け難し、いますでに受く。」なのです。
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自分の存在に対する否定感と嫌悪感
わたしが小学生の頃に両親が離婚しました。 父と母が結婚したことが間違いだったなら、そのとき産まれたわたしの命も間違いだったということなんだろうか、という問いが心の中の不安として20年以上もくすぶり続けています。 両親のことを大切に思い、慈しみの気持ちを持つこともありますが、 父や母の嫌な部分を自分のなかに発見すると、自分の存在に対して嫌悪感を抱いてしまいます。 わたしは母から虐待を受けながら育ちました。 未だにそのときの情景を思い出し、あのときに死んでしまえば良かったという思いに苦しめられます。 虐待を受けた影響なのか他人と接するのが極度に苦手で、とても生きづらく、できれば人や社会と関わらずにひっそり生きていきたいと思っています。 未だに憎しみあっていて、結婚したことを後悔している両親から生まれたわたしの存在は間違いだったのでしょうか。 両親に対しても、自分に対しても、嫌悪感を持ちながら生き続けるのがとても苦しいです。 自分が生きてる理由が一組の男女の選択の失敗だったと思うと、自分のことが好きになれず、選択を誤ったその人たちに対して憎しみの気持ちさえ湧いてきます。
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