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【神道寄りの質問】神様に恋をするという事について…

回答数回答 2
有り難し有り難し 21

すみませんどうしても他のサイトでは聞けないのでお願いします。

私は神様に恋をしてしまいました。
「宗像三女神」と呼ばれる三柱の女神、田心姫命(たごりひめのみこと)、湍津姫命(たぎつひめのみこと)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)の姉妹神

その中の一柱(長女にあたる)田心姫命を好きになってしまいました。

一体何をどうしたら神様に恋心を抱くなんて事になったかというと…すみません、イマイチ説明が難しいんですが、ザックリ言うと「思わぬ所で、思わぬ時に、思わぬ回数、奇跡を感じるくらいご縁を貰えてメロメロになった」って事です…。

ただ問題なのは
【神様に恋心を抱いて良いのか】
という事です。

…それに加えて聞いて欲しい事があります。

宗像三女神が好きで、中でも田心姫命が好きなのですが時々気持ちが移ろう事があります…。
つまりは田心姫命の妹にあたる二柱、湍津姫命と市杵島姫命も好きになってしまうという事です。

それに田心姫命は大国主命(おおくにぬしのみこと)という男神と結婚して子供もいます。

私は大国主命も好きです
(男神なので、尊敬しているって意味ですよ…?)

…こんなのは今までロクに恋愛なんてしたことない自分にだって分かります。
【不義理以外の何者でもない】ですよね。

神様相手に【三股をかけるような真似をする】さらには【尊敬する神様の妻に対し恋愛感情を抱く】

挙げ句の果ては感情が爆発して宗像三女神を奉る神社をお参りする際に「大好きです、愛しています」と愛の言葉を囁いたり…。

夜な夜な三柱の神に想いを馳せながら自分を慰めたり…。

ちなみにここまでやっても怖いものを見たり祟り的なものやバチみたいなのは無いです、今の所。

しかし祟り云々はいいとして“常識”や“良識”頭ではこんな事はいけないと分かっていながら感情を押さえる事が出来ません。

たまに「好きなものは好きなんだから仕方ないだろ!!」と独りで開き直り、独りで逆ギレしています。

メチャクチャな質問という事は分かっています、でも誰にも相談出来ないで真剣にこれでいいのかと悩んでいます。

私はどうすれば良いですか?
…それと私のような者をどう思われますか?

私は親と疎遠で友達も知り合いもおらず、社会との繋がりもないので第三者の方の言葉が欲しいです。

どうか飾らず厳しくお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

言葉は大概、方便ほうべん

 こんにちは。まぁ素敵!と思いました。好きな神様がいて、何か特別な体験をしたようで。
さてお題の「神様に恋していいのか?」ですが、「恋」というのはそもそも人間どうしの関係で成り立つ言葉です。あるいは「神様同士の恋」もあるかと思います。
 では動物同士、同じ種同士では…?良く分かりませんね。
 しかし明らかなのは「人間と神様の関係は、恋という言葉で表せない」ということです。お姿が人間に似ているから、つい勘違いしてしまったのでしょう。
 もっとも、説話の中には「観音様が奥さんの姿になってやって来た」というものもあります。けれどどうかな…観音様のお姿でみえたら、とても女房として扱えない気がします。

 ということで、「あなたの熱い思い、それは恋と呼ぶものではありません」というのが私の回答です。「何かご縁が深いのかな」程度は考えてもよいと思いますけれどね。貴方のボキャブラリー不足あるいは誤解であると思います。言葉は方便。「何となく、こんな感じ」というのが伝わる程度のものです。その余裕とか豊かさで、こういうことは起きているのでしょう。

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一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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先ずは心身ともに清めて敬いの心から

拝読させて頂きました。
私もこの間テレビで宗像三女神の特集を見てとても興味が湧きました。
私はいいと思いますよ。あなたがそれほど好きになったのならばぜひ先ずはお参りなさってみてくださいね!
とはいえお参りなさるのもしっかりと敬いの心や礼儀や節度を持ってしかるべき手順を踏み準備なさり、順序良くお参りなさることです。
いい伝えによると神さまは先ず来てもらいたい方に来てもらえるようにお計らいなさるようです。
それはおそらく邪念なく清い心や身体の方に来てもらいたいらしいのです。またご縁を大切になさる方に来てもらいたいようです。そして来て頂きたい時期や季節もあるようです。来てもらう適齢期もあるのかもしれませんからね。

