気持ちを伝えることは必要ですか?
最近気づいたことです。人はどうして彼女又は彼氏を欲しがるのでしょうか?
よくよく考えたら友達の関係のままでも十分遊べるのでは?と思ってしまいます。自分がまだその立場になったことがないのでよくわかりません。わざわざ相手に「好きです」という事にどんな意味が込められているのでしょうか?前に告白したい事を質問しましたが、何を伝えるべきなのかがわからなくなってしまいました。お付き合いすることで、友達以上の関係をもつことで何が変わるのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
理屈じゃなくて感情で!
はたポンさんこんにちは初めまして
『好きです』
全く関係が無かった人同士がこの言葉から太いご縁に結ばれる言葉です
確かに、太いご縁ではなく普通の縁で良ければ『好きです』なんて社会的なリスクを追わずに伝える必要もないかもしれません。
他人を独占する言葉でもありますのでそれを固執と呼ぶのかもしれません
ただ、はたポンさんが『好き』にどの様な意味を込めるのか。
突き放す様ですがはたポンさんが決める事かと思います
お相手との方とより太い縁で結ばれたいのか、一緒に居たいのか、思う存分に悩み抜いてください
答えは出ないと思います(笑)
それでもよくわからないけど好きならそれでいいのではないでしょうか?
よく言われるのが好きに理由はないという言葉と
声が好きとか顔つき、性格が…なんていうのは『好き』という感情の後に付随する後付の理由だそうです
『好き』
これ以上も以下もない完結している素敵な言葉かと思います
ご祈念申し上げます
それぞれの人生ですから
拝読させて頂きました。なるほど、あなたが疑問に思われるのもわかりますね。
では何故必要なのかというと、先ず第一に私たち人間は生き物ですからよきパートナーを求めたくなる生き物だということです。性的欲求が人それぞれですがおきてきます。好きが先か欲求が先かはそれぞれ違いますが、できるならば自分が好みの或いは惹かれる方とパートナーになり、子供が欲しいと潜在的に生存欲求があるからです。
第二にやはり人間はとても弱い生き物です。できるならば生きていく中で自分独りではなく喜びも悲しみも分かち合うパートナーがいて欲しいと思う欲求があるからです。人生生きていると沢山乗り越えなければならない苦難が襲ってきます。それを乗り越えるには独りよりも二人であれば何とか乗り越えられることもたくさんあります。又喜びも共に喜びあえれば喜びもひとしおです。分かち合うことで人とのかたいきずなを感じ決して独りで生きているのではないと思い、生きる実感が湧いてきます。
人との関係でわずらわしさを感じて独りで生きることも間違いではありません。できるだけわずらわされず人に迷惑もかけない様にと生きるのも一つです。あなたがご成長なさっていく過程でじっくりとこれからの人生でどう選択なさるかお考えなさってくださいね。
あなたのこれからの未来に実り多きことをお祈り申し上げます。