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悪いやつらが幸せに生き残る時代

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有り難し有り難し 1862

長文で失礼します。生きて行くなかでどうしても納得ができないことがあります。

ある大型衣料店でのこと。週末はこのお店は混雑します。

車で久しぶりに行く事になりました。駐車場は相変わらず混んでいました。

すると、大きな外車を改造したような、いかにもって感じの車が割り込み、しかもお店の目の前の障害者優先駐車場にどうどうと停めました。中からでてきたのは前頭葉が未発達の頭の悪そうな金髪ジャージ家族で子どもも金髪。タバコもその場でポイ捨て。

私たちはその後にやっと駐車でき、お店に入る事ができたのですが、障害者マークをつけた車が来て、停めれるはずの場所に大きな改造外車がどうどうと停まっているため駐車できずにいたのがなんとも心苦しく、私が駐車したばかりの場所を譲ろうとも考えましたが、お店の入り口からは遠い上に、他にも車が並んでいたので、それが困難であきらめました。私は罪悪で押しつぶされそうになりました。

なんだかんだでお店で買うものを選び、レジでならんでいたところ、例の先ほどの金髪家族がレジをしていました。すると、そのお店でキャンペーンをやっていたらしく、滅多に当たりもでないようなレジのくじに大当たりし、商品券が当たりとても喜んでいました。そうして、先ほどの障害者用にとめた車に乗って大音量の音楽で他を蹴散らし帰って行きました。

彼らには誰が罰を与えるのでしょうか。彼らは自分での罪悪も感じず、その行いすら気づきません。他人に優しくするような人は罪悪の判断ができるので、それだけ心苦しくなり、罪の意識も感じますが、彼らはそうではない。なぜならそれにすら気づかないのだから。

この一例に限らず、世の中はそういうところだと思っています。常に回りを考え道徳、譲ろうとするこころを持っている人には罰もくだり、その常識もなにもない人には罪悪もないので平気で悪い事をしても本人はしらない、もしくは他人よりもそれにより優越を感じているくらなので、幸せで仕方がない。で本人にはいいことばかり。

これが世の中でしょうか? 


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

享楽と幸福

私もホームセンターに買い物に行った時、同じような状況(駐車場の件)を見て、非常に腹立たしい思いをした事があり、お気持ちがよく分かります。
質問者さんの場合は、その後さらに抽選に当たったのまで見てしまったのですから、不公平感を強く感じられたのでしょうね。

でも私は思うのです。
そういった方々が感じる幸せは刹那的・享楽的なもの、つまり深みの無い動物的な喜びに限られるのではないでしょうか。
そして非常に自己中心的な人種ですから、理不尽に腹を立てて勝手にストレスを感じているのではないでしょうか。

そういった人々が感じる幸福感と、優しく道徳的で真面目に生きている人が感じる深い幸福感は、次元が違うのではないかと思うのです。

人に感謝される喜び、称賛される喜び、認められる喜び。一所懸命に何かをして、心が打ち震えるような感激を覚えることが私は時々あります。
こういった喜びを感じられない生き方をしている人を、憐れだとさえ思います。

質問者さんは、いかが思われますか?

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浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...
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アイツを問題にしている、コイツ(自分自身)をこそ問題にしよう

私が若い頃、あなたが言われるような、いわゆる「悪いやつら」の事で腹を立てて愚痴をこぼしていた事がありました。
師匠は黙ってその様子を聞いていました。
話が終わると、

「…で、さっきから、◯◯が気に入らんとか
◯◯とかいう奴の事を悪く言っているけどな? いいか、よく聞きなさい。
問題を起こしているのは誰なんだ?
その事を気にしてるのは誰なんだ? 」
「…!」〈グサッ〉

「いいか、多くの人がそうやって、相手のことばかりを悪く言って、
自分の正当化、主張にばかり時間を費やしてしまっているんだ。
…だからいつまでたっても肝心の「自分自身の心の向上」に目が向かない。
そんなことをしているうちはお前がいくら和尚の格好をして修行をしているつもりでも仏道ではないのだ。」

⭐仏道とは他人を変えることではなく 他によって心乱され、他者を敵視したり問題視する自分の心のありかたをみつめ、心がそのものから影響を受けなくなって(ワタクシ化が起こらなくなって)一生の安心を得ることである⭐

「お前は今ここにいない◯◯のことを気して、
◯◯のことが問題になっていただろう。
だが、その相手である◯◯は今ここにはいない。
寝てるかもしれん、TV観ながら笑っているかもしれん、
トイレに行っているかもしれないんだぞ。

