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悪いやつらが幸せに生き残る時代

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長文で失礼します。生きて行くなかでどうしても納得ができないことがあります。

ある大型衣料店でのこと。週末はこのお店は混雑します。

車で久しぶりに行く事になりました。駐車場は相変わらず混んでいました。

すると、大きな外車を改造したような、いかにもって感じの車が割り込み、しかもお店の目の前の障害者優先駐車場にどうどうと停めました。中からでてきたのは前頭葉が未発達の頭の悪そうな金髪ジャージ家族で子どもも金髪。タバコもその場でポイ捨て。

私たちはその後にやっと駐車でき、お店に入る事ができたのですが、障害者マークをつけた車が来て、停めれるはずの場所に大きな改造外車がどうどうと停まっているため駐車できずにいたのがなんとも心苦しく、私が駐車したばかりの場所を譲ろうとも考えましたが、お店の入り口からは遠い上に、他にも車が並んでいたので、それが困難であきらめました。私は罪悪で押しつぶされそうになりました。

なんだかんだでお店で買うものを選び、レジでならんでいたところ、例の先ほどの金髪家族がレジをしていました。すると、そのお店でキャンペーンをやっていたらしく、滅多に当たりもでないようなレジのくじに大当たりし、商品券が当たりとても喜んでいました。そうして、先ほどの障害者用にとめた車に乗って大音量の音楽で他を蹴散らし帰って行きました。

彼らには誰が罰を与えるのでしょうか。彼らは自分での罪悪も感じず、その行いすら気づきません。他人に優しくするような人は罪悪の判断ができるので、それだけ心苦しくなり、罪の意識も感じますが、彼らはそうではない。なぜならそれにすら気づかないのだから。

この一例に限らず、世の中はそういうところだと思っています。常に回りを考え道徳、譲ろうとするこころを持っている人には罰もくだり、その常識もなにもない人には罪悪もないので平気で悪い事をしても本人はしらない、もしくは他人よりもそれにより優越を感じているくらなので、幸せで仕方がない。で本人にはいいことばかり。

これが世の中でしょうか? 

2012年12月2日 4:31

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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

享楽と幸福

私もホームセンターに買い物に行った時、同じような状況(駐車場の件)を見て、非常に腹立たしい思いをした事があり、お気持ちがよく分かります。
質問者さんの場合は、その後さらに抽選に当たったのまで見てしまったのですから、不公平感を強く感じられたのでしょうね。

でも私は思うのです。
そういった方々が感じる幸せは刹那的・享楽的なもの、つまり深みの無い動物的な喜びに限られるのではないでしょうか。
そして非常に自己中心的な人種ですから、理不尽に腹を立てて勝手にストレスを感じているのではないでしょうか。

そういった人々が感じる幸福感と、優しく道徳的で真面目に生きている人が感じる深い幸福感は、次元が違うのではないかと思うのです。

人に感謝される喜び、称賛される喜び、認められる喜び。一所懸命に何かをして、心が打ち震えるような感激を覚えることが私は時々あります。
こういった喜びを感じられない生き方をしている人を、憐れだとさえ思います。

質問者さんは、いかが思われますか?

2012年12月2日 15:52
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有り難し
おきもち

浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...

アイツを問題にしている、コイツ(自分自身)をこそ問題にしよう

私が若い頃、あなたが言われるような、いわゆる「悪いやつら」の事で腹を立てて愚痴をこぼしていた事がありました。
師匠は黙ってその様子を聞いていました。
話が終わると、

「…で、さっきから、◯◯が気に入らんとか
◯◯とかいう奴の事を悪く言っているけどな? いいか、よく聞きなさい。
問題を起こしているのは誰なんだ?
その事を気にしてるのは誰なんだ? 」
「…!」〈グサッ〉

