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誰かに見られていると思う気持ちが恥ずかしさの正体
「ああ、こんなだったらいやだろうな」
「こんな風に思われたら恥ずかしいなぁ」
というのは「自分の思い」なのです。
周りはそう思っていないのです。
「自分」しかやっていないと知ることです。
人からアレコレ思われたからって減りもしません、傷もつきません。
この前新所沢のパルコで女子高生の格好をした頭のハゲた眼鏡かけたオッサンを発見しました。
その驚異的なファッションに思わず撮影していしまいました。
時々街中でもそういうぶっ飛んだオッサンやおばちゃんを見かけると思います。
愛知にいった時は頭を虹色に染めたおばちゃんが居ました。
恥ずかしさで頭が真っ白どころか飛び越えて「にじいろ」です。
そのくらいになりましょう。
高校生の頃、友達とじゃんけんで負けた人がコンビニで18禁のエロホーン(エロ本)を買ってくるという苦行が流行りました。
さらにレベルが高まってじゃんけんで負けた人がアダルトビデオを借りてくるという荒行に。
(; ・`д・´)(;'∀')✋✌(゜-゜;)(;´Д`)
その過酷な任務は、当時の男子学生にとっては実にハードルの高いものでした。
エロホーンは私が買いに行く羽目になったのですが、今振り返ってみれば恥ずかしいのは買いに行くまです。のど元過ぎれば熱さを忘れるもので買いに行った後は振り返る程度です。
その後は胸を張ってたとえ店員さんが女性であっても無心に買ったり借りられる境地「無想転生」に達しましたが、それよりもAVを借りにいくことになった友人はその後、トラウマを抱えてしまいました。
店員に断られたのです。
彼がもし、今も悩んでいたら彼の羞恥心と取り除く為にもこの話を聞かせて一緒に借りにいってあげたいものです。(借りるんかい)
結論:人が見てるのではないか、こう思われたらいやだなぁと思うのはどこまでいっても自分の思いで人がやっていることではない。失態をした時に、静かで居られる者は失うものがない。
恥ずかしい、喪失感は想念のなせるワザで事実は何も失われるものはない。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
6人もいたけど自分に集中して乗り越えました。
お返事ありがとうございます。