大日如来様は、いつも命懸けですか?
こんばんは、あーちゃんです。
自分で知ったかぶりするのは、もっての他なので、質問します…
密教の曼陀羅?曼荼羅?の中心に大日如来様がいらっしゃいますが、常に命懸けなのでしょうか?
漫画 霊験修法曼陀羅(れいげんしゅほうまんだら)では、間違えると危ないというようなことがかかれておりました。
密教僧は、どれくらい大変なのか?
後、もう一つ大日如来様には、奥様はいらっしゃいますか?いるなら素敵です❤️さすが大日如来様ですとびっくりするかもです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
大日如来は命そのもの
まず第一に、霊験修法曼荼羅?という漫画。
読んだことはありませんが、ググっただけでももう、完全NGです・・・
永久保貴一さん、オカルト界では第一人者かもしれませんが、漫画に描いてあるような密教僧の姿は全くの空想です。妄想といってもいいレベル。フィクション作品なので頭ごなしに否定はしませんが、宗教というのは怖いもので、あれを本物と思われてしまってはいろいろと問題が多いものですから、はっきりと言わせていただきます。
また、密教僧は自ら進んで除霊や霊媒なんてしません。
わたしたちの本質は真理の追究と、他者の救済ですから、加持祈祷や修法はその手段でしかありません。
そして次に、大日如来は命がけですか?という質問。
何を以って命がけなのか、なにを間違えるとどう危ないのか、漫画でどう書かれているかはわかりませんが、密教はカルトでも呪術でもないので、その本尊である大日如来は全く危ないとかはありません。
また、大日如来に奥さんは~という質問ですが、大日如来はそもそも男性でも女性でもありませんし、なんなら人格ですらありません。ゆえに奥さんもいません。
大日如来というのは、宇宙法界(この世のすべて、真理)を表した仏様であって、ああいう姿で現すのも、大日如来と呼んでいるのも、あくまで方便(仏教をわかりやすく伝えるための手段)です。
一部宗派の僧侶の皆さんは「大日如来は〇〇如来の化身である」なんておっしゃいますが、私たちはそもそも大日如来を人格としては見ていないので、何かの化身でも何でもないわけです。
大日如来は、その存在そのものが真理なんです。
空も、海も、山も川も、人の縁も感情も私たちすべての生き物も大日如来の細胞のようなものです。
そう、大日如来は命がけ・・・というよりは、大日如来は命そのものなのです。
自己の法身としての大日如来
私の個人見解としてお聞きください。
ウチの寺の本尊さんは大日如来です。
その大日如来とは自己の内なる仏様です。
普く一切を照らしすべてのものを育成・生成させる陽日の如き働きが本当は我々の中にこそあるのではないでしょうか。
それを説いてくれているのが大日如来というものであって、私は外に求めるものとして大日如来ではなく、自身のあり様としての自己の法身としての大日如来を観ずることも大切であろうと思います。仏教というものは、それを眺める・求める人によっては「外に存在する神様めいたもの」を思い描いて、そういうものをほとけさまだと思って追い求めていくような生き方になっていく場合があります。お釈迦さまはそういう言う生き方をされていなかったのではないでしょうか。お釈迦様の後に、仏教の思想が作られて大日如来というものが世に認知されるようになりました。そういうモノを見たり聞いたりすると、神様めいた外の世界にある神様めいたほとけさまを思い描くようになるものですが、そういう目線であっても悪いとは申し上げませんが、その大日如来という仏様、仏像、仏画、曼荼羅があらわしている「真意」を会得することこそが仏法を会得する上で最も大切なのです。
人間はだれでも無我に徹する処、ワタクシというデシャバリ意識が引っ込んで、いつもこの身心の上で懸命に働いてくれている「ほとけ」の働きを感じ取ることができます。
真言、阿字観、止観、坐禅、念仏、諸々の仏行は何のために為されるべきものでしょうか。
仏法を明らめるためです。
どうぞ、本当の大日如来を求める機縁となさってください。
いつの日か気づきがありましたらご返信ください。
大日如来様とはおこに居られたか、どのような様子であったかをいつの日かお聞かせください。
質問者からのお礼
不悪口院 恵生様、安穏寺/丹下覚元様、教えていただきありがとうございます。
ちょっと、最初の質問の方は、大げさに書いてしまいましたね(汗)
これからもこのハスノハナでお世話になります。どうぞよろしくお願いしますm(_ _)m