「いいか、多くの人がそうやって、相手のことばかりを悪く言って、
自分の正当化、主張にばかり時間を費やしてしまっているんだ。
…だからいつまでたっても肝心の「自分自身の心の向上」に目が向かない。
そんなことをしているうちはお前がいくら和尚の格好をして修行をしているつもりでも仏道ではないのだ。」

⭐仏道とは他人を変えることではなく 他によって心乱され、他者を敵視したり問題視する自分の心のありかたをみつめ、心がそのものから影響を受けなくなって(ワタクシ化が起こらなくなって)一生の安心を得ることである⭐

「お前は今ここにいない◯◯のことを気して、
◯◯のことが問題になっていただろう。
だが、その相手である◯◯は今ここにはいない。
寝てるかもしれん、TV観ながら笑っているかもしれん、
トイレに行っているかもしれないんだぞ。

本当にお前が問題にすべきは、外のことや◯◯の事じゃないんだ。
◯◯のことを気にして、問題や騒ぎを起こしていた“お前自身”、思いこそ問題なんだ。

問題があたかも外のことや、相手の側にあるように思えるかも知れないが、
人のことをとやかく問題にしているのは、どこまで行っても、結局、全部お前自身。

だから、他人の様子も全部自分の身の内、身の上のこと。全部、自分の様子、自分持ちであるという事を覚えておきなさい。」👉 人生すべて自分もち
〈例えば、人を憎んだりすることも、相手がそこに居なくても、全部自分の中で独り相撲していることがある〉

師は安っぽい同情など一切示しませんでした。
それよりももっと大切な、あらゆる問題の根本的な解決に通ずる核心的なポイント、仏道修行の在り方を示してくださったのです。
「問題はうちなる自分の思いであって、相手ではない。」

2013年4月25日 15:23
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おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 📞08020659278 法話禅会 毎週日曜3時より...

魂の障碍者

私の近所のショッピングセンターでも障碍者用のスペースに堂々と停める、相談者さんが目撃したような方、いらっしゃいますよ。「仕方ないよなー、魂に障碍があるんだから」と私は思っていますが…

道端にゴミをポイ捨てする方も、ゴミ箱とか公共心とかが大人になっても理解できないのですから気の毒な方です。ですけど、そういう方々もいつか気が付く日がくると思います。その日まで、気が付いている人たちで見守って差し上げましょう。

誰が罰を?との事ですが、髪の毛を金髪にしたり家族そろってジャージで外を歩かされている時点でだいぶ罰を受けています。私なら泣き出しそうです。
障碍をお持ちだし、それなりに罰も受けているのです。素敵な悪趣味震える未来さんが気にすることないですよ!

2013年5月30日 0:26
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おきもち

住職のかたわら、大道芸人PRINCOちゃんとして幼稚園保育園など各種施設、...

罰は同時に

素敵な悪趣味震える未来さん、こんにちは。

残念ながら、彼らには同時に罰が与えられています。たとえば・・・彼等が「はーいい気味だ」とか「ラッキー」とか思っていても、すぐイライラします。あなたのような人からの視線が、日常生活で思い通りにいかないときに、運のいいことが起こってからの落差に。彼らは安心できない。
なぜか。
自分での罪悪も感じず、その行いすら気づかないからです。

この一例に限らず、世の中はそういうところだと思います。常に回りを考え道徳、譲ろうとするこころを持っている人には”自覚できる”罰もくだり、その常識もなにもない人には罪悪もないので平気で悪い事をしても本人はしらない、もしくは他人よりもそれにより優越を感じているくらなので、幸せで仕方がない”が、安心できないのだと”。

あなたは、どっちがいいですか?

2013年2月24日 12:32
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有り難し
おきもち

「~です」とは、「~だと、ぼくは思うのです」ということです。 回答は、書...

