頑張れない自分が嫌で死にたくなります
自分のクズっぷりが嫌で、最近毎日のように死にたいと思うようになってしまいました。
友人と二人で叶えたい夢があって、数年前から一緒に頑張っています。
(どんな夢かはすみませんが内緒にさせてください)
友人は私よりもとにかく意識が高く、仕事もできててきぱきしていて、前向きで頑張ることが大好きな人です。すごく尊敬できる人柄も素晴らしい人なのです。
それに対して私は卑屈で要領が悪いです。正直相性は最悪な二人だと思います。
友人の前向きで明るい人柄がまぶしすぎて、苛立ってしまうこともあります。
それでも同じ目標を持っているからこそ、一緒に組んで頑張ることを決めました。
だからこそ、衝突することも本当に多いです。
私はよく友人から意識が低い、と怒られ呆れられてしまいます。
その通りだと思うので、私は自分が情けなくなり…、だんだん頑張る気力がなくなってきてしまいました。怒られ続ける毎日に嫌気がさしてしまったんです。
家族には経済的にも本当に応援してもらっているし、こんな情けない悩みは誰にも相談できません。応援してもらっているのに応えられない自分が嫌になります。
前向きに頑張ることもできない、辞めることもできない、こんなどうすることもできない状況に立たされて、もう生きることを放棄するしかないのかもと自殺の方法などを調べだしてしまう始末です。
こんな自分が本当に、嫌いです。
未来に希望も持てません。
でも本当は死にたくもないし、友人のように前向きで頑張れる人になりたいです。
頑張れる人にはどうすればなれるでしょうか…?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
がんばれることも一種の才能です。
人間は誰でも平等です。
しかし、人間は誰でも同じではありません。
例えば、小学生千人集めて、全員に、スポーツ医学の専門家をつけて、トレーニングさせたら、全員がいつかはフルマラソン二時間10分以内に走れるようになると思いますか?
できませんよね。
ほとんどの人には無理なのです。
それは努力が足りないからできないのではなくて、努力ではどうにもならない、その人間が持って生まれた身体が、みな違うからです。
ジャズ史上最大の偉人と呼ばれる、チャーリー・パーカー(アルトサックス奏者)は、十代の頃、毎日サックスを一日16時間吹く生活を、最低でも六年ほどは続けていたらしいです。
では、小学生千人集めて、アルトサックスを練習させて、毎日十六時間吹く生活を六年間続けることが可能な人は何人いるでしょう?
私はほとんどいないと思います。
「パーカーのように吹く」ことが非常に難しいだけではないのです。
「パーカーと同じくらいたくさん練習すること」自体も、誰にでもできることではないのです。
それができるのは、その人がそういう身体、脳を持って生まれてきたからであり、また、その人が、生まれてからこのかた、そういうご縁(条件)にめぐり合ってきたから可能になっているのです。
あなたが、友人と同じように「意識高く」がんばれるかどうかも、一種の才能なのです。
がんばれば、なんとでなる、という考え方は、事実ではありません。
努力することの大切さを否定するつもりはありません。
しかし、パーカーのような練習量を確保するのも、誰にでも可能なことではないのはわかると思います。
この事実を浄土真宗では「他力」とか「ご縁」とか、「自力無功」と表現します。
自力無功とは、決して努力しないでいいとか、努力の大切さを否定する言葉ではありません。
しかし、自分の意志で、自分が思うがままの努力をできるかといったら、それは事実ではないのです。
事実は、持って生まれた身体も脳も、生まれてからめぐりあったご縁もすべて異なるのですから。
あなたにできる範囲の努力をしているのならば、決してあなたは、ダメな人間なんかではありません。
そして、お願いがあります。
自殺しないでくださいね。
あなたがあなた自身を見捨ててしまっても、あなたを見捨てない人、あなたがいなくなったら悲しい人が必ず存在します。
質問者からのお礼
何を言われても、私なりに頑張ろうと思いました。
気持ちが楽になりました。ありがとうございます。