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日曜参禅会

『観音経』 提唱
観音の功徳
念彼観音力とはなにか。
観音の力を念ずる。
その前に観音とは何か。
観音、観音の力とは外の世界の偶像化された空想や絵空事の観音様というキャラクターではない。
いつまでもそういうものにさせておいてはいけないのである。
一歩前に進み出んとする足の運びも救いの手、救いのアクションである。どこにそれは存在するか。みな汝が心にあり、汝が一行にあり、汝自身の今日一日のワンアクションがそうであれ、ということである。
事実、人には観自在の力、物事を自由自在にみる力がある。
これは誰にでも備わっている。
✌と示せば、2と言い、或いはチョキと言い、ピースと言い、或いはVサインという。これも観自在、見ること眺めることが自由自在なる姿である。
小麦一つあれば、パンもうどんもパスタもチジミもラーメンもクッキーもたこ焼きもお好み焼きもビールもウイスキーでも何でもできる。これも観自在。見ることも扱う事も自由自在なる働きである。扱うのに自由なはたらき、とらわれなき人間の自在な活動である。
楽器ひとつあれば、❝奏者❞は、無限に自在に奏でることができる。
🎻
禅宗にも奏者という職務がある。
色々なことに精通しているからこそ、良き響きをなす。
それらもみな個人の内なる響きの出力、アウトプット、あらわしである。
職務も作務も奏でることもみな人の行いである。
観音。なこかこれ千手千眼。
人には千手千眼千足の働きがあるのに、それを用いる力がないのは菩提心がない、求道心がないからである。
僧侶というものもおよそ我々日本の僧侶は気が付いたら寺に生まれていた、嫁さんが寺の娘だった、在家出家したとか言っても、お寺をやるということがあっても、心底僧侶をやる、菩薩の行を修す、仏の行をするという事が皆無なのは、宗派のスタッフ化して教区の五人組制度に縛られ、足並み揃えろ運動でありきたりで当り障りない活動しかできないようにさせられているところがあるからでしょう。観自在ではない。観不自在。行として不自由。
自分が僧侶という立場にありながらも宗派や僧侶という枠に縛られてしまうから、世間一般に対しても上質な布教がままならない。では誰がそれをやるかと言えば、志ある者だけである。
人は自分の活動におよそ疑問を持っているはずであるから、その惰性を今日、今ここにおいて仏智壊すという仏・祖師に会うては仏祖を殺すというぐらいの気概がなければ祖師と肩を並べることなどできないでしょう。別に殺さんでいいのです。滅すべきは自分の無縄有縛の自縄自縛のみ。
観音とはアバロキテーシュバラの訳。
観自在という。
これを人格化したものが観音、観音様と言われるものである。
現代の僧侶たちはいつまでも観音さまを絵空事として説くのではなく、誰の上にでも備わっている力を引き出せるようにご教導をするべきである。そうでないと人はいつまでも絵空事仏教レベルにとどまるばかり。道元禅師も禅宗の祖師たちは実に聡明で明晰な救いを示された。絵空事など何一つない。なのに、現代僧侶の我々がもし、それをしないとすればそれは単に出し惜しみと見識の無さと、正法に巡り合う事の少なさと、保身の為でしょう。
あるいは、出家在家を隔てる差別心である。
観音の力を念ずれば…
法華経には次のようにあります。
一応、全部「観音力を念ずる」というところを読んでみましょう。
まずはこれらの話は「仮定」であるので、最初から現実ではない。「もし~のようなことがあったとしても」という風に読んでみるとよいでしょう。そもそも、今皆さんもこれを読んでいるという事は、別に蹴落とされても、処刑されるときでもないのですから。笑
①たとえ害意を興され、大きな火の坑へ推し落とされるようなことがあったとしても、彼の観音力を念ずれば、火の坑は変じて池と成る。 
(🔥火の穴の中に突き落とされても池になる🌊)
②或いは巨海に漂流して、龍や魚や諸鬼の難にあうようなことがあっても、彼の観音力を念ずれば、波浪も没すること能わず。
(🐉🐡👹🌊波やサメやクジラに襲われても沈むことがない🚢)