素敵な悪趣味震える未来 様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。

仏教では、輪廻・業思想を説くゆえに善因善果、悪因悪果の因果応報論があります。根源的無知である無明により生じたる煩悩を動機としての行為(身・口・意)は、悪業として、後に悪い結果をもたらす潜在力(習気・じっけ)として心相続に蓄積されていくこととなります。

その積みたる悪業の結果は、今世にてその結果を受ける「順現法受業」、次の生にて結果を受ける「順次生受業」、そのまた次の生にて結果を受ける「順後次受業」・・更に次の次の次の生にて・・と続くわけですが、悪業の結果が、即座にその者に現れるというわけではなく、あくまでもいくつかの条件や原因が複雑に交錯し合いながら、因縁(縁起)によって様々に結果を受けていくこととなります。

ですから、悪業を積みたる者においては、その悪業の結果をもたらす潜在力(習気)が残ってしまっている以上は、今世に限らず、来世、来来世・・において必ず悪果を受けるため、確かに浦上哲也師のおっしゃられておられるように一時の刹那的・享楽的な(世俗・世間八法の中における)喜びが例えその者にあったと見えても、特に一喜一憂する必要はなく、私たちが目指すべき喜びは、仏法によっての正しい善徳の功徳による真なる喜び、幸せでなければならないのであります。

私たちが悪業の結果を受けないようにするためには、仏法に基づいての確かなる智慧の開発(かいほつ)と真なる善徳行の実践により、煩悩を抑えて、無明を排撃し、確かなる善業を積むことによって、悪業の潜在力(習気)を滅していかなければなりません。今世では到底無理でも、来世、来来世と何とか仏法の縁を授かる状態を保てる善趣に生まれ続けて、悟りを目指せていけるように、そしてやがては、完全に無明・煩悩・悪業の排撃を終えることができ、悟りへと到れるようにと調えていくことが望まれます。

素敵な悪趣味震える未来様、金髪ジャージ家族の皆様も、全ての一切衆生にやがて悟りの光がもたらされることを誠に祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

2012年12月3日 5:56
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おきもち

「世の中・社会のできごと・風潮」問答一覧

女子高生コンクリート殺人事件犯人への罰

以前、女子高生コンクリート詰め殺人事件という悲惨な事件がありました。 この事件を知り私は、本当にこの事件の犯人が許せず『司法は少年法で犯人たちを庇ったが、神仏は必ず彼らを罰してくれるはずだ』『因果応報があるのなら、この犯人たちは地獄に落ちるだろう』と願いました。 しかし、事件から数十年経過し、数年前、この事件の犯人がまた別の事件で逮捕されたそうです。 聞けば犯人の一部には妻や子供もいて、しかも『俺は人を殺したことあるんだぞ』と、件のコンクリート詰め殺人事件の話をネタに別の人を脅して再逮捕されたそうですね。 これを聞いて、私は絶望しました。 全く反省していないどころか、むしろあの事件のことを新しい犯罪を犯すためのネタにしていたなんてあり得ないです。 コンクリート詰め殺人事件の被害者の女の子は何の落ち度もないのに凄惨な殺され方をされ未来を断たれたのにも関わらず、犯人には家庭もありのうのうと生きています。さらに反省せず再犯を犯してます。 神仏は彼らを罰してくれないのでしょうか? それから、インターネットを見る限り多くの人たちが犯人に怒りを感じ、掲示板に『死ね』などと発言していましたが、犯人たちは一向に元気です。よく『言葉には言霊の力がある』と言われますが、あれだけ恨まれ『死ね』と言われているにも関わらず『言霊の力』は彼らに届いていないのではないか、と思いました。 『言霊の力』だけでなく『生霊』や『念の力』に対しても疑いを感じはじめました。あれだけの人が怒りを感じているのだから誰か一人くらい『生霊』や『念』を無意識にでも意識的にでも飛ばしていてもおかしくないはずなのに、犯人はのうのうとしているみたいだからです。 これでは、犯人に殺された被害者が浮かばれません。 神仏の罰はないのでしょうか。因果応報はないのでしょうか。言霊の力や念の力、生霊なども全部存在しないのでしょうか。

