本当の友達がいないと悩んでいるあなたへ。大丈夫、あなたはひとりではありません。
SNSが当たり前になりつつある今、私たちはネット上で沢山の友達とつながることができるようになりました。けれども実際、心から信頼できて、なんでも相談できる友達がいる人はどのくらいいるのでしょうか。また、どうしたらそんな親友のような友達ができるのでしょうか。さまざまな角度からのお坊さんの回答をご紹介します。
10代女性、orioさんは心を通わせることのできる友達がいないと悩まれています。
私は人見知りが激しく機会もあまりないのでネットでも現実でも友達を作ることが中々出来ません。
誰とでもすぐに仲良くなってしまう人が羨ましいです。 なんだか疲れてしまいました。孤独を感じます。=中略=私にとっては代わりがいない大切な存在でも相手にとったら私はいくらでも代わりがいる存在なんだと思います。そういうことを誰かと仲良くなる度に考えているととても寂しくなり悲しくなります。 私は一人なのでしょうか。これから先も誰かと本当の友達になることができないのでしょうか。
普段一緒に遊んだり喋ったりする複数の友達のうちのひとりとしてではなく、お互いにとって本当に大切と思えるような関係を築きたい。けれどどうしても自分の気持ちと相手の気持ちのすれ違いを感じて悲しくなる、というお気持ちが、質問から伝わってきます。私たちは時に、何人もの友達と楽しく遊んでいるはずなのに、ふとどうしようもなく孤独を感じて辛くなってしまったという経験はないでしょうか。本当の友達とは、いったい何なのでしょうか?
あなただけではありません
本当の友達が作りたいのですね。 人生にとって大切なことですね。私も友達はたくさんいますが、本当の友達というのは難しいです。
(金剛座寺 染川智勇)
元の問答:「本当の友達とは何でしょうか」
私はもう少しで還暦、60ですが親友と呼べるのは3人ですよ。20年に1人くらいですかね、出現するのは。その出会いを大切にしていますよ。
(浄光寺 三浦康昭)
元の問答:「友達がいないのはおかしいでしょうか?」
hasunohaでは他にも、自分も友達が少ない、またはいないと発言されているお坊さんが何人もいらっしゃいました。たとえ友達は沢山いるように見える人でも、その中で本当に理解し合えるような関係には滅多になれるものではないようです。年齢や立場に関係なく、仏道を歩む方々でも同じことを感じていらっしゃったのですね。
本当の友達とは?
私が嬉しいと自分のことのように一緒に喜んでくれる、私が悲しいと自分のことのように一緒に悲しんでくれる。意見の違いはあるけど、時折ハッとした気づきを与えてくれて自分を成長させてくれる。確かにそんな方だと「本当の友達」と言えると私は思います。
(西蓮寺 渡辺 慈海 )
元の問答:「友達ってなんですか」
こちらのお坊さんのお言葉にあるように、喜びも悲しみも分かち合える人が傍にいてくれるだけで、どんなに心強いことでしょう。たとえ己の弱さや恥ずかしい部分をさらけ出しても、決して離れず認め合える。そんな友達は、お互いにとってかけがえのない存在といえるのではないでしょうか。
自分の目的に一生懸命になること
実は簡単なんです。自分の魅力を作ることが大切です。趣味でもスポーツでも何でもいい。一生懸命すること。=中略=友達という目的に追いつこうと思うと友達は逃げて行きます。でも自分の目的に一生懸命生きている人には、友達は信頼を持って寄ってくるのです。
(金剛座寺 染川智勇)
元の問答:「本当の友達がいない気がする」
本当の友達を求めているのであれば、あなた自身が求める「本当の友達」にふさわしい人間にならないといけません。
(金剛座寺 染川智勇)
元の問答:「本当の友達とは何でしょうか」
こちらのお坊さんは、自分自身が魅力的であることで、友達は自然と寄ってくるものだとおっしゃっています。愚痴や人の悪口ばかりいう人と一緒にいると、気分がよくないですよね。逆に生き生きと明るく過ごしている人とは、一緒にいるだけで同じく明るい気持ちになるのではないでしょうか。また一方で、自分自身も相手にとって本当の友達になれているのか、自分に問いかける必要があるともおっしゃっています。まずは人に対して自分がどのような人間であるべきなのか、それを知ることが友達を作る上での近道のようですね。
友達がいないという選択肢があってもいい
仏教は、「友達がいなくても、つまり誰かに認められ、肯定してもらわなくても、大丈夫」という教えです。自分の寂しさや満たされなさを感じ、それを知りつつも、一人として存在していいのだ、ということです。
(光圓寺 佐藤良文)
元の問答:「友達、親友が欲しい」
友達がいないということは、決して恥ずかしいことではありません。誰でもいいから友達を作ろうとしても、かえって自分が疲れてしまうかもしれません。周りがみんな仲良くしているからといって、無理に友達を作ろうとしなくともいいのですね。自分を認め、恥じることなく堂々と生きていっていいのだとこちらのお坊さんはおっしゃっています。
面倒くさいところに有難さがある
合わなくても、しんどくても、つながるところに豊かさがあるんです。 迷惑をかけられるかもしれません。でも自分もかけるかもしれません。いやかけていいんです。人間なんて迷惑かけなきゃ生きられません。そういう意味でみんな一緒。都合がいいばかりが友達じゃありません。面倒くさいところに実は有り難いものがあるのだと思います。
(法覚寺 吉武文法)
元の問答:「一人がどんどん楽になってきました。」
友達関係を築くということは、時に自分も傷つく経験を伴うものです。友達を持たなければそういった苦しさや面倒くささを感じず楽かもしれません。しかし、そういったことも全て含んだ上で、お互いに関係を作り上げていく中にこそ豊かさや感謝が生まれると言われています。
最後にお坊さんから。「私と友達になりましょう」
友達がいてもいなくても、日々幸せを感じながら生きていけるのなら、それは素晴らしいことです。しかし人に心を開くことをおそれ、孤独に苛まれてしまうのなら、それはとても辛く悲しいことですよね。
hasunohaでは、何人ものお坊さんが最後にこう結んでいらっしゃいます。「まずは、私と友達になりましょう。いつでもメッセージしてくださいね。お待ちしています。」大丈夫、私たちはひとりぼっちではないのだと言ってくださっています。悩みを抱えている方は一歩踏み出してhasunohaに相談なさってはいかがでしょう?お坊さんたちとのご縁を足掛かりにして、本当の友達に巡り合えたのなら、私たちはより深く豊かな人生を送ることができるのではないでしょうか。