ちなみに私は別の神さまに今年お参りしようと計画していましたけれどもご破算になりました。それはおそらく未だ来るには早すぎるのかもしれませんし、私の心身が神さまにとって未熟なのかもしれません。
なんとなくですけれどそう感じますね。とはいえまた必ずその時期が来ると思います。

あなたが神さまのお導きを受けて心身ともに清らかになりしっかりと敬いの心を持ちお参りなさることができますようにと心からお祈りさせて頂きますね。

どうぞご精進なさってくださいね!

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おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

佐藤良文さま ご回答ありがとうございます
そうですね、とっても素敵で嬉しいご縁を頂いて完全に舞い上がっていたというか…感極まってタガが外れていましたね…笑
いや、笑い事じゃないですが「「恋」というのはそもそも人間どうしの関係で成り立つ言葉です。」の当然の指摘に一呼吸置けました。
また私にご縁を頂けるようにもうになって節度を弁えます。

回答ありがとうございました🍀🍀🍀🍀

Kousyo Kuuyo Azumaさま ご回答ありがとうございます
やはり舞い上がり過ぎちゃ駄目ですよね…笑
近場の社にはよくお参りしにいくので更に更にご縁を頂いたその時には総本宮の宗像大社に直接お参りに行きたいですね!
その時の為にも今は少し冷静になります。

回答ありがとうございました🍀🍀🍀🍀

「神社・神様」問答一覧

神を信じられなくなって辛い。

カトリックですが、神父さんに相談しても解決しないので、こちらにおすがりしています。 数年前、ヒルティと言う偉人の書いた幸福論3部作に心酔しました。良い事も書かれていて非常に感銘を受けました。只、迷信も結構書かれていて、、書物や場合によっては人との出会いは導き、とか。人との出会いは導き、と言う事を信じてしまい、当時出会った人と結婚しましたが、タイプの方では無かったのですぐに苦しくなり、、やむ無く離婚を申し出て相手を非常に傷付けました。私もそんなひどい事を自分がした事に傷付きました。以来6年半経ちますが、神は何故こんな事をしたんだろうと、考えています。答えは勿論ありません。神を信じられなくなってしまいました。辛いです。神父さんとかは、その出会いにも別れにも意味があると言いますが、彼女の嘆きを見た私には、意味があったとは思えません。何でこんなひどい事を神はしたんだろうと悩み苦しんでいます。神は予定はしない、と神父は言うのですが、納得いきません。ヒルティが迷信を書いていたのを信じたのが悪かったと思っていますが、抜け出せません。どうしたらいいのかなぁ、、何卒宜しくお願い申し上げます。

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天部の神様と死について

こんにちは。表題の件について質問させて下さい。 忌中には、天部の神様を祀ってあるお寺に参ってはいけないという話を聞きました。 理由は「死は穢れで、特に聖天さんなんかは穢れを嫌うから」「天部の神様は人間に近いから、死を思い出させることで荒れ狂ってしまうから」「本当は神様はそんなこと気にしないんだけど、あなたが悲しいときに無理してお参りしなくていいよ、という意味だ」など、お坊さんによって様々なようです。 私も最近祖母を亡くしました。 祖母とは生前不仲でしたが、遺体を見ていると「生まれて生きて死ぬとは本当に大仕事で、この人はそれをやってのけたんだな。お疲れ様」と素直に見送る気持ちになれました。 死ぬのは怖いけど、それは死に際しての苦痛への恐怖が主であって、死自体はどんな生き物にも訪れるものですし、決して穢れではないと思うのです。 肉体が腐ることだって、微生物に分解され、本来なら動物や植物の糧になり、土に還るという尊い過程です。 何なら生きることより尊いと思うし、衛生管理のため仕方ないとはいえ、死んでまで化石燃料バンバン使って骨にして何の役にも立たない壺に収めて保管して、アホらし、とすら思いました。 そう考えると、「死は穢れだから」とか「天部の神様が死を恐れるから」という理由は、個人的にはあまりしっくり来ません。 人によって死への解釈や意見は違うものでしょうが、実際のところ、天部の神様にとって人間の死とはどういう扱いなのでしょうか? どうして忌中に参ってはいけないのでしょう? 現役のお坊さんの意見をお聞きしたいです。 よろしくお願いいたします。