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ターミネーターか人間のどっちかなのか

死刑制度についての質問をさせていただきます。 僕は死刑制度に賛成です。理由は一つで、犯罪への抑止力となっていることと、今までそれで社会が成り立っていたのだから急に廃止することで世の中が混乱するからです。 でも、このままでいいとは思っていません。僕が思う死刑によるデメリットは、 1.刑務官(死刑執行人)への精神的ダメージ(たぶん) 2.死ねば更生するチャンスは二度とない 3.死刑制度は国民の国家に対する甘え 4.死刑囚の国(?)への恨みは他の誰かが相続すること、 つまり殺意は死なないということ →3国家に対する甘えについては、国民が国家に殺してもらうだけでは誰も成長しないのではないかと思ったからです。結局は現状維持で、また同じ苦しみが繰り返されるから、殺人者に共感する能力が育たないまま。 そこで、死刑制度を新しくすることを考えてみました。2と4は変えられないので1と3について解決策を考察しました。 それは、「刑務官(死刑執行人)の仕事が減り、遺族または志願した者が死刑執行代理人となり国の代わりに死刑執行のボタンを押す。代理人は遺族を最優先とすること。死刑執行の一週間前までに5人を死刑執行代理人と決定し、決定してから覆せない」というものです。 つまり、『明らかな人の殺意によって死刑を執行する』という案です。 こう考えた理由は、 A.国に殺人を止める力は無いから。死刑制度は抑止力としてもう限界まで来ていると思う。 B.死刑囚は遺族の悔しさ、怒り、憎しみ、恨み、殺意を真正面から受け取るべきだと思ったからです。(理由は、なにより殺して欲しいと望んでいるのは遺族だから、その殺意が伝わればいずれ更生するための種になるかもしれないから。そもそも国に殺意は無いから。) 前回の問答の後、他の国と比べてみて考え 、死刑が無くても穏やかな国になるが一番いいのではないかと考えました。それに、今ある社会正義は必ず崩れ去るものだと思っています。 でもそんなこと出来やしないので、死刑囚の殺され方なら変えられるのではないかと思いました。僕はターミネーターか人間に殺されるなら人間を選びたいです。(笑) もう何が正しいのか分かりません。 いろいろ間違っているところもありますが、ご回答頂けたら幸いです。

有り難し有り難し 26
回答数回答 3

理不尽だらけの世の中で大人になるのが怖い

私は幼い頃から何か違和感があります。 小学校1年生のとき、クラスメイトの一人が宿題を忘れて教壇の前で先生に怒られていました。皆は自分の席に座りその光景を見ていました。勿論わたしも。 すると先生が私の名前を呼び、「〇〇君は悪い事をしたよね?」と聞いてきました。 私は、目の前でまるで晒し物みたいにされているクラスメイトを見て、違和感を覚えました。確かに宿題は先生との約束だけど、一方的な約束だし、わざわざ皆の前で叱り、恥ずかしい思いをさせなくてもいいのではないか、そして、普通は先生という子どもにとって学校での絶対権力者に「悪いことよね?」と言われて首を横に振ることなんてできません。でも私は最期、先生の怒りが落ちる間際まで首を縦に振ることが出来ませんでした。それが小さな抵抗でした。 それからは、なぜ私は生まれてきたのか。 なぜ学校に行かなければいけないのか。 先生が言うことに皆当たり前の様な顔をして従い、疑問を持たないのか。 大人の言うことは絶対に正しいのか。 校則には厳しいのにいじめは見て見ぬふりのか なぜ動物は殺しても罪に問われないのに、人は殺してはいけないのか 心と肉体は殺すのはどっちの方が悪いのか いじめで自殺に追い込まれても何故罪にならないのか 沢山考えるようになりました 私は自分に正直に生きたいと思うのですが、自分がやりたくないことを美化して言っているだけだと言われます。 それはワガママだと言われます。 私は悪口は言いたくないし、したくないことはしたくありません。私の正直に生きるとは、人に対して誠実であり、理解すること、愛をもつことです。 傷つけてはいないだろうか?ちゃんと向き合うことが出来ているだろうか? 気をつけてはいるのですが、確かに私は自分の意見を押し付け自分の型にはめてしまったり、自分の意見に執着してしまうことがあります。大人になるということは自分が折れることが出来るということだと思います。 でも、ねじ伏せられて皆同じ、個性がないとも思ってしまいます。出る釘は打たれるのだと感じます。 理想と現実の狭間で辛さを感じます。 勉強よりももっと大事な事があるのではないかと思ってしまいます。 思春期だからと言われますが、関係なしに私はやっぱり自由や愛に憧れを感じます。 でも、人に言っちゃいけないことだと言うこともわかっています。 なので、相談できずに苦しいです。

