よい物事を考えて損得、善悪、等の価値判断のつけ方
以前八正道の正見と正思について質問したとき
物事を考えて損得、善悪、等の価値判断の前の状態が正しい。尖閣諸島などは誰のものでもなく島があるだけ
と教えていただきました。
しかし無理やりにでも物事を考えて損得、善悪、等の価値判断を付け加えねばならない場合、
例えば政策の良し悪しとかいったものを決めなければならない時などに、
よい判断をつけ加えるにはどうすればいいでしょうか?
いつもそのことに悩んでいるのですが答えがでません。
お坊さんは物事の価値判断を加えねばならない時はどうしていますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
不染世間法如蓮華在水
尖閣がただそこにポンとあるとの考えは物事の根本に迫る重要な基礎であります。
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それは実践のための基礎となるもので、例えていうならば小学校で身につける基礎学力のようなものです。
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仏教はこの基礎から実践に役立つ教えへと昇華します。それが因縁です。
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島の本質に迫ることができた。確かにポンとある。そこから尖閣問題をどのように扱えばよいのか。その答えが出せるのは昇華した仏教、つまり実務レベルで役立つ教えです。
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物事の全ては因縁により生じたもので、この考えに例外はありません。
尖閣を取り巻く三世の因縁、つまり歴史、現状、展望の精査が重要な判断材料となりましょう。
しかし、その先は政治判断に委ねるほかありません。
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僕たち宗教家がいつでもきれい事を言っていられるのも、汚いことを一手に引き受けている政治家の存在があるからです。
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不染世間法如蓮華在水
世間の法に染まらざること
蓮華の水に在るが如し
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泥水の中に咲く蓮華は泥水を嫌わない。
泥水があってはじめて美しく花を咲かせることができるのです。
仏教は、煩悩や観念を嫌うほど料簡は狭くありません。それさえも利用し世界平和を実現させようというのです。
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人間の観念、思想、思惑がなければ本質は見えてこない、それらがあるからこそ、人間は悩み、考え、努力しひとつの道を切り拓くことができるのです。
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ご質問の答えとしては、
網の目のように絡まる因縁をよく観て
判断する、ということです。
①法律・②五戒・③煩悩に注意・④慈悲の重視
仏教者であっても、世俗の社会で色んな活動をするには、色んな判断を迫られますね。
①まずは、世俗社会の法律を守らねばならないのは、仕方ないです。国際法も含め。
②次に、五戒に反しないかも、判断基準にわかりやすいです。やってはいけない決まりが多いのは面倒なようですが、具体的なアドバイスが用意されていると思えば、戒律って親切なマニュアルみたいな気もします。
③次に、悩み苦しみの原因は煩悩なので、欲・怒り・怠け・プライドなど自分の煩悩に注意が必要です。
怠けの煩悩がなければ努力でなんとかなる問題ではないか、怒りがない仏様ならこんなときどうするだろうか、などと自分に問いかけたりも大切です。
④さらに、他者への慈悲も大事です。慈悲は、自分の怒りを制御する助けにもなるし、仏教は自分と他者の悩み苦しみを解決するための教えだと思うので。
ただ、殺生は戒に反するし、動物への慈悲があるからと言っても、世俗の法律で認められている殺生までは、どうしようもない場合がありますから、現実的な優先順位は上記の①から④の順番になってしまうかな、と思います。
質問者からのお礼
回答ありがとうございました。お礼が遅くなってすみません。