私の苦しみ
私は、人の嫌なところばかり気になってしまって、一度その人に言われた言葉や嫌なところをずっと根に持ってしまいます。
そして、その人とは距離をとってしまいます。
結果、誰1人信頼できる人はおらず、友達と思える友達は1人もいません。
私には、良い人との出会いがないのかと思ってしまいます。
そして、今自分が幸せだと思ってないので、人の幸せが腹たちます。
私は、高校時代学年で成績がトップでした。
でも家庭の事情で大学には行きませんでした。
学生時代勉強ばかりしてたのが無駄に感じてます。遊んでばかりいた子で、成績がよくない子が有名ではない短大や専門学校行って、今幸せになってる話聞くと納得いかないというか、腹が立ち、不幸になれ!と思ってしまいます。
わかってます、私は最低です。
でも不公平な人生が納得いきません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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他人と比較しない自分の幸せをみつけましょう
ちはるさん、こんばんは。義陽と申します。
拝読させていただきました。ちはるさんの苦しみお察し致します。
人間は「自分は正しい」という心から、怒りも嫉妬も、落ち込みも傲慢も、舞い上がりも、あらゆる感情が生まれてきます。その心が、いろいろな問題をつくり苦しみを生み出します。「自分は正しい」というのは、客観的に考えると成り立たないことです。わがままな恐ろしい思考です。しかし、みんな「自分が正しい」病に感染しているのです。自分の主観でものごとを観ていると、自分だけの世界が立ち上がってしまいます。そうなると自分のまわりの世界と対立する生き方になってしまいます。そうならない為にも、自分自身を客観的にみるように努めてみましょう。自分が他人を嫌い避けることから生まれるのは、他人もあなたを嫌い避けるということです。自分のまわりに人がいなくなる・孤立する。必然のことですね。原因はすべて自分にあるのですよ。
ちはるさん、人間は生きている限り八苦の中にある「怨憎会苦(おんぞうえく)」といって、自分の嫌いな人や憎い人とどうしても会わないといけない苦痛や「求不得苦(ぐふとくく)」といって、望んだものが得られない苦痛の中で生きて行かねばなりません。それはみんなが持っている苦しみなのです。ですから、その苦しみを致し方のないものとして受け入れてみるよう心がけてみませんか。
完璧な人間はいません。誰でも好きなところ嫌いなところがあって当然だと思います。その上で、相手を受け入れてみましょう。あなたのその行いにより、今度は相手があなたを受け入れてくれるようになります。
まずは不完全で未熟で情けない自分を受け入れましょう。そして、同じように不完全で未熟で情けない他の人も受け入れましょう。
幸せの価値観はそれぞれ異なりますが、人と比べた上に成り立つ自分の幸せではなく、自分自身の幸せをみつめてください。人間は、欲望に満ち溢れた生き物です。一つ手に入れたら、また別のものが欲しくなる。それをずっと繰り返すのは実に空しいことでないでしょうか。
お金では絶対に買えない、この命に、生かされているこの命に感謝して生きていきましょう。
ちはるさんが笑顔で素敵な人生を送れますよう心からお祈り申し上げます。
南無妙法蓮華経 合掌
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございました。
すごく心に響きました。もう一度自分自身を見つめ直して生きてみます。
本当にありがとうございました。