本当にお前が問題にすべきは、外のことや◯◯の事じゃないんだ。
◯◯のことを気にして、問題や騒ぎを起こしていた“お前自身”、思いこそ問題なんだ。

問題があたかも外のことや、相手の側にあるように思えるかも知れないが、
人のことをとやかく問題にしているのは、どこまで行っても、結局、全部お前自身。

だから、他人の様子も全部自分の身の内、身の上のこと。全部、自分の様子、自分持ちであるという事を覚えておきなさい。」👉 人生すべて自分もち
〈例えば、人を憎んだりすることも、相手がそこに居なくても、全部自分の中で独り相撲していることがある〉

師は安っぽい同情など一切示しませんでした。
それよりももっと大切な、あらゆる問題の根本的な解決に通ずる核心的なポイント、仏道修行の在り方を示してくださったのです。
「問題はうちなる自分の思いであって、相手ではない。」

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魂の障碍者

私の近所のショッピングセンターでも障碍者用のスペースに堂々と停める、相談者さんが目撃したような方、いらっしゃいますよ。「仕方ないよなー、魂に障碍があるんだから」と私は思っていますが…

道端にゴミをポイ捨てする方も、ゴミ箱とか公共心とかが大人になっても理解できないのですから気の毒な方です。ですけど、そういう方々もいつか気が付く日がくると思います。その日まで、気が付いている人たちで見守って差し上げましょう。

誰が罰を?との事ですが、髪の毛を金髪にしたり家族そろってジャージで外を歩かされている時点でだいぶ罰を受けています。私なら泣き出しそうです。
障碍をお持ちだし、それなりに罰も受けているのです。素敵な悪趣味震える未来さんが気にすることないですよ!

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住職のかたわら、大道芸人PRINCOちゃんとして幼稚園保育園など各種施設、...
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罰は同時に

素敵な悪趣味震える未来さん、こんにちは。

残念ながら、彼らには同時に罰が与えられています。たとえば・・・彼等が「はーいい気味だ」とか「ラッキー」とか思っていても、すぐイライラします。あなたのような人からの視線が、日常生活で思い通りにいかないときに、運のいいことが起こってからの落差に。彼らは安心できない。
なぜか。
自分での罪悪も感じず、その行いすら気づかないからです。

この一例に限らず、世の中はそういうところだと思います。常に回りを考え道徳、譲ろうとするこころを持っている人には”自覚できる”罰もくだり、その常識もなにもない人には罪悪もないので平気で悪い事をしても本人はしらない、もしくは他人よりもそれにより優越を感じているくらなので、幸せで仕方がない”が、安心できないのだと”。

あなたは、どっちがいいですか?

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臨済宗妙心寺派 陽岳寺 住職 1985年生まれ。 東京都江東区深川出身・...
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素敵な悪趣味震える未来 様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。

仏教では、輪廻・業思想を説くゆえに善因善果、悪因悪果の因果応報論があります。根源的無知である無明により生じたる煩悩を動機としての行為(身・口・意)は、悪業として、後に悪い結果をもたらす潜在力(習気・じっけ)として心相続に蓄積されていくこととなります。

その積みたる悪業の結果は、今世にてその結果を受ける「順現法受業」、次の生にて結果を受ける「順次生受業」、そのまた次の生にて結果を受ける「順後次受業」・・更に次の次の次の生にて・・と続くわけですが、悪業の結果が、即座にその者に現れるというわけではなく、あくまでもいくつかの条件や原因が複雑に交錯し合いながら、因縁(縁起)によって様々に結果を受けていくこととなります。

ですから、悪業を積みたる者においては、その悪業の結果をもたらす潜在力(習気)が残ってしまっている以上は、今世に限らず、来世、来来世・・において必ず悪果を受けるため、確かに浦上哲也師のおっしゃられておられるように一時の刹那的・享楽的な(世俗・世間八法の中における)喜びが例えその者にあったと見えても、特に一喜一憂する必要はなく、私たちが目指すべき喜びは、仏法によっての正しい善徳の功徳による真なる喜び、幸せでなければならないのであります。

私たちが悪業の結果を受けないようにするためには、仏法に基づいての確かなる智慧の開発(かいほつ)と真なる善徳行の実践により、煩悩を抑えて、無明を排撃し、確かなる善業を積むことによって、悪業の潜在力(習気)を滅していかなければなりません。今世では到底無理でも、来世、来来世と何とか仏法の縁を授かる状態を保てる善趣に生まれ続けて、悟りを目指せていけるように、そしてやがては、完全に無明・煩悩・悪業の排撃を終えることができ、悟りへと到れるようにと調えていくことが望まれます。

素敵な悪趣味震える未来様、金髪ジャージ家族の皆様も、全ての一切衆生にやがて悟りの光がもたらされることを誠に祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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