回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
その魂というのは何か?
結論 (^<^)まず、あなたの言われるところの「魂」の意義をご自身で、正しく認識、理解してみることです。
「私は、何をつかまえて 魂というものを認めて握っているのか?」
それが❝明晰性❞につながる答えになるでしょう。
不確かなもの、無いものをあるかのように思っては妄想が膨らむだけです。
見える、聞こえる、香る、味、感覚、真実実相を相手にするのが仏教です。
もう一度冷静になって考えてみましょう。
およそ、わたしたち人間の多くは、何の事を魂と呼んでるのか。
「何を喚んでか魂と為さんや?」
何をこそ魂と呼ぶべきでしょうか?
それもよくワカランうちから、有るか無いかすらもはっきりしないものを相手に、やれ魂がどうしたとか、取り扱っている本人たちがよくワカッテもいないのに、・・・これって、ぶっちゃけおかしいと思いませんかね?(^<^)
それこそ一番「魂」を失っている状態と言えませんか?
まつなかさんのことではありません。
あなたと同じ、疑問を多くの方々が持たれておられると思います。
無いもの を あるかの如くに 持ち込んで どうしたこうしたと騒いでいないかどうか?
そういうのは、その問いかけ自体を疑って、問いかけしてみることです。
私は、これを知ることで何をしようとしているのか。
あったからどうだというのか。
なかったらどうだというのか。
何の事を私は魂などと思い込み始めたのか。
自分の思いに自分がくらまされない生き方こそ、魂のある生き方と言えると私は思います。
肉体も心も瞬間瞬間に変化している
仏教では魂という言い方に馴染みがうすいので、なんとも言えません。
魂とは何かを定義していただければ話しやすいでしょう。
体と心については、体のことを仏教では色(しき)と言います。物質のことも色と言います。
心については、名(みょう)と言います。
名には受・想・行・識の4つの要素があります。
色の1つと、名の4つを合わせて五蘊(ごうん)と言います。
人間とは結局、五蘊それぞれが瞬間瞬間に変化し、関係しあいもつれながら連続しているようなものです。
色のスーツのに名(受想行識)が入っているのかというと、ちょっと違う気もします。
質問者からのお礼
ありがとうございます!