hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
仏教
77850views

諸行無常とは?お坊さんが解き明かす「全てのものは常に変化し続けている」

仏教の教えのひとつ「諸行無常」。世の中の真理をシンプルに表した言葉です。しかしながら、「シンプルどころか難しい!」そう感じてしまうのも仏教用語ですよね。
 hasunohaにも、仏教用語への質問がたくさん寄せられます。仏教に興味はあるものの、教えをどう理解し活かせばいいのか…分からずにいる人は多いのです。

そこで今回は、寄せられた相談の中から「諸行無常」を取り上げ、その意味や言葉の真理に迫ってみたいと思います。

諸行無常って何ですか?

全てのものは、今この瞬間にも移り変わっているのでしょうか? 無常とはなんですか?

辞書によると諸行無常とは、『この世の万物は常に変化して、ほんのしばらくもとどまるものはないこと。人生の無常をいう仏教の根本的な考え。』(出典:新明解四字熟語辞典)と解説されています。

相談者のあやめさんは、「諸行無常」の意味を知っているものの、理解が深まらない状態。ここが、仏教の難しさですよね。「諸行無常」への疑問をシンプルに問いかけたあやめさん。この相談に対するお坊さんたちの回答をご紹介します。

全てのものは、今この瞬間も変化し続けています

新品の自動車はどんなに大切にしても、だんだん古びていきます。 あらゆる動物の赤ちゃんは、子供になり、青年になり、大人になり、老人になり、いつかは死去します。 (中略)すべての、物質、すべての存在は、常に周囲の環境とお互いに影響を及ぼし合い、常に変化しつづけます。
(因速寺 釋精徹)

硬い金属でもいずれ錆びる。今この瞬間も、周囲の環境に影響され温度が変わったりする…。こちらのお坊さんは具体的な例をあげ、「この世界に不変な存在は何一つないこと」を教えてくださいました。また、人間の心も例外ではないとおっしゃっています。

人の心も常に変化し続けています

人間は、外界の環境を、感覚器官で感覚し、その情報を脳で処理して、考えたり感じたりしています。 人間の身体も、常に変化し続けていますし、周囲から受ける情報も常に変化しつづけています。
(因速寺 釋精徹)

全てのモノ・コトは、それぞれ、色々と他に依存することによって成り立っており、依存しているがゆえに、ある意味で不安定であり、依存している色々なモノ・コトによる因縁(原因と条件)次第で、変化していくものであるということになります。
(岩瀧山 往生院六萬寺 川口 英俊)

目には見えない人の心も、今この瞬間、変化し続けている。そしてそれは、「影響し合っているからこそ起こる変化」だということですね。お坊さんは、この真理が「諸法無我」「一切皆苦」とも密接に関係していると教えてくださいました。
 

不変の実体的な魂のような存在は存在しないのです。 これを、漢語では、諸法無我といいます。諸行無常と諸法無我は、密接に関係しています。(中略)また、仏教は「一切皆苦」といいます。 生きているとは「すべてが苦」という事実です。(中略)「一切皆苦」と「諸行無常」も密接に関係しています。
(因速寺 釋精徹)

元の問答:諸行無常って何ですか?

相談者のあやめさんは、小さな変化の分かりにくさを感じつつも、お坊さんたちの丁寧な回答に感心されたようです。

私たちは、大きな変化や年単位の変化は分かっても、「今この瞬間も変化し続けている」ということには気付けないものですよね。それに気づかせてくれるのが、諸行無常という言葉なのです。


では私たちは、この真理をどう受け止め、活かしていけばいいのでしょう?その答えは、次の『永遠の愛は存在しますか?』という問答の中にありました。

永遠の愛は存在するのでしょうか

好きな人と念願かなって付き合うことができた夏月さん。毎日幸せな気持ちで一杯なはずなのに、いつかこの関係が終わってしまうのではないかと相談されています。

もちろん、今ある幸せは、全力を尽くして大切にします。
それでも、相手の気持ちが離れていくことが怖い。

この気持ちを忘れることが怖い。
やっとつかんだこの幸せが、いつかこぼれてゆくことに怯えてしまうのです。どうか、彼と少しでも長く一緒にいるにはどうするのが最善か、教えて下さい。

