苦しい時に勇気づけられるような言葉を聞きたい
人生の中で苦しい時に勇気づけれられるようなイイ言葉をお坊さんに聞きたいです。このサイトを見ている皆さんの応援歌となるような勇気づけられるような言葉をお願いします。お坊さん自身が勇気づけられている言葉でも大変ありがたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
時ぎり、場ぎり、それっきり。
時ぎり、場ぎり、それっきり。
これは何かと言いますと、
どんな苦しみも嫌なことも、ポジティブな意味で、
必ず、その時っきり、その場所っきり、その事っきりで終わっているということです。
この世に永続する苦しみはありません。
喪失感、失った感情にとらわれた時や、
心で反復運動をした時だけが苦しいのです。
失敗したことも、怒られたことも、喧嘩したことも、失恋も、事故も怪我をしたことも、
みーんな、その出来事としては、時ぎり・場ぎり・それっきりで「完了」しています。
たとえどんな取り返しのつかない失態でも、キッチリその事で終わらせる為の、思い切り方の方法が、このジギリ、バギリ、ソレッキリというお唱えです。
事実はもう終わって、あなたはもう、別の時間、別の場所、別の状況下。
あのことがもう終わった状況である、今、ここにいるのですから。
いちいち、いつまでも後悔や自責の念を続けないことがあなたを一番励ます方法です。
理解を深めるためにご一読頂きたいことがあります。
・事故は事故を起こしたその瞬間だけが事故であり、後のことはみな処理であり、事故はもうとっくに終わっている。
👉あの時っきり、あの場所っきり、それっきり。
・アクシデントは現場で、すでに完了しているのであって、動画や写真、ニュースはその状況を知らせるための過去の情報でしかない。
👉時ぎり、場ぎり、それっきり。
・鐘は打ち鳴らしたその瞬間だけが「打った」のであって、あとの響きは単なる余韻である。
👉時ぎり、場ぎり、それっきり。
・仕事のミスはその時もう、失敗し尽くしたのであって今なすべきことは後悔ではなく、反省、気持ちの切りかえ、次に活かすこと。
👉時ぎり、場ぎり、それっきり。
・怒られた、叱られた、別れた、怪我した、泣いた、怒った、笑った
👉時ぎり、場ぎり、これっきり。
だからもう、そのことで、クヨクヨしないで。
失ったことにばかり目を向けていないで。
それより、そこから学んだこと、それを糧としてどう成長すべきかに意を注ごう。
人生、良いことも悪いことも、時ぎり、場ぎり、それっきり。
サラリと流して、こだわり捨てて、
今日の、今、この自分を新しく生きましょう。
これからが これまでを決める
伊豆の正蓮寺 渡邉元浄です。
現代社会は成果第一主義の競争社会。
「これまでがこれからを決める」というのがセオリーでしょうが、それは世間のものさし。
「これからが これまでを決める」
どんなに失敗しても
どんなに転んでもくじけても
この言葉を思い出すと、勇気づけられます。
真宗大谷派から発行・販売されている日めくり法語 一語一遇-(日めくり法語カレンダー)の中の一語です。
以下 宗派ホームページより抜粋
【親鸞聖人の教えに出遇った多くの方々の中から言葉を厳選。仏教語を一切使わず聖人の教えを表現しており、柔らかく優しい絵で一般の方にも親しみやすい。 年・曜日を記載していないため、毎月・毎年ご使用いただける日めくり法語カレンダー。】
通信販売もできますが、京都・東本願寺の境内でも購入できます。
素敵な言葉や、素敵な感性を得た自分との出会いを求めて、京都旅行をしてみてはいかがでしょうか。
坂村真民氏、東井義雄氏、などなど・・・
弾切れリボルバーさん、こんにちは。
苦しいとき、かなしいとき、さみしいとき、うれしいとき。
そっと心にふれるような”言葉”を探してみれば、やはり「詩」でしょう。
禅語や仏典の言葉もたいへん味わい深いものではありますが、詩ならば解説もなにもいりません。
