喜怒哀楽についてです
こんばんは。
私の好きな曲の歌詞に、
もしも僕が神様だったなら 喜怒哀楽の怒と哀を無くす
喜と楽だけで笑って生きていて それはきっと贅沢な事じゃない
というのがあります。
果たして、怒と哀は要らないものなのでしょうか?
この世から無くなったら、どうなると思われますか?
よろしくお願いいたします。
人付き合いが上手くなりたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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そんな世界、オラ嫌だ
両親が死んでも哀しくない。我が子が自分より先に死んでも哀しくない。連れ合いが先立っても哀しくない。
私が理不尽なことをされても、両親は一緒に憤ってくれない。我が子も腹を立ててくれない。連れ合いも。
そんな世の中、気色悪いです。
話は変わりますが、怒と哀が無ければというのに近い話が道元禅師の典座教訓という書物に書かれています。かいつまんで意訳すると、
「もしも人間界ではなく天界に生まれていたら、いつもいつも楽ばかりの人生で救われたいと思わず、修行しようとも思えないでしょう。
私たちは喜怒哀楽のある人間界に生まれたからこそ、仏様やまわりの人たちと一緒に苦を離れ、楽を得ようとする仏道修行が出来るのです。その救い合いの仏道修行こそが、救いへの一番の道です。
無いものねだりをするのではなく、今現在のこの世界で、この身で出来ることがある。それを喜ぶ心を持つことが大切です。」
なるほど。
怒と、哀が無くなったら。。
楽なのかも知れませんね。
そんな人生も、ありなのかとも思います。
私自身を思うと、泥を舐め、トコトン怒り、トコトン哀しんだからこそ、
心から、喜ぶことができ、トコトン楽しむ事ができ、笑う事が出来るたのだと思います。
蓮の花は、綺麗な水では咲く事がありません、咲く前に、切ってしまっても咲く事はありません。
『 咲く 』と言う時は、えがおの象形文字です。
私は、このまま、泥の中で、もがき続ける、いつか綺麗な笑顔の花の咲く、そんな人生でいたいです。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
苦をご存知だからこそ、楽を知ることが出来るということですね。
意外にも蓮の花は綺麗な水では咲かないのですか。
大変勉強になりました。
ありがとうございました。
ありがとうございます。
全く考えも出来なかったことでした。
怒と哀は必要といいますか、あるべきものですね。
仏道修行は、楽を得ようとするものなのですね。
反対の意味に捉えていました。
無い物ねだり、ついしてしまいます。
なかなか奥が深いですね。
ありがとうございました。