神を信じられなくなってしまいました辛い。
カトリックのクリスチャンですが、神父さんに相談しても一向に解決しないので、こちらにお縋りしています。
数年前に偉人のヒルティと言う人の幸福論と言う著作を読んで心酔しました。何度も繰り返し読みました。確かに良い事も書いてあったのですが、書物や人との出会いは導き、と書いてあったりして、当時の私は私の知らない宗教の神秘かと思い、信じてしまいました。当時出会った女性が自分のタイプでは無かったにも関わらず、運命の人だと信じて結婚しました。直ぐに苦しくなって耐えられない位になり、やむ無く別れをお願いして離婚しました。彼女は号泣して私の胸も引き裂かれる様でした。
以来6年余りが経過しますが、未だ神に逆らって離婚したと言う気持ちが無くなりません。どうして神はこんな事をしたのだろうと答えの出ない問いを続けて苦しんでいます。でも神を信じているから、答えが欲しくて。神父さんにも相談してみましたが、キリスト教も誤った解釈があるとかとは、絶対に言われないので、一向に楽になりません。地獄を彷徨っています。神が何故不幸になる様な事に導いたのかなぁ。どうか宜しくお願い申し上げます。死にたい位辛くてなりません。涙
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
神の意志か、あなたの意思か
ご相談拝読しました。あなたは熱心なクリスチャンなのですね。神を信じたい気持ちがあるからこそ、逆に疑いが消えず、苦しい中におられるのですね。
あなたの信仰が疑いを突き抜けて新たな境地が開かれるのか、それともここhasunohaにご縁をいただいたことをご縁として、仏教や他の信仰に移っていくのか。今はそうした大事なタイミングなのかもしれません。
いずれにしても、大切なことはあなたがあなた自身に起きたことを、そして過去のあなたの決断を主体的に責任をもって受け止められることなのだと思います。そこにこそ、たとえ苦しくとも満ち足りた頷きがあるのだと思います。
なお、仏教においては次の説が否定されています。
ーーーーーーーーーー
①宿作因説-自分が過去世において造った業(行為とその余勢)によって今生における苦楽の境遇が決定されると主張する極端な運命論
②尊祐説-我々の経験する苦楽がすべて全知全能の神(大自在天)の意志に依存すると主張する説
③無因無縁説-偶然生説(全ての事象は偶然にすぎない):唯物論者・快楽論者・感覚論者-断見
ーーーーーーーーーー
仏教は縁起説を取ります。あらゆる事象は縁によって生じるのです。縁とは環境や対象や条件です。それらは私たちの思い通りにはなりません。
思い通りにはなりませんが、その縁の中で私がどのように意思決定し行動したかが、私の心の苦楽を内容づけていくのです。
あなたが苦しいのはあなたの行動決断の責任を神に押しつけているからかもしれません。
そこにあなたの意思は介在しないのか。それならばあなたがあなたでいる意味は何なのか。
出会いはご縁からの頂き物ですが、出会いの中での私の行為に私は自分で責任を持ちたいと思います。
あなたはいかがでしょうか。
質問者からのお礼
お礼が遅くなってすみません。
ご回答の意味が、最初分からなかったのですが、今もう一度読み返したら、腑に落ちて、良い回答を頂いたと思いました。私が苦しいのは確かに神に全て責任を押し付けているからです。実際のところ、ヒルティの本を何度も読んで、洗脳されたのは事実ですが、自分でもそれを信じようと決断したのは自分の責任だと思うので、今後はその自分の判断を反省して、素直に悔いてみようと思います。ありがとうございました。