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四国巡礼

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有り難し有り難し 28

二度目の質問です。
前回の質問で母が他界した事で善き解答を頂き有難う御座いました。
さて、今回の悩み事なのですが
友人に四国八十八お遍路を誘われているのですが、我が家の宗派が浄土真宗で親鸞聖人の教えで般若心経を唱えないとの教えがあるようなのですが、四国巡礼とはそもそも般若心経を唱えながら人々の為自分自身を見詰め直すモノだと思うのですが、般若心経を唱えても良いものなのでしょうか。
私は朝夕と御仏壇の前で正信偈を唱えるのが日課です。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

浄土真宗においては、巡礼と信仰は別ものです

亀山純史と申します。今回の質問に対して考えるべきことが2つあると思います。
ひとつは般若心経を唱えていいのか、ということです。質問をなされた方が述べておられるように、浄土真宗では般若心経は唱えません。それは般若心経に説かれている教えでは、私たちは仏に成ることが出来ない、という立場に浄土真宗はあるからです。そこで問題になるのが、浄土真宗では般若心経を唱えてはいけないのか、ということですが、浄土真宗の基本的な考え方に、「~しては救われない」ということはありません。しかし、それとは逆に、「~しても構わない」という教えもありません。たとえば、「嘘をつくこと」を例にとれば、浄土真宗の教えでは「嘘をついては救われない」でもないし、「嘘をついても構わない」でもありません。阿弥陀如来はいかなる人をも救う仏様です。ですから、「~しては救われない」ということはないのです。しかし、阿弥陀如来によって私たちはいかに我執が強く、何ひとつ善行が出来ない存在であるかが明らかにされます。そのような自覚がある者に「~しても構わない」という発想はありえません。従って、「般若心経を唱えてはいけない」とも、「唱えても構わない」とも浄土真宗の教えではなく、ただ「唱えない」が正解だと考えています。そうすれば、今回のご質問の場合、どう考えればよいのでしょうか。これに対しての私の回答は、次にあげる2つ目の考えるべきこととリンクしてきます。

2つ目の考えるべきことは、教義上、般若心経を唱えないのなら、そもそも四国巡礼をしてよいのか、ということです。

以下、私のこれら2つの考えるべき事柄に対しての回答です。

四国巡礼、そしてそれに伴う般若心経の読経は、自分の浄土真宗の信仰とは別のものである、という立場であれば、よいのではないか、ということです。もしも浄土真宗の教えと同レベルのもの(つまり、自分の信仰の別形態)として四国巡礼を考えているのであれば、それは誤った考え方であると考えます。
以上が私の回答ですが、あくまでも私個人の考えるところのものです。

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おきもち

hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...
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巡礼とお仏壇前でのお経に対する考え方は異なります。

釈迦に説法で申し訳ないのですが、お仏壇はそれぞれのご家庭のご宗旨が関係してまいりますが、巡礼は宗旨を問いません。
お仏壇のほうが巡礼と比べて旦那寺との深い関わりが連めんと続いているからです。おとなえする経典が違ってしまうのはごく普通のことかと思います。
巡礼は不特定多数の方が集まる場かと思います。ですので、般若心経をおとなえするのもよし、正信偈をおとなえされてもよいかと思います。こちらは信教の自由の部分が大きいかと…。ただし、団体バスツアーでご参加の場合は正信偈はおとなえすることはまずありません。
あしからず。
お大師さまこと弘法大師空海の足跡にふれられまして素晴らしい心豊かな旅になられますこと心よりお祈り致しております(^_^)。

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おきもち

みなさん、こんにちわ。童楽寺の副住職の小林裕淳(ゆうじゅん)といいます。悩...
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何をしても「バチがあたらない」のが浄土真宗の教え。

浄土真宗は何をしてもバチは当たりません。
全て許されている宗教です。

良し悪しを語る場合、何を基準に考えるかということになります。
成仏できるか、バチが当たるかを基準にするならば何をしてもOKです。
宗門の教え・作法に従うならば、雑行(念仏以外の行)はやりません。
現世祈祷等にたよることなく、ただお念仏を申すのが浄土真宗だと宗門の教章でうたわれています。

やりたければやればいいし、やりたくなければやらければいい。
本来の宗門の姿勢は「他の行をしたいと思わなくなる」ことにあります。
よいものに出遭うと自然とその他がすたれていくものです。

※何をしてもいいというのは仏法のことであり、「王法(世間の法律)は額に当てよ」というお示しがあり、世間の法を守ることは当然の事であります。
また、「やってもいい」と「やった方がいい」と「やると悲しい」は常に私の行いに付いて回ることです。
阿弥陀様は悲しんでられるけども、許して下さるという姿勢です。

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おきもち

始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...
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質問者からのお礼

早速の回答有難う御座います。
初めての四国巡礼で、4月から歩き遍路で行く予定になっております。
母の供養も含めて自分自身を今一度振り返って何かを見つけられれば良いかなと・・・・

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