③或いは須弥峰に在って、人の為に推し堕とされるような所であったとしても、彼の観音力を念ずれば、日の虚空に住するが如し。
(⛰高い山から突き落とされてもピタリと止まる。)
④或いは悪人に逐われて、金剛山より堕落するようなことがあっても、彼の観音力を念ずれば、一毛も損ずること能わず。
(👹悪党から突き落とされてもケが無くてよかったね。)
⑤或いは怨賊に繞まれることが値って、各刀を執って害を加えられるようなことがあろうとも、彼の観音力を念ずれば、咸く即ち慈心を起こす。
(💀賊にかこまれて害されそうになっても相手が慈心をおこす)
⑥或いは王難の苦に遭い、刑に臨んで寿終わらんと欲せんに、彼の観音力を念じれば、刀尋いで段段に壊れる。
(🔪いざ刑の執行時も刑罰の器具が壊れる⚡)
⑦或いは囚われて枷や鎖に禁じられ、手足に杻や械を被ろうとも、彼の観音力を念ずれば、釈然として解脱することを得る。
(拘束されても、あっけらかん。)
⑧呪詛や諸の毒薬によって、身を害しようと欲せられる所の者があったとしても、彼の観音力を念ずれば、還って本の人に著く。
(呪いや毒ガスをかけてくるものが自爆💣)
⑨或いは悪しき羅刹、毒龍や諸の鬼等に遇うようなことがあろうとも、彼の観音力を念ずれば、時に悉く敢えて害せず。
(👹襲ってくる獣が襲わない🐉🐍🐆クォーン💓)
⑩🐻若し悪獣が囲繞し、利の牙や爪の恐るべきも、彼の観音力を念ずれば、無辺の方に疾走す。🐻💦
(ケモノが牙や爪をむき出しにしても遠くへ走り去る🐻)
⑪蚖蛇及び蝮蝎、気毒の煙火が燃えようとも、彼の観音力を念ずれば、声に尋いで自ずから回して去る。
(🐍🔥🦂キモムシや煙に囲まれても、襲ってこない。)
⑫雲雷の鼓、電を掣し、雹を降らせ大雨を澍ぐようなことがあろうとも、彼の観音力を念じれば、時に応じて消散することを得る。
(⚡雷やヒョウ、大雨がおころうとも、やがて消え去る。)
⑬諍訟して官処を経て、怖畏なる軍陣の中にも、彼の観音力を念ずれば、衆の怨、悉く退散す。
(👉つるしあげ裁判、戦陣にあっても害、身に及ばず。)
そもそも、人の煩悩やおそれとはたとえ死刑執行を待つ死刑囚が恐れていたとしても、いまだ死刑ということがその身に起こらない。
真に不動なるものは事実に立脚しているために自心および自心の生み出したる副産物の妄想・煩悩に動ずることがなくおびえることがないのは、想念ではなく事実をみているからである。これも観自在なる働きなのである。
人間の脳みそは右脳と左脳とがある。
左脳は過去と未来、今現実にないものをみる働きを有するという。
右脳は事実に立脚し、主観が介入されることがない。
脳科学者のジルボルト・テイラー氏も自らの左脳の不具合の体験を通して、病中にありて病気を忘れ、右脳だけの世界を楽しんでいたと証言している。世界はうつくしい、と。
石田三成が、いざ処刑される道中にばあさんが最期にこれを、と柿を渡そうとした。
「婆ァ、せっかくの気持ち、有難いが、今、ワシは腹をこわしておっての。食えん。」と断ったという逸話がある。
これから死刑になるのだから、腹を壊そうが何だろうがどうでもいいはずだろうと人は思うものでしょう。ところが、人は今を生きている。処刑されるといっても、処刑という事がこの身に起こることがなければ処刑という事が世界中、誰の上にも、いつだろうが、どこだろうが決して現れることなどないというのが、賢明なる人間のまなざしというものである。
私には到底無理だと思う人こそ愚か者である。そういう思いを働かせるからその負の思いによりて自らをそれこそ奈落の底に蹴落とすのである。
坐禅会には人の足を引っ張る魑魅魍魎という心理にとりつかれた人間がよく表れるものです。法話や提唱の後でこういうことを言う。
「ですが、和尚、中々できませんよね。難しいですよね。」と。
そういう御仁に遭遇したことが一度に度はあるでしょう。
師匠の参禅会ではそういうものは厳しく突っぱねられていたものです。
「アンタは今❝(*´Д`)難しいですよねぇ❞❝(;´Д`)できませんよねぇ…❞ということを 自分で口にして、自分でそのダメな心理を自ら採用したんだと知るべきである。」と。
