どうやって答えば良いのかわからない
仕事終わりにその日に頑張ったことについて聞かれます。
仕事にも慣れ毎日が同じことの繰り返しで、毎日与えられた仕事をこなすことが自分にとって目標であり頑張ったことになるのですが、それ以外のことを言ってほしいと伝えられました。
毎回考えているのですが、どんなことを一日の業務で頑張ればよいのか、どういうことを伝えれば相手が納得する答えを導き出せるのか、考えれば考えるほどわからなくなってしまいました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分ができることをこなしていく。
Minさんの目標、素敵な事だと私は思います。
一日の中で自分ができることをこなしていく。
本来それが一番難しいし大切な事。
何を目標にするかなんて個人の自由です。
与えられたことをこなしていくこと自体、非常に困難なことです。
でもそれでは納得してもらうにはもう少し明確な答えを求められているのですね。
一僧侶として考えます。
まず....
あなたは具体的に自分は何をしたいのか。
そのためにはどのような事を行えばいいと考えているのか。
きっちり仕事をするために、健康面ではどのようなことを取り組んでいるのか。
もしくは取り組もうとしているのか。
例えば、サラダを食べる。
根菜類を多く摂取している。
これも何も会社でベストパフォーマンスを発揮するため。
ご先祖を敬い、毎月墓参りに行く。
この世のすべての事に感謝し、生きていくのです。
もちろん、質問を求めてこられる、上司の方にも感謝するのです。
間違えても自分の出来ない事は発言しないようにして下さい。
毎日自分の出来ることをきっちりこなすことがMinさんのテーマであり軸であるのです。
出来ないことを無理にしたり発言した結果、自分が不利になるならそれは自己責任、それでいいでしょう。
それよりも、周囲の方々に損害を与えてしまうことを考えれば、いかがなものでしょうか。
Minさんの今後の人生に対しお祈り申し上げます。
「いつもと同じ」ためには「いつもと同じ」では足りない
私たち禅宗では「如常」(いつもと同じ)、「無事」(とくに変わったことなし)という事を大切にします。
昨日と同じ今日の務めを果たし、明日も今日と同じ務めを果たします。
ところがこの「いつもと同じ」を維持していくことは、実はかなり大変なのです。
今日100個の品物を作る。明日も100個の品物を作る。
一見すると簡単そうですが、私たちは体の調子や心の状態によって、いつも同じように力を出せるとは限りません。
「今日は風邪気味で力が入らなかったので60個しかできなかった」
これはもう「いつもと同じ」ではないのです。
仕事に慣れてくると、人はどうしても細かなところへの気配りがおざなりになります。
自分ではいつも通りと思っても、よそ目には「なんだか手を抜いてるんじゃないの」と映ることもしばしばです。私たちお坊さんが毎日読むお経も、慣れてくると「なんだか口先で読んでるだけじゃないの」といわれることもあります。ぼんやりしていて、思いもしない間違いをすることもあります。
そうならないように、「いつもと同じ」ようにするためには、常に自分自身でチェックして劣化しているところを補修し、もう少しうまく出来そうなところを磨いてみる必要があります。
稀代の名人といわれた先代三遊亭圓生は「普通にしてれば手は下がります(下手になります)」といって亡くなるまで自分の稽古を欠かさなかったといわれています。
常に100個の品物を作れるようになるためには、130個とか150個作れるところを目指して力を伸ばしていかなければ足りないのです。
「今日は、こういう点に気を付けてやってみた」「自分でもう少し手早く出るようにここを工夫した」という事は、それ自体は些細なことでも、常に「いつもと同じ」水準で仕事をするためには大事なパーツの一つになります。毎日、何かを心がけてやる気になれば、何かを聞かれた時にそれをお話しすれば相手を納得させられるのではないでしょうか。