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人間は、うでんうでん うたくうたく
「結婚、出産は何のためにするのか」というお尋ねですが、結論から申しますと、それは生物としての本能、エゴなのではないでしょうか。
結婚だけが幸せじゃない。
結婚相手に恵まれず、苦しんでいる人がいる。
子どもを持つことだけが幸せじゃない。
子どもに色々問題があり、それで苦しむこともある。
そんなことをいくら言い聞かせても、結婚したり子どもを授かることが頭をかすめてしまうのではないですか。
独身の方が気楽に過ごせると思ってみても、年賀状に結婚式や子どもの誕生の写真が載っていれば心がザワザワしてしまうのではないですか。
お釈迦さまの言葉で
「有田憂田 有宅憂宅 無田亦憂 欲有田 無宅亦憂 欲有宅」
というものがあります。
田んぼが有れば田んぼの心配をし、家が有れば家の心配をする。
田んぼがなければ「田んぼ欲しいな」と憂い、家がなければ「家が欲しいな」と憂う
という意味で、つまり人間はどんな状況でも憂う存在だということです。
結婚しても子どもが出来ても、憂いは生じます。
でも憂いだけでなく、その状況だからこそ生まれる喜びや楽しみもあるでしょう。
あまり考えすぎず、ご縁に任せて日々を送るのがよろしいのではないでしょうか。
結婚だけが幸せじゃない。
結婚相手に恵まれず、苦しんでいる人がいる。
子どもを持つことだけが幸せじゃない。
子どもに色々問題があり、それで苦しむこともある。
そんなことをいくら言い聞かせても、結婚したり子どもを授かることが頭をかすめてしまうのではないですか。
独身の方が気楽に過ごせると思ってみても、年賀状に結婚式や子どもの誕生の写真が載っていれば心がザワザワしてしまうのではないですか。
お釈迦さまの言葉で
「有田憂田 有宅憂宅 無田亦憂 欲有田 無宅亦憂 欲有宅」
というものがあります。
田んぼが有れば田んぼの心配をし、家が有れば家の心配をする。
田んぼがなければ「田んぼ欲しいな」と憂い、家がなければ「家が欲しいな」と憂う
という意味で、つまり人間はどんな状況でも憂う存在だということです。
結婚しても子どもが出来ても、憂いは生じます。
でも憂いだけでなく、その状況だからこそ生まれる喜びや楽しみもあるでしょう。
あまり考えすぎず、ご縁に任せて日々を送るのがよろしいのではないでしょうか。
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有り難し
結婚、出産は何のためにするのか
初めて質問いたします。宜しくお願い致します。
世間で言う結婚適齢期も少し過ぎつつある年齢になり、友人知人たちはほとんど結婚して子供がいたり、独身でも彼氏がいたりで、独身、彼氏なしの自分が何だか惨めに思えた時期がありました。
なぜ周りは自然と彼氏が出来、自然の流れで結婚、出産とトントン拍子に幸せになっていけているのに、どうして私は彼氏すら出来ないのだろう、もう年も若くないし、何とかしないと、と焦りに焦る日々を過ごしておりました。
そんな日が続いたある日、ふと疑問に思ったことがあります。
「そもそも、どうして私は結婚して子供が欲しいのだろう」
彼氏がいたらいたで、私のことをどう思っているのかとか、浮気をしていないか等心配事も出てくるわけで、それは結婚しても出産をしても同じこと。
お金のこと、仕事のこと、家族の健康のこと、子供の教育関係等、心配事は尽きないと思います。
ただでさえ自分のことでいっぱいいっぱいになりがちな心配性な性格のため、彼氏や家族という大切な人のこととはいえ、気にかけて世話をしてあげられるだけの余裕が持てるか非常に不安です。
次第に
私には、結婚は向いていないんじゃないか。
幸せになるためには、ひとりでいた方がいいんじゃないか。
と考えるようになってきました。
そのため、私の中で「結婚、出産」=「みんなしているから、何となくするもの」というひとつの結論に至ったわけですが、正直完全に結婚、出産への憧れを断ちきったわけではありません。
生涯を添い遂げられるパートナーがいればどんなに心強いかと思うこともありますし、公園などで幸せそうに遊ぶ子連れの夫婦を見て、いいなあ、子供が欲しいなあと思うこともあります。
その反面、上記のような他者を煩わしく思ってしまう心や、または結婚や出産は単なるエゴだと思ってしまう心もあり、結婚、出産とは何だろう、どうして皆疑問にも思わず、結婚や出産を経験しているのだろう、そして私はどうしたいのだろう、と考え込む日が続いております。
なぜ、人は結婚、出産を求めるのでしょうか。
結婚をしなくても幸せになれるなら、それはそれでいいと思うのですが。
そもそも、「幸せ」とは何なのでしょうか。
お教えください。宜しくお願いします。
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