とりあえず私の好きなツートップ。坂村真民氏、東井義雄氏をご紹介致します。
かなしみ(坂村真民氏)
かなしみは
わたしたちを強くする根
かなしみは
わたしたちを支える幹
かなしみは
わたしたちを美しくする花
かなしみは
いつも枯らしてはならない
かなしみは
いつも湛えていなくてはならない
かなしみは
いつも噛みしめていなくてはならない
(東井義雄氏)
失敗は
わたしの問題点を
知らせに来て下さった
大切なお使い
最後に、梅雨の季節ですので・・
雨の日には雨の日の
悲しみの日には悲しみの日の
かけがえのない大切な人生がある
地獄は一定すみかぞかし
親鸞語録である『歎異抄』第2条から、私のこころに響く法語です。
弟子に「念仏で極楽浄土へ行けるの?」と問われた親鸞聖人が「いや、実は知らない」と答える驚きのシーン。
しかしその後「地獄は一定(いちじょう)すみかぞかし」つまり「私はもともと地獄に堕ちるしかない、愚かで煩悩にまみれた人間でしかない」と続け、さらに…
「阿弥陀仏の、全ての衆生を救うという誓いが真実なら、釋尊や高僧がたの言葉も真実。私はそれをそのまま伝えているだけだ」と答えます。
地獄や浄土が現実に存在する場所、とは私は思いません。行った事ありませんから。
この法語から感じるのは「突き詰めて信じた道に後悔しない」という信念。
そして「救われがたき私を救おうとする大きな慈悲がある」という安心感。
私はこの言葉に勇気づけられています。
弾切れリボルバーさん、いかがでしょうか。
「生死事大 光陰可惜 無常迅速 時不待人」
弾切れリボルバー様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。
「生死事大 光陰可惜 無常迅速 時不待人」
無常なるこの世においては、世間(八法)におけることも、我が身一つさえも何らとして頼りとはならないものであります。やがては全て移ろい去りゆくものであります。生まれたる者は必ず死するのであり、「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」と申しますように、「生」と「死」の真理から見えてくるところをしっかりと捉えて、無駄なく意義ある「生」をいかに過ごすことができるかが大切なこととなります。
もちろん、仏教的には、これ以上は悪業を成さないことは当然として、これまでに成して心(相続)に集積したる悪業(の習気、輪廻悪果の原因となる潜勢力・潜在力)を浄化させるための確かなる善業を成して、心(相続)を清らかにして保ち、更に次の仏道修行の段階へ向けての準備を調えていくことが望まれます。
そのためには、出離心(この輪廻の苦の大海から逃れたいという心)、菩提心(慈悲から発したる迷苦にある一切衆生を救いたいとして悟りを目指す心)を起こして、智慧(空・縁起の理解)の修習と慈悲による方便実践行(利他行・善徳行)が重要となる次第であります。
とにかくくだらない世間八法(利得、損失、称賛、非難、誉れ、誹謗、楽、苦)におけることにとらわれている中で、あっという間に死は訪れてしまうこととなります。この間、心(相続)は無明(根本的無知)のままでの煩悩によっての悪業の習気にて更に覆われてしまい、これでは輪廻の苦を無限にループし続けることとなってしまいます。
この輪廻の苦のループを断ち切るためにも、今生において速やかに確かなる仏縁の下にて、出離・菩提心を起こして智慧の開発(かいほつ)と慈悲方便行の実践による福徳の資糧が望まれるのであります。
仏道修行に適した人間としての境遇を得れるのは希有なることであり、過去世における善い因縁が弾切れリボルバー様にもおありであった結果であると存じ上げます。もっとも確かに人間界も四苦八苦する中ではありますが、これを与えられた試練と捉えて、いかに仏道修行を進めていけるかを少しなりともお考え賜れましたら幸いでございます。という拙生もまだまだであり、日々猛省ではございますが、とにかく少しずつ一歩一歩前へと存じております。
川口英俊 合掌