回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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2500年前、とある青年は思いました。
「バラモン教のぼーずなんかくそくらえ。生まれは選べないし、老いも避けられないし、病気も怖いし、いつか死んじまう。世の中良いことなんか何もない。」
悟りを開いて仏教の開祖となった人は、そんな人でした。
一緒に仏教やりません?
いいねぇ。おっちゃん、最高。
私もそう思ってましたよ。
これは実話っすけど、私は修行道場であなたと同じ気持ちになりました。
坊さんなんですが、坊さんが大っ嫌いになりましてね。(あ、今は違いますが)
良寛さんっていう群れなかったロックでパンクな僧侶がこう言ってます。
「歌読みの歌はキライ。
書家の書はキライ。
料理人の料理はキライ。」
私も坊主クサい、坊主が大っ嫌いでしてね。組織とかクソっすよ。
本山に長いこと無駄に居ましたが、7年目くらいで爆発して夜な夜な飛び出して町中でギター片手に弾いてシャバ人間と交流してました。
朝の坐禅やポクポクもサボりがち。
さすがに7年8年居ると本質を突いていくようになるんすね。
「コイツらなんのためにやってるんだ」と思いました。
やってることが組織の中のルール通りでソウルが無いんすヨ。
だから群れるのやめたら楽になりましたよ。
今も一匹です。
ちゃんとした人もいますが、本当にしょーもねーのもワンサカいるのがどこの世界でもの真実。
おじちゃんがそういいたくなるのもスゲーよく分かりますよ。
だからこそ、あなたは1人でもしっかりしないといけないと思うんです。
私は孤独感の中、暗中模索でした。今でも変わらんです。
帰るところが無かった感がありました。
建物はある。でも、居場所がない。
ハウスはあった。でも、ホームがない。
ホームって、ことばって人間にとって、とっても大切です。
ホームベース、マイホーム、ホームポジション。
「ハウスとホーム」の違いを自分なりに探していました。
人の魂の無い、血が通ってない人間の集まりだと、ただの骨組み、箱です。
ハウスに対して、ホームって、なんかあったかい感じがします。
人の心があるっていうか、家庭、庭、心の通い合いがあるのがホームみたいな。なんか、ホワイトシチュー出てきそうな。笑
ハウスもクリーニングしてこそ、いいホームが作れると思います。
「リホーム」って言葉、プロフィールで見つけました。
おじさんすでにスゲー、いい答え出てるじゃないすか。
リフォームじゃなくて「リホーム」っていう響きが最高にいいですね。
もう一度、心が通い合える家庭や人間関係をリホームするために、もう一声ください。
心のハウスダスト(煩悩)・クリーニングは坊主の仕事ですから、そこがキレイになれば絶対にイイ風、イイ事、イイ人、入って来ますから。
六根清浄 ぼくたちは心のクリーニングをしています。
おそうじハウスさま
初めましてhasunohaの井上広法と申します。
恐らく、これまで嫌なお坊さんに出会ってしまわれたのではとお察し申し上げます。
以下推論です。もし間違っていたら先に謝っておきます。
人は、一部の現象を見てそれを全体だと捉える心の癖があります。
心理学では「過度の一般化」という認知の歪みです。
そして、心理学ではこの認知の歪みがうつ病のリスクを高めるという報告もあるそうです。
さて、もしあなたがこれまで出会ってきた僧侶によって僧侶全体に「ぼーずくそくらえ」という印象を抱いているとしたら、それもやはり大きな認知の歪みと言わざるをえません。
なぜなら、ここhasunohaにはあなたがクソくらえというような僧侶は所属していないからです。
ほとんどの方が、実名で自分のお寺の住所を公開して臨んでおられます。
しかも、完全なボランティア、無償です。
さて、過度の一般化のような偏ったものの見方も仏教では煩悩のひとつです。
曇ったガラスの向こう側がよく見えないように、キチンとガラスをクリーニングしなくてはなりません。
同じように、ものの見方が曇らないように日々、心の曇りを取り除くよう努めるのが仏教のあり方です。
それは目だけではありません。
耳も鼻も舌も肌も意識もすべて綺麗にしようと心がけているのが仏教徒です。
それを六根清浄といいます。
住まいだけではなく、心のあり方も綺麗にしようと心がけていないと、人間は歪んだものの見方をしてしまうのです。
と、ぼくもいただいたご意見から想像力豊かに過度の一般化を働かせてお答えさせていただきました。
やはり、六根のクリーニングをさらに精進していきたいと改めて思う次第です。
合掌
私も叫んでみました。
おはようございます。
質問文 拝見しました。
見ただけだと
掃除してもらってあたりまえ、
散らかし放しがあたりまえ
汚してあたりまえ。
ありがとうございます。
とか感謝の心、どこいったんだー!
正直者がバカを見る。
仏さまの教えの通り真面目にやっても報われない!
賢い人間の都合で振り回される。
世の中、間違ってる!!
という思いが浮かんでムカムカしてきたので、
ぼーずなんかくそくらえ、世の中良いことなんか何もない
ぼーずなんかくそくらえ、世の中良いことなんか何もない
ぼーずなんかくそくらえ、世の中良いことなんか何もない
僕も3回、おそうじハウスさんのことばを辿って叫んでみました。
すると、隣でDSしてた小4息子が「ないな」とポツリとつぶやきました。
(そういえば彼も一昨日ゲームのデータが消えたと凹んでいました。)
世の中良いことなんか何もない。
世の中良いことなんか何もない。
それでも言い続けたところ、
「なんでそんなこと言うんや?」
と返されたんですが、、、
そんな言葉は要らんかった。
僕の欲しかった答えじゃなかった。
何回か叫んでるうちに浮かんできた、僕の欲しい言葉は
「大丈夫か? 何かあったんか?」でした。
誰かが僕のことを気遣ってくれる。
僕のことを心配してくれる存在がいれば、
辛い、良いことない娑婆でも何とかやっていけるのに。。。
話は変わりますが、
畑の土を作るときに牛ふんや、鶏ふんいれてます。
直接的ではありませんが、間接的にはくそくって生きてます。
他の方にはどうか知りませんが、
おそうじハウスさんのおっしゃること、私には真実です。
そんな私のお念仏。
私が報われるまでなんまんだぶつ。
おそうじハウスさんのためにも、なんまんだぶつ。
申し上げます。
四苦八苦、世の中「苦」ばかりです。
その「苦」を抜いて、
「楽」を与える法をお教えくださるのが、
お釈迦さま。
それを上手く伝えられない我らは、
ホント糞喰らえです…。
どうすればよいか、
またここで叱咤してください。
その通りかも
こんばんは。なかなか言い出しにくいことを、ズバリいって下さいました。ありがとうございます。タイトルの前半はまぁ、ご挨拶というか例え話として、後半「世の中いいことなんて何もない」が、訴えたいことなのですよね。
そして本文の「いいこと何もなし」が、あなたの寂しさそのものから出ているような気がします。
ものごとは、「いいこと」にせよ「わるいこと」にせよ、見方次第だ、縁に依るものだと、私は考えています。「宝くじで1億円当たる」は、ある人から見れば「いいこと」でしょうが、「この俺だけの金を、誰か盗みに来たらどうしよう。あいつ急に電話して来たが、もしや…」と疑心暗鬼の素になってしまえば「わるいこと」でしょう。
でも我々、ついつい毎朝起きられたりすると、「今日もいい天気だ〜!」とか脳天気に言っちゃったりする訳ですよ。そこへあなたの鉄槌。「いいことなんて何もない」をぶつけてご覧なさい。少なくとも「そうなのかもな…」という問題提起にはなります。そういう正しい問題を持ったまま一日を過ごすのは、とても大事なことなのです。
だから私、明日起きたら思い出します「世の中に、いいことなんて何もない。だけどもそれは本当かな(TheGivingTree風に)」
「お坊さんのことは嫌いでも、仏教は嫌いにならないでください」
おそうじハウス様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「お坊さんのことは嫌いでも、仏教は嫌いにならないでください」
お釈迦様のお教えは、誠に尊く有り難いものでございます。どうか私たちのことを嫌いになられても、仏教のことは嫌いにならないでほしいと存じます。是非、共に少しずつでも仏教のことを学ばれて、修していって頂きたいと存じます。
お坊さんとはいえども、まだまだほとんどの皆様が大なり小なり凡夫であり、悟りを目指して修行中の身でございます。
お坊さんも普通の人間である以上、時には、欲望や煩悩に負けてしまって、過ちを犯してしまうことだってございます。そんな時には、もちろん、皆様からのご批正、ご叱正が必要でございます。
そのご批正、ご叱正は、私たちが襟を正し、足元を見つめ直す上においても、誠に大切なことになります。
ですので、是非、これからも厳しくご批正、ご叱正を賜れましたらと存じます。
「世の中良いことなんか何もない いいこと何もなし」・・
良いも悪いも、全ては因縁(原因と条件)次第、己の心のありよう次第となります。良い因縁があれば、良い結果となりますし、悪い因縁があれば、悪い結果になるというもので、それも、それぞれの捉える心のありようにても様々に捉え方次第にて変わるものとなります。人間万事塞翁が馬、禍福は糾える縄の如しなどとも申しますし。
とにかく、虚無主義や悲観主義に陥られるのにも、そのように思われる因縁があると考えます。
その因縁をしっかりと見極めて、因縁をより良いものへと変えてやる努力をすることで、良い結果へと変えていけるようになると考えます。
「何もない」ということではなく、何か良い結果へと向けては、良い動機と良い行動をしていくことが大切になるとお考えを賜れましたらと存じます。
この因縁果の理を中心として、お釈迦様は「苦・集・滅・道」の四つの聖なる真理から、仏教をお説きになられ始めました。
まずは、その聖なる四つの真理を学ぶことから、是非、仏教にご入門を賜れましたら有り難くに存じます。
また、学び進まれる中で、どうしても分からないことがございましたら、どうぞhasunohaで気軽にご質問下さいませ。
共に頑張って参りましょう。
川口英俊 合掌
幸運を引き寄せる人貧乏な神と仲良き人ある不思議
坊主とは無縁の人がやってきて困った時の質疑応答
願うこと何でも叶う運の人願うばかりで泣き癖の人
くそ坊主などと罵る人もありどん底にいて青空知らず
怒ってもキリキリ痛む胃の腑にはストンと落ちる食い物はなく
絶世の美女と出会いも出来ぬまま坊主になってお経読んでる
振り返る他国坊主と見られつつはや三十年大和の寺に
今朝3時からパン屋に変身してパン作りしています。醗酵を待つ間に戯れて短歌読みました。
質問者からのお礼
いいお話ありがとうございました、馬鹿にしたような質問の対応にスッキリしました、前向きに心のおそうじをしていきたいです、感謝です。
いいお話ありがとうございました、日々前向きに感謝しながら生活していきたいと思います。
いいお話ありがとうございました、日々前向きに感謝しながら生活していきたいと思います。