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私の理解されにくい考え方や気持ち

私は高校生です。本を読み漁っても曖昧なヒントしか得られません。「人は人を殺してはならない」というのは分かっているし、人を殺めることに肯定的な訳でも加害者を庇う訳でも無いけれど、加害者の生い立ちや事件の背景を見た時に、とても悲しくなるのです。(快楽殺人とは別) ニュースやマスメディアでは表面的に事実を淡々と言い、加害者を責めます。みんなどこか他人事のように感じるのです。 でも、もし、誰かが加害者の背景を事件の裏みたいなものを見れていて、そこに愛や差し伸べられる手があったのなら、何かが変わっていたのかもしれない。生まれながらに悪い人なんていないし、なにがこの人を歪めてしまったのだろうと考えるのです。 繰り返さないためには咎めるのではなくて、愛を持ち続けることでは? 貧困や虐待など、社会全体が目をそらさないことだと思うのです。 なぜ人を簡単に殺めるの?という人がいるけれど、じゃあ、なぜそこを追求しないの?と思うのです。私は加害者の育った環境は大いに影響していると考えるからです。もしも手を差し伸べることが出来たなら、被害者の人生も加害者の人生もこんな結末にはならなかったのでは?と無念の涙が止まりません。高校を卒業したらなにか私にできないだろうかと思います。 私はこのことを言ったりすると、誰もが顔をしかめます。私は私の話を理解できる人に出会えたことがありません。理解されない時のひとりぼっちのような寂しさが辛いです。 私の考え方が変わっているから、みんなに合わせなさいと言われます。私は普通なのに。 学校は苦痛で同級生とは話が合わず、悲しさと自分の至らなさと無力さに苦しんでいます。

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何故人は匿名の場だと辛苦を余計に煽るのか

これは私自身の見識による物なので一概に言えない部分も有ると思いますが… 何故ネットや匿名が許される場所、または普段の生活や仕事でも 一度の失敗で人を痛烈に責めたり、艱難辛苦を煽る人々が居るのでしょうか? 中には疾患を抱えてしまった方や障害と言われる人まで責められる人も居ます 例えば家庭内で虐待を受けた人が学校に相談しても、または虐めが原因で教師に 相談しても取り合ってくれなかった子ども達のニュースを見ると酷く思いますが、更に子どもの時に大人に相談しても聞いてくれなかった事で大人に対する信頼を失い、20代や30代になってようやく行政機関や周囲に相談できた方も居ます。 それまでにもネットや匿名の場所、現実世界でも「甘えるな、苦しむのは当たり前、苦しんだ?だからどうした相談するのは非常識だ、誰もお前の話など聞いていない、お前には先が無い」などと徒らに弱者を責め煽り更に弱者を作り出し、他人同士で生き甲斐を奪い合ってるのを見ると、何故互いに尊重し問題を解決する為の話し合いをしないのか?と思ってしまいます。 お坊さんは、この様な場合どの様な対処法が必要だと思いますか?

有り難し有り難し 11
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