苦しさからは逃れられませんか
生きることを苦しく思うときがあります。
もう生活はしたくない、何もかもから逃げ出したい、無になりたい、何も感じたくないと、心の底から願う時があります。でも、大抵しょうもない理由です。
生きていてよかったと心の底から思う出来事に出会うかもしれない。今までも、そう感じた素敵な出会いがいくつもありました。
だけど、その出会いは生きることの苦しさとは別にあって、苦しさが消えるわけじゃない。
そんな風に思いながらも今日まで生きていて、
死を選択できる状況で毎日生きるを選択している自分に、なんでだろうと思います。
生きてる限りこの苦しさは続くのでしょうか。
私はこの先も、生きていたくないなと思いながら生きていくのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
苦しみから抜け出す道を仏道という
生きている限り続く苦しみではないです。
その苦しみから解脱した祖師と呼ばれる先輩がいらっしゃいます。そして現在も救いの道を示してくださっているお坊さんたちがいます。
その苦しみの源は、あなたの頭の中、つまりあなた次第で解決できます。
苦しさは必ず理想や他人、過去などとの比較、こうあるべき、こうでなければならないという思考にやられているだけです。あなたの目や耳、鼻、舌、身体、は一切問題にしていません。
全てをありのまま受け入れています。しかし、そのあと、問題にするのはそれをジャッジする自我です。
仏道修行は体を使い体に学びます。考え方や思想、知識を身につけるのではなく、リアルに学ぶのです。今私の目はこの人を好きとか嫌いとか言っているのか、問題にしているのか。そうした働きを「無」といいます。何にもないのではありません。満たされきっているけど問題にしていない様子です。
ぜひ坐禅をお勧めします。自分自身を知る道、人生が変わります。信じれば救われます。やってほしいです。
少しずつ手放していきましょう
拝読させて頂きました。
あなたが生きている中で苦しいとお感じなさっておられることを読ませて頂きました。あなたが今までどの様な状況の中でどんな風に生きていらしたのか詳細にはわからないですが、あなたが苦しいと感じるお気持ちはわかる様に感じます。その様なあなたの思いを心よりお察しします。
あなたがおっしゃる様に「もう生活はしたくない、何もかもから逃げ出したい、無になりたい、何も感じたくないと、心の底から願う時はあるものです。それはあなただけではないでしょう。生きてるもの全てがそう思いながら生きてるものです。
詳細は省かせて頂きますが「一切皆苦」が仏教の教えの根本的な原因です。つまりは全ては苦しみである、がスタート地点にあるのです。そこから如何に変わっていくのかが仏教のコアな教えです。苦しみを生み出しているのは私達自らです。
ものごとは自分の思うようにはならないという意識が自分のことをがんじがらめに苦しめているもとになっています。或いは自分の心の中にある煩悩、貪りや怒りや愚かさが余計に自分を苦しみへと追い込んでいるのです。
ですからその様な愚かさを手放していくこと、とらわれないで生きていくことが苦しみを減らして楽になっていくことなのです。。
なかなかそう簡単にはいかないのですが、もしも宜しければあなたのこれからの人生であなたを苦しめてがんじがらめにしていることを少しずつ手放していってみてはいかがでしょうか。
その為にあなたの思いをここでもお話なさって下さい。そうして少しずつ少しずつ手放してあなたの心を安らかになさって下さいね。
あなたがこれからに未来を本当に素晴らしいご縁に恵まれながら毎日を健やかに安心なさって生き抜いていかれます様に切に祈っています。そしてあなたを心より応援しています。
質問者からのお礼
時間が経ってしまって申し訳ありません。
お言葉ありがとうございます。
「ものごとは自分の思うようにはならないという意識が自分のことをがんじがらめに苦しめているもとになっています。」という言葉が印象的でした。
頑張り方がわかったような気がします。