何でも持っている人が羨ましい。
笑っているから、幸せになれるんでしょうか?
それとも、幸せだから、笑っていられるんでしうか?
幸せいっぱいで笑っている人を見ると、惨めな気持ちになってしまいます。
明るく受け入れていきたいけれど、それができません。
何でも持っているのだから、なにか一つ私にくれればいいのに。少しくらい、苦しい思いをしてみればいいのに。
卑屈な考えばかりで頭がいっぱいです。
余裕がないのは、辛いです。
幸せいっぱいのあの人が、もし私のような状況に立たされたとして、過去に周囲から受けた理不尽を今も引きずっているとして、それでも、今のように笑って楽しく過ごすのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
笑う門には福来る、は真理のようですよ
どうしても他者と比べちゃいますよね。私もやっぱり幸せそうな人を見ると羨ましいです。
それでもあえて、やっぱりひとと比べるところから不満が始まるので比べないことです。たぶん年齢の近い人たちが結婚する時期なので、そのひとたちと独身の自分を比べてしまうという状況かなぁ、と想像します。また一緒に行動してきた友達が結婚することで、連れ立ってどこかにいく仲間も減ることになりますので、この点もお辛いはずです。
でもまぁ、人間って、みな、孤独なんです。瀬戸内寂聴さんみたいな人が、自分は孤独だとおっしゃっていてビックリしました。周りにどれほど多くの人がいても、人間は孤独です。いまはそれを知らせれる時期なのかもしれませんね。
それでも、ひとが集まってきて楽しそうにしていて悩みなんてどこにあるんやろう、みたいな人は確かにいます。それは、やっぱり「笑う門には福来る」ということのようです。福から笑いへという順序じゃないみたいです。行動という原因が結果を引き寄せるとすると、楽しい種を蒔くことで楽しい結果がついてくるようです。だから心の中に何があるかはひとまずおいて、まず笑うのがよいようです。言葉も同じことです。だから、私は暇なとき、「有難うございます。お陰さまで、感謝しています」を繰り返して言葉に出して言っています。言葉が心を作り、心が行動を作るので、周囲に人が集まるというわけです。これは仏教の基本的な考えに合致します。
あなたもやってみてください。人生が少しずつですが、変わりますよ。
質問者からのお礼
藤岡俊彦様
お言葉をありがとうございます。
お礼が遅くなり、申し訳ございません。
今まさに、藤岡様がおっしゃる通りの状況です。早くから行動していたにも関わらず、一人ぼっちです。
笑わなければと思うのですが、気持ちが沈んでしまい、なかなか思うようにいきません…。
どうして皆、幸せそうに見えてしまうのですかね。
心の中に何があるかはまず置いておいて…そうですよね。笑えるように、少しでも努力しようと思います。