「永遠の愛」というテーマに、お坊さんたちは「諸行無常」の真理を引用した回答をされています。

常に変化するからこそ今できることを精一杯行い、生を充実させましょう

諸行無常といいます。 全ての事は常では無い、永遠に続くものは存在し無いという事です。だからこそ、今という時間を大切にするのです。
(圓常寺 三宅 聖章)

こちらのお坊さんは、「永遠の愛は存在しない」ことを説き、だからこそ今を大切にしましょうとアドバイスしてくださいました。

諸行無常だからこそ「永遠の愛」はあり得ると考えます。(中略)永遠とは常に変化する「今」の連続性の先にあるものです。 「永遠の愛」にするかどうかは、お互いの心遣いです。
(法華寺 讃岐英昌)

こちらのお坊さんは、諸行無常だからこそ「永遠の愛はあり得る」と説いています。捉え方により、「諸行無常と永遠の愛」に対する解釈も違ってくるのですね。しかし、ふたりのお坊さんが言わんとすることは同じです。

 

「変化するからこそ愛を育んでいくこともできる。だからこそ、今できることを精一杯行うことが大切」だとおっしゃっているのです。

 

元の問答:『永遠の愛』は存在しますか


私たちは「変化」について、いろいろな感情を抱きますよね。あるときは変化に怯え、あるときは変化することを望みます。勝手に「変化しないものだ」と決めつけてしまうこともあるでしょう。しかし事実はひとつ。「全てのものは、常に変化し続けている」のです。

「諸行無常」という言葉に託された教え…。それを学び、人生に活かすことができるのもまた、私たちが変化していくものだからですよね。
 
仏教の言葉は、難しいようでいて実はシンプルです。hasunohaでは、仏教用語への疑問も、お坊さんたちが優しく解き明かしてくださいます。あなたもhasunohaで、仏教の教えに触れてみませんか?

文・hasunoha編集部
この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

温かい気持ちになるお坊さん説法

「諸行無常」問答一覧

「無常」について理解出来た気がするが…

初めて質問させて頂きます。長文になってしまい申し訳ございませんが、宜しくお願いします。 私は歴史が好きなのですが、とりわけ源平合戦が好きです。二つの氏族が覇権をかけて争う中での栄枯盛衰や、その過程での日本中を巻き込んだ争乱の数々。これ程までに歴史のダイナミズムを感じられる出来事は中々無いと思ったからです。 なので、先日神戸に行った際、一ノ谷の戦いの戦跡を巡ろうと思い立って観光し、道中、是非見たいと思っていた須磨寺に立ち寄りました。須磨寺には、宝物として平敦盛の武具や青葉の笛が置かれていることが有名ですが、これらを見た時、私は非常に大きな衝撃を受けました。 勿論、平家物語の「敦盛最期」は作中屈指の有名な悲話として、私も知ってはいました。しかし、それはあくまで「物語」としての認知に過ぎなかったのです。知識としては現実に起きた事だと知りつつも、現代とはあまりにもかけ離れた武士たちの世界観や壮絶な出来事の数々に、実感としては完全に物語上での出来事でした。 ですが、敦盛の遺品と、敦盛を殺した苦悩から出家した熊谷直実が、彼を弔うために書いた「南無阿弥陀仏」の掛け軸は、実際に寺にあったのです。 こうして、到底現実の出来事だと実感出来なかった源平合戦を、現実の出来事として否応なく突きつけられ、私は恐ろしくなりました。平家物語に登場し、様々な運命を辿った武将たちの人生もまた現実の物だと、同時に思い知らされたからです。 都での優雅な生活を捨て、戦いに身を投じる事を憐れみつつ奮戦して亡くなった者。戦いに勝利しつつも、哀れにも反逆者となり亡くなった者。戦乱の中で志半ばに自害した者。そして、熊谷直実のように出家した者。 また、源平合戦だけでなく、数々の戦争や動乱に人生を左右された無数の人々…。 歴史という大きな流れの中で翻弄されていく人々が現実に居たのだと、心から実感出来た時、歴史の中での個人の無力さと儚さに恐怖を感じ、平家物語が言わんとしている「無常」を、心の底から理解出来たような気がしました。 果たして、無常について理解出来たようなこの感覚は、悟りに近いような物なのでしょうか? 仏門に入ってもいない者が、軽々しく悟りなどと申し上げるのは気が引けるのですが、世の中に対する一つの見方が生まれたような感覚が不思議だったため、質問させて頂きました。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

