職業に貴賤はない??
以前お金に困っていた時、とある人にそのことを打ち明けた際「身体売れば?」と言われました。
私は身体を売ることだけは嫌だったので断ると、「本気で困ってない」「職業差別してる」と言われました。
職業に貴賤はないと言いますが、私はあると思います。
それは身体を売ることは良くないことだと考えているからです。
性病をうつされる又はうつすリスク、密室での暴行(避妊具を着けずに無理矢理される等)、望まぬ妊娠のリスク、他人に知られた時の周りの目。
どう考えても昼の仕事と平等に見られません。
身体を売って働いてる人に対して態度に出したりはしませんが、それを平気ですすめたりすることに対して嫌悪感があります。
もしも家族が売春をしていたらお坊様たちは抵抗なく受け入れられますか?
そしてそれを他人に話すことができますか?
私はできません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
売春は犯罪であり職業ではありません。
職業は選択の自由があります。また向き不向きもあります。あなたがお嫌いならば、ご自分に向いていないと思えばそのようなお仕事につかなければ良いだけの話です。
あなたが嫌いと感じているお仕事であっても、誇りを持ち一生懸命働いている方がいらっしゃいます。いやだけど、一生懸命働いている方もいるかもしれません。でもその方々に対し、差別的なさげすみの目を向けるというのは、私は正しいこととは思えません。
一方であなたには、ご自分のお体を大切にしていただきたいと思います。
お返事
貴賤の「賤」は、「いやしい」「見下げる」などの意味ですので、あなたが、ある職業に対し、さげすみの気持ちがあるのではと思い回答を入れました。そのような気持ちがないのでしたら結構です。
あなたのおっしゃる通り、そのようなお仕事を平気な顔で勧める行為は卑しいものだと思います。
スチールウールのような【業繋】
"職業に貴賤はないと言いますが、私はあると思います"
正直、私もあると思います。
"もしも家族が売春をしていたら"
"それを他人に話すことができますか?"
私には到底できっこないと思います。
いろんな事情が錯綜し、さまざまな業縁が複雑に絡み合うこの娑婆世間に於いて、賤しいとされる職業に手を染めねばならぬ事もあるでしょう。もしかすると、犯罪の片棒を担ぐようなことになるかもしれない。そうなれば、もうお天道様の下を堂々と歩けない。家族や世間様に顔向けができない。事と次第によっては、行くところに行って罪を償わなければならなくなるかもしれない。そこまでいくと、いよいよ生まれた意義や生きる喜びなんてものは、すっかり見失ってしまうことになるのかもしれない。
しかしながら、たとえいくら世間が赦さなくても、そんな【業繋】(ごうけ)を差し置いて、その者を支え、励まし、慰め、根こそぎ救わんとするはたらきかけも、一方でちゃあんと準備されているんですよ。
清浄光明ならびなし 遇斯光のゆゑなれば
一切の業繋ものぞこりぬ 畢竟依に帰命せよ
『浄土和讃』親鸞
質問者からのお礼
光禪様へ
回答ありがとうございます。
もちろん身体は売りません。
ただ、引っ掛かるのが蔑みの目を向ける、という部分です。
私は態度には出してません。
蔑んでもいません。
転落院様へ
回答ありがとうございます。
お坊様でもそう思ってしまうなら、そういった感覚は誰にも否定できぬものなのだと思います。
しかしどんな者にも手を差しのべる親鸞しょうにんの教えは深いですね。
光禪様へ
紛らわしい表現でした。
すみません。