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私はどうすべきでしょうか

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憑依体質に悩み、唯一相談できる知り合いの人に私の霊障について今まで相談をしてきました。
その方に浄霊をして頂き、おさめて頂いたことも何度かあります。

私はその方の考え方や生き方に感銘を受け、今でも尊敬しています。

しかし、その人から誘われるワークや講座等に、参加をしたくても仕事等で中々参加できず、また、金銭に余裕もないため、最近はお断りすることが続いておりました。
すると、その方からの連絡の返事がこなくなってしまい、私は間違ったことをしてしまったような失礼なことをしてしまったような気がしています。

ただ、物理的に時間もお金も余裕がないのは事実で、どうしようもないことです。

今でも自分のおそらく霊媒体質からきてしまう苦しみがあり、(過去の質問で詳しく書かせていただきましたが)酷い時は、誰かに話しだけでも聞いてほしいと強く願ったりしますが、時間もなく、金銭によるお礼が十分にできない私は、誰かに相談することは避けた方が良いのでしょうか。

無闇にやたらと相談したいというわけではないのですが、この私自身の話題に関しては、相談のできる相手が限られていることと、わたし自身の経験から誰かに頼ること自体してはいけないような気がして今とても辛いです。

いっそのこと消えてしまいたいと願うことも増えました。

私はどうすべきでしょうか。
教えてください。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

見事な「除霊師のお祓い方法」です。

別角度からもうしあげます。
除霊とかに頼らずに別ジャンルで自分に向き合ってみるとよいでしょう。
最初からマイストーリーが始まっています。
別に霊じゃないでしょう。
ちょっと余談ですが占い、除霊、まじないというものは「〇〇を持っている人間」がターゲットだったりします。〇〇は想像にお任せします。
元々ありもしない霊というものを話術で「ある」かのように思わせて「あなたは憑いてる」と思わせる。私から言わせれば「あなたはツイテル」ラッキーですわ。
それで治ればOKですが、治らん。そういうことに400万円以上つぎ込んでスッカラカンになった女性が先日私のところに電話をくださって一撃で改善しました。400万スッて治らなかったのに、私のところでタダで解決するくらいならチョットくらい…。
そのくらい私の除霊パワーは「パネェ」です。有名占い師さんもお忍びで坐禅会に来るほどです。(マジっす)
先日も座間市から「息子の除霊を3万でお願いします」と言われて電話で10分で除霊完了。あ、金もらっとけばよかった(笑)くらいパネェです。
実は私も憑依体質です。世の占い、除霊師にハマってしまうその心理に身も心も凍り付くくらいヒイテしまうのです。彼らをいい人だと思ってしまうその世間知らずな心理にドン引き霊が憑依するのです。
あ、もし今後3万以上つぎ込む予定でしたら、せめて運営資金として援助して頂けさい。タダをいいことに何十回と利用してくる良識のない人もいます。
さて、あなたが悪い占い師だとします。
カモをだますためには確実に自分がいい人であるということを演出するでしょう。
では、あなたがよい占い師だとします。
本当に最高の占い師(お釈迦様)というのは占いなんてあてにならないもので人の人生を左右させるようなことをしないんじゃないでしょうか。
そこに気づいたら、もっと賢くなりましょう。
霊感体質・憑依体質なんてものが、そもそも業界で作られたありもしないワードで、単に思い込みの激しいカモ人間の無知と善意とプライドを利用して霊感が強い憑依体質という言葉で騙して、その気にさせて自分が特殊な能力がある特別人間と思わせて金を取られていくということくらい理解しましょう。
そういう本当のことを言ってくれる人間の方が価値があるとわかるような大人になったら世間の俗説や、まがい物を捨てて、お寺で仏教や禅を学ぶことをお勧めします。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

ぜひ相談なさってください

拝読させて頂きました。
もしもあなたがその方によって救われたならばそのお気持ち分でお礼なさることで宜しいと思います。
物理的にお金は限られていますから、お礼できるのはこれで精一杯ということを誠意をもってお伝えすればいいです。
それ以上に要求されるならば、その方の行為は単なる営利目的です。単なる儲け主義ですからその方の行為は本当に徳を積むことにはなりません。つまり功徳になりません。

出来ることをできる範囲誠心誠意なさることが大切なのです。

それであなたが感謝の気持ちを表しているのですから十分なことなのです。そしてお付き合いできる範囲もできる範囲で良いのです。
それ以上に何でも要求されるならばご遠慮なさるべきかと思います。
感謝は金額の大小ではありません。その気持ちの大きさですからね。

ですからあなたはそうご遠慮なさることはありません。あなたが救いを求めるならばどんどん救いを求めてもいいのです。許されるのです。ですから相談もなさってくださいね。

この世の中何でもお互い様です。お互い助け合って生きているのです。それは生きていても亡くなった後も同じですからね。

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おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

質問者からのお礼

ご回答頂き、ありがとうございました。
kousyo Kuuyo Azuma様
ありがたいお言葉本当にありがとうございました。
気持ちが少し救われた気がします。
もしかしたらお坊様にそう言っていただきたかったのかもしれません。
落ち着いて考えてみます。
ありがとうございました。

丹下覚元様
この話題に関してそこまでアレルギーを持っていたのですね。
不快にさせてしまい申し訳有りません。
要するに、私はただのカモ人間で自分を特別だと思っている思い込みの激しい無知な人間であるということですね。わかりました。
そのように思って頂いても結構です。
ただ、私はカモになるつもりは毛頭ありませんよ。丹下様がそこまでヒク必要はないのでご安心ください。

マイストーリーが始まっている?自分の世界に浸っちゃってるイタイ人っていうことを言いたいのですか?
馬鹿にしているのですね。
それも別に構いませんけど。

あと申し上げたいのは、霊がまがいものであると断言することについて。
わからない人にはわからないでしょう。そのことについて否定される方の気持ちはかつての私がそうだったのでわかります。
ただ、それも視点を変えてみれば、霊はまがいものであると思っていることこそ、本当は思い込みなのかもしれないということです。
真実は誰にもわかりませんから。

あと、私はその方に除霊やお祓いなどは一度もして頂いたことはありません。むしろそういった言葉はその方の前では禁句です。
そのような行為は傲慢であると考えるからです。

状況を何も知りもせず、上から全て分かっている風に物事を断言するような話し方は不愉快です。

今までどのようなご経験をされてきたかはわかりませんが、回答があまりにも強い書き方、嫌味のこもった書き方だと感じたので、失礼を承知で私の意見をきちんと伝えさせていただきました。

ご回答頂いたことには感謝します。
ありがとうございました。

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