hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

破壊

回答数回答 1
有り難し有り難し 49

何もかもぶっ壊したい。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

にっこり星は実は至る所にある

果たせなかった約束、残念無念でございやした。ううう。
こんな話があります。
一番愛する太陽のような心を亡くした子供がお母さんを求めるはなしです。
その子はちいちゃい時にお母さんを亡くしてしまった。ずっとふさぎ込んでいたのです。
お母さんに代わる存在はお母さんしかありません。
「お母さんを求めてもお母さんが何処にもいないよぅ。」
※もちろん「ま。」さんの笑顔はお母さんではない人の笑顔であるとは伺って存じておりますが、実はこの話、共通するのれす。
さて、その子は、成長して人生の中でさ迷って、色々なことをして、手応えのある事を探りました。
あの人がスゴイらしいぞ、あの人が立派らしいぞ、あれができるといいらしいぞ、あっちこっち行ったり来たりしてみましたが欲する「たいよう」は与えてもらえませんでした。
その子は求め先を変えました。
だんだん、なんかわかってきました。
「外には無い」と思ったそうです。
でも、外にもあるとは感じたそうです。
自分を観てみると、いつも自分は外に求めてばかりで、内なる自分の持ち物を全然見てなかったことに気が付きました。
自分は今まで吸収しよう吸収しようと一生懸命に外の事ばかりに力を注いでいて、まるで掃除機のようであったことに気づきました。
外のことを掃除機のようにいくら吸い込んでも、満足がない。
もっと手応えのある方法、いい方法を見つけたのです。
外にあらかじめ自分で決め込んだ「たいよう」を求めることをやめたのです。
自分が一番欲しかったものをやめました。
やめた瞬間、世界が明るくなりました。
その子はある時、いたるところに「おかあさん星(おかあさん性)」を感じ取れるようになったのれちた。
みんなそれぞれカタチも色も温度も違うのですが、それぞれがみんな「にっこり星」として自分を照らしてくれていることに、ようやく初めて気が付いたのでした。
もっと、大きな気づきがありました。
自分も誰かを照らしていることに気づきました。
自分の作り出した有り難しの数が誰かを助けたり照らしていることに気づいたのです。
お釈迦様も道元禅師も一休さんも幼少の頃お母さんと引き離されて本当はもっと「おかささん星」に照らされたかったのにそれは得られませんでした。
いつの間にか、自分が時空を超えて人を照らしているのでした。
「ま。」さんも実はもう照らして、誰かを笑顔にしていたのです。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

【約束】
果たせなかった約束がある。

ごめんなさい。

もうすぐ3年、あなたの笑う顔がもう一度見たい。

という質問が最初の質問です。投稿のミスで全く違うタイトルと内容にかわってしまってすみませんでした。反省してます。

ありがとうございます。

照らします。

お返事ありがとうございます。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