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この感情は恋なのか教えて欲しいです。

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最近、自身の抱く感情が恋なの悩んでいます。
これは恋でしょうか。

とある人のことをよく考えてしまい、週に一度すれ違うときが楽しみになっています。(相手は気づく時と気づかない時があります、気持ち悪くて申し訳ないです)
ですが、私はその人と出会った際に気づいてもらえれば挨拶をする程度の顔見知りです。その場で話をするような間柄ではありません。

少し特殊な知り合い方をして、一応連絡先は知っているのですが、過去に一度事務的な連絡を交わした以来何も連絡していません。

客観的に見ると、失礼ではありますが、見た目が別段優れている、というわけでもありません。ですが私にはとても素敵に格好よく見えるのです。

私は恋愛感情を抱いたのが、数年前で、この感情はひょっとしたら憧れなのかもしれない、恋だと勘違いしているだけかも…とも思っています。
そしてその人は、本来私が知り合える様な人ではなく、沢山の大会で成績を残し、海外の大会にも出場をしたこともある凄い方です。

もし私に、容姿に自信があれば食事などに誘えていたかもしれませんが、その自信、勇気もなく、むしろ隣を歩くのもおこがましいと思っています。(そもそも彼女さんがいるかいないかも知りません)

これはやはり恋愛感情なのでしょうか。それともただの憧れでしょうか。
そして、ほぼ性格などを知らない人に恋をするのはおかしいでしょうか。
1人でぐるぐる考えてしまい、この感情を持て余しています。
ご意見くだされば嬉しいです。
長文失礼いたしました。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分で見極める他ありません

先日幼稚園のママ友さんたち4人と話しておりましたら、コンビニにイケメンがいるという話で盛り上がっておられました。✨🌸🌷🌼🌺✨(._.;)
旦那そっちのけで、コンビニのイケメンに萌え萌えするママさんたちを横目に、ママさんたちの夫側の立場で聴いていますと目の前が灰色くなって出家したくなりました。(笑)
愛とか恋とか当初はみんなパートナーに対して萌え萌え♡で結婚したはずなのに、口を開けば旦那の悪口イケメン話で花を咲かせるそのイタい諸行無常なる光景を目の当たりにすると、もはや恋とか愛という言葉は信じられなくなったのでごんす。(笑)
誤解によって結婚し、理解によって離婚するという言葉がありますが、恋というものがそもそも誤解なのかもしれません。
それはそれとして、まぁ、15年後のご参考までに。
人生いつでも錯覚のようなものです。
それが恋であっても好意、好み、憧れであっても現実は要はその人と結婚するかしないか、結婚したら継続出来るか出来ないか、という点が最終的に大事になってくるので、恋熱という現実を捻じ曲げるものの見方を乗り越えて、冷静に相手を判断する力の方が大切です。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

恋するのは自由です。

気になりだしたら止まらない。
本人の顔を視れるのを楽しみにしている...

恋の予感がしますね。

今のところは片思いというやつですか・・・

気持ちをお相手に伝えることが出来できれば素敵な事なんですが、、、
その場合は一歩前に出る勇気ですね。

ごめんなさい、あなたと、その彼の関係性がわからないので、何も言えませんが・・・
一歩前に出て関係がおかしくなってしまうと悲しいですので。

今後は自分の選択に責任を持って関わっていっていただければと、私は思いました。

例え片思いのままでもきっと今後の人生の素敵な思い出になりますよ。

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おきもち

時宗の寺院で住職をしています。 今の時代、お寺の在り方とは、僧侶とはいったい何か?と、考えています。 僧侶としての根本は、朝のお勤めだと考えております。 週に2回、お寺で空手教室を開いております。 近隣の子供たちに、礼儀作法を伝える。 これも寺院の持つ役割である、地域貢献に繋がると、少なくとも私はそう思い、精進しております。

質問者からのお礼

お二人共真摯な回答ありがとうございました。

恋の予感、という言葉にドキッとしてしまいました。きっとこの気持ちは恋であるということなのでしょうね……。
ですが、関わりのあるうちはこの気持ちは告げないでおこうと思います。気まずくなってしまうと私だけの問題ではなくなってきてしまうので。そしてまだ踏み出す勇気もないので、勇気が出せるよう自分磨きに努めようと思います。
いい思い出にしたいと思います。

誰かに相談できて気持ちが軽くなりました。
ありがとうございました。

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