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「無」とは充満です。満ち溢れた状態を申します。
「無」とは何か、を考える必要があるでしょう。 「無」とは充満です。
満ち溢れた状態を「無」と申します。
何も考えないのではなく、あらゆることに心を配る、それが「無」なのです。
お互いに気遣いができる世界が目指すところです。
満ち溢れた状態を「無」と申します。
何も考えないのではなく、あらゆることに心を配る、それが「無」なのです。
お互いに気遣いができる世界が目指すところです。
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有り難し
なんとなく思ったこと
いろいろと考えて思ったのですが、世の中はバランスによって成り立っているような気がします。善があり悪があり、陰があり陽がある。
そして、存在していると信じているものは実は不確実で、存在とは思考により生まれた産物なのだと思います。
例えば、絶対的に「良い」とされる行いを、「良いことをした」と考え、過去の記憶(記録)として覚えておく、誇らしく思うこと、つまり自分の現在や過去の「善」に執着することで「善」を生み出し、同時に「悪」を生み出すことに繋がるのではないか、と思うのです。
ですから、世の中を良くしたいと思うなら「善」の行いを「良いことをしている」という意識を取り払って行い、そして行った事実をできるだけ早く忘れる(執着しない)、ということで世の中が平安になれるのでしょうか?
世の中の悲しみは、「罪悪」ではなくて「罪悪感」、「喪失」ではなくて「喪失感」のように、感覚から来るものが多いような気がします。
ならば、感覚を生み出す「意識」ををコントロールすることで平和にもなれるのかなと思いました。
「以心伝心」のように、人と人の心が繋がっているなら、自分の思考を「無」にすることが、隣の人の心の平安になるかもしれない、そして、それが世界中の平安に繋がるといいなと思いました。
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