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神を信じられなくなってしまいました辛い。

カトリックのクリスチャンですが、神父さんに相談しても一向に解決しないので、こちらにお縋りしています。 数年前に偉人のヒルティと言う人の幸福論と言う著作を読んで心酔しました。何度も繰り返し読みました。確かに良い事も書いてあったのですが、書物や人との出会いは導き、と書いてあったりして、当時の私は私の知らない宗教の神秘かと思い、信じてしまいました。当時出会った女性が自分のタイプでは無かったにも関わらず、運命の人だと信じて結婚しました。直ぐに苦しくなって耐えられない位になり、やむ無く別れをお願いして離婚しました。彼女は号泣して私の胸も引き裂かれる様でした。 以来6年余りが経過しますが、未だ神に逆らって離婚したと言う気持ちが無くなりません。どうして神はこんな事をしたのだろうと答えの出ない問いを続けて苦しんでいます。でも神を信じているから、答えが欲しくて。神父さんにも相談してみましたが、キリスト教も誤った解釈があるとかとは、絶対に言われないので、一向に楽になりません。地獄を彷徨っています。神が何故不幸になる様な事に導いたのかなぁ。どうか宜しくお願い申し上げます。死にたい位辛くてなりません。涙

有り難し有り難し 20
回答数回答 1

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 最近、狐に呼ばれているような気がします。稲荷神社に参る必要性を感じているのですが、どこの稲荷神社に行けばよいのかわかりません。  20歳の時に初めて参り強く心惹かれ、なんとなく購入してきた狐のぬいぐるみを会社に居る間ずっとお世話させていただいていた京都の伏見稲荷大社が筆頭ですが、子供の頃に毎日通っていた千駄木の満足稲荷、今は両親の離婚に伴い縁のない実父の家が代々氏子を務める根津の根津神社内の乙女稲荷、生まれた病院の隣の湯島の花姫稲荷にも縁があります。現実問題として現住所が東京であるため、伏見稲荷大社以外でも失礼にあたらないのであれば、そちらに参りたくもあります。  また、昨年は自殺を考えるまで思い詰めたいた時期もあったのですが、その際に縁もゆかりもなかった女性に救われました。その方とは今は連絡が取れないのですが、不思議な人で、どうも今を思うと言動の節々や所作から、狐だったような気がしてなりません。ただ、この方は仏教系の荼枳尼天に近い気もしており、そうなると仏教系の豊川稲荷に行くべきかもしれません。  祀るにあたってリスクがあると言われる稲荷神ではありますが、それだけに失礼のないよう調査しており、また、この機会に一生祀る覚悟もあります。そうでなくとも、召喚には応ずるべきですし、もしも本当に自殺の間際から救ってくださったのがお狐様であるなら、お礼は言うべきだと強く感じています。故に、気軽に選択できずにいろいろ調べている現状です。  神仏には何かを求めるものではなく、あくまで個人の努力を応援してくださる存在として、私個人の思想と行動を中心に考えるべきということも重々承知しており、現実的な偶然を神秘的な問題と混同する危うさも理解しています。しかし、今回は、なんとなく重要な問題のような気がするので、心の問題というよりも、宗教学・民俗学的問題としての情報を求めています。  稲荷神の分霊に関して、総本宮である伏見・豊川の祭神と、それ以外の全国の稲荷神社の祭神は、神道系仏教系の同カテゴリの稲荷であればそれぞれが等しくどこからでもアクセスできるのか、派遣され憑いてくださるという眷属に関してはどのようなシステムで運営されているのか、全国の稲荷神社に参拝して信心を納めても良いものなのか、宗教学・民俗学に詳しい方がおられましたら、回答もしくは書籍の紹介いただけると幸いです。

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