なかなかできませんよねぇ、難しいですよねぇ、という言葉はよくテレビなどでも耳にするでしょうが、本当に要らぬ言葉なのである。できない、わからない、成就できない人を大量生産しても無益でしかない。
「そういう言葉を口にするから、そういうレベル、そういう程度にアンタは❝なる(陥る)❞」のだと。
強烈なご教導である。
人間の愚駄愚堕なる心理を一撃で摧破し、破壊と再生を兼ねた、金剛の剣。
私自身もその言葉によって、要らぬ採用は自らしなくなれたものです。
よって、念彼観音力とは、坐禅弁道、静慮によって、人が人間の持つ想念の世界からの影響を受けることのない一心をみいだすことできれば、=観音の力を念ずれば、どこにあろうとも人は盤石不動である。想念に生きるな、事実を生きよ、と。
不動も地蔵も観音も阿弥陀も仏もみなこの一心の自在性の象徴であり、菩提心の活動の姿である。
丹下和尚にかかれば何でも菩提心ぢゃなと思われるかもしれませんがそうではない。
地蔵菩薩も阿字も観音力も第一義も悟りも涅槃もみな人間の最上最高の心の活動体なのであり、根源のところなのである。
仏教という言葉が先にあるんじゃァないのです。
後からそういう一心をこそ仏教とか悟りとか観音力と後世の人がそう表現したのです。
だからこそ皆さんも、見極めるべきは言葉や概念の方ではなく、自分の中にあるそういう静寂な心なのだという事なのです。
ああ、そっちだったか!ということが、ここで今はっきりわかる人はそこに観音様がちゃんと導いてくれる功徳が生ずるのです。
ああ、なるほど!確かにこれは救いだ!と。
大げさなことじゃないんです。
ちゃんと全人類が救われることなのですから。
私もコロナに感染して頭がボケボケになりましたが、少しずつ回復してきました。
歳をとったり、また病気に侵されたら、こういう表現もできなくなるでしょう。だから、皆さんも生きているうちに、元気なうちにとことん追求してみてください。人は教えてくれないのです。
ここまでご覧いただけた方は、どこを追求すればいいか、具体的に明らかになられたはずです。
「そこ」を見つめることなしに、人はあれこれ他方、多数のことを暗中模索で探そうとしているから、結局いつまであっても手ごたえも得るものが無いのである。
かの観音の力とはわれわれ人間の持つ、この自由な何でもない、いつでも無垢清浄にして誰も手を付けることのできないまっさらなままの一心を言っているだけである。この時、このひと時ですら、天地の無限の歴史の中の一部、ひと時でありながら、最新最終とれたて新鮮の全蓄積体、総集積である。
こんな素晴らしい観音の時がいつでもの「今」であり、この永遠に劣化することのない今こそが永久、永遠に私たちとともに「いつでも」あることをどうしてみないのか。
かの観音の力とは、この無垢清浄の光であり、たった今、そこにある、目の前にある、このこと、これ、それ。
今この身心に現れ来たることすべてである。
これを観音様、如来様と言わずしてなんというか。
これを観音利器、如来とみずしていずれのところにファンタジー描くのか。
そして、この無垢清浄なる誰も手を付けることのできない今をこそ、自由自在に用い得るものこそが、生きた観音菩薩であり、世の衆生の苦惑を取り除く、人間界、天上界の師、三界の大導師となるのである。
これをご覧のそこのあなたのことである。

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人間はこの世に生まれたものの自分が本当にすくわれる話というものをおおよそ聞いたことがない。
癒しと救いは異なるもの。
癒されて癒されて翌日忘れてしまうくらいならば、人生心底すくわれる方法を学ぶべきである。
救いとは何か。
自分が自分の思いによって苦しまずに生きられる心を持つことである。そのような心で生きる、処するということである。
どのようにすればそうなれるのか。
それが自分を見つめ、自分の心の本当の様子を明らかにして、自我の立ち上がり以前の心、思考・思慮分別の立ち上がり以前のこころを見出す道である。
説法、法話、提唱とは、人が人を迷わせ苦しめる人間の思いから救われるためのお話です。

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