諸行無常について教えてくださいませ。

いつもお世話になっております。 私の母方の祖父、伯父は菩提寺の総代を務めさせて頂いておりました。 私が小学校中学年の時に、祖父が亡くなりました。祖父が親しくおつきあいさせて頂いていた先代のご住職様は既に亡くなっていらっしゃいました。次の代のご住職はご本山からやって来た地域にまだそんなに根差しておられない方でした。 祖父の葬儀の時に、その新しいご住職は手を合わせてはいるのですが、カセットテープのボタンを押し、お経のテープを流したのです。 その場にいた大人達は驚き、小声で「テープだ。」と囁いていました。親族は怒っていました。私も子どもながらに「お坊さんなのに何でお経を読まないの?」と不思議でした。 法話もありませんでした。 祖父は生前、先代のご住職とは親しくてご住職を交えて祖父の家で一緒に食卓を囲んだりしておりました。古い木造のお寺なのでもし何かあった時にと山から木を切り出してきてすぐに使える状態にしておいたり、祖父は総代という事もあり、何かと菩提寺の為に肉体労働で尽くしておりました。祖母もご飯を作る時には「典座しなくちゃ」等とお坊様の言葉を真似ているほどでした。 祖父はご本山から感謝状を頂きました。 そして祖父が亡くなった時にはテープのお経でした。私は今までずっと喉につかえた小骨のように、その事が気になっておりました。 先代のお坊様と家族で食べた楽しい食卓の思いでがテープのお経のせいで黒く塗りつぶされてしまった様な気がしていたのです。 でも最近、諸行無常なのかな。と思うようになりました。 私の諸行無常の理解は間違っていますか? 教えてくださいませ。

有り難し有り難し 8
回答数回答 1

諸行無常について

①3ヶ月前に奥歯が三本グラグラして近い将来三本とも抜けると言われショック。これは因果応報か。 ②一週間前に生まれてはじめてアレルギー性鼻炎になって辛かったが、それまで分からなかった花粉症の方の気持ちが分かって良かった気がする。 ③何日か前にうつ病の薬が変わって上手く効いてくれて人生がハッピー?になった。 ④先週の(土)に股関節の痛みで発育不全がわかり、生涯続けたかったマラソンはドクターストップがかかった。将来は人工関節になると言われショック。でも、人工関節の知り合いの痛み苦しみが少しだけ分かった気がする。 ⑤戻りたかった福祉の仕事に戻れた。 と、ここのところ色々体の老いや病気がドドッときたり、逆に悪かったところが良くなったりしてます。良いこと悪いことがイッパイ起きました。 それを冷静に見れるようになったのはハスノハの僧侶の皆様や周りの方々のお陰です。ありがとうございます。喜びにも悲しみにも、老いの不安にも囚われず今を大事に生きようと思えています。 諸行無常とは、ありとあらゆることは変わっていくものだから、未来にも過去にも囚われず今この瞬間を大事に生きることだと思ったんですけど、ありですか? なんか訳のわからない書き方になってすみません。

有り難し有り難し 26